2023年9月30日竹田城に登ってきました。100名城の56番、天空の城とか日本のマチュピチュとかの異名で呼ばれるお城です。
かつて2009年5月に攻略して以来の登城です。その頃はまだ整備されてなく、入場制限もありませんでした。
今回の目標は登城とお城カードと御城印です。では早速参りましょう。
7時33分姫路駅発播但線に乗るのです。
真っ赤な播但線。
寺前駅で和田山駅行きに乗換えます。
姫路駅から約1時間半で竹田駅に到着。古民家風に変わっていますね。
時刻表です。本数が少ないので要注意です。
今9時12分ですから、何とか12時46分に乗って帰りたいものです。14時台や15時台では遅いですから。
駅近くのわだやま観光案内所によると、お城カードと御城印は、情報館天空の城にあるとのことです。
早速向かいます。
歩いて5分くらいで到着、建物はこちら。
竹田城の案内、土産物があり、軽食なんかが食べられます。
中に入ると、あっ、お城が見えますよ!!
上の方にかすかに見ることができます。
ジオラマももちろんあります。
御城印を手に入れました。
続いてお城カード。
歩いて登るのには、大きく分けて2つのルートがあります。
赤いルートの表米神社登山道、青いルートの駅裏登山道。かつて登った際には、駅裏登山道を利用しました。
表米神社登山道はキツそうですので、またしても駅裏登山道に再挑戦します。
天空の城を抜けて、踏切を渡ります。
右に折れてすぐに駅裏登山道です。
800メートル、約40分だそうです。
登って行きましょう。
序盤はこんな感じ。
道は整備されています。
獣用の柵がありました。
10分くらいで300メートルも進んでいました。後500メートルです。
暑いですが順調に進んでいます。あと400メートル。
5分で100メートル?後300メートル!!
物見台みたいですね、200メートル。
あと100メートルですよ、大きく曲がって……
着きました、料金収受棟です、ふぇー疲れました。
30分で登れました。
竹田城址の碑。
綺麗なトイレをお借りします。
500円の観覧券を購入して、
ミスト付き扇風機に涼んで、咽喉を潤しながら、雲海のある竹田城の写真を見て和みます。
落ち着いたところで再出発です。
茂みを抜けたら、
石垣がドォーン!!
うーん、形が美しいのです。
疲れも吹っ飛んでしまいますね。
北千畳に入っていきます。
大手門虎口です、美しい。
城址の虎口は、いつも「通りの神秘と憂愁」なのです。
北千畳の先から下界を見下ろすこともできますよ。
10時20分くらい、人も少なくて快適です。
東北方面は眺めが良くないですかね。
良くもまあこんな高いところに、石垣を運んで積み上げましたねえ。
三の丸から二の丸方面へ。
二の丸から本丸方面に向かいます、足元は平らで歩きやすいですよ。
ため息しかでません。
右に天守台、左には南千畳が見えています。
天守台に再接近。
右の道を進むと天守台です。
本丸表示もありました。
本丸石碑から天守台を眺めます。
天守台から南二の丸、南千畳を見下ろしました。マチュピチュっぽいのです。
では南千畳方面へ下っていきます。
石垣が高く積まれていますね。
今は進入禁止ですが、こちら側からも天守台に登れることができます。
うっとりとして見てしまいます。
南二の丸方面から天守台を見返しました。
南二の丸の跡地ですね。
素晴らしい眺めです。
正門。しっかりとした石が積まれています。
上に登りたいです(もちろん登ってはいけません)
南千畳までやってきました。
南千畳の端から振り返りました。
大きな鏡石。
うえーん。・゚・(ノД`)・゚・。帰りたくないです、もっといたいです。
見学ルートは一方通行ですので仕方ありません。
降りていきましょう。
車で来られた方は、左に向かうと先ほどの料金収受棟に到着する訳ですね。
竹田城址には1時間足らずしかいませんでした。
私は右の表米神社登山道で降りるつもりです。
ここを左です。
表米神社登山道は階段が厳しいですね、下りでも結構足にきますよ。
こちらにも獣防止柵。
登山道は文字通り表米神社に繋がっていました。
本殿です。お城攻略の無事を感謝してお参りしました。
相撲の土俵がありましたよ、珍しい。
神社由来です。
大化年間、丹後に新羅の入寇があったので、表米親王が撃退したということだそうです。
神社入口。山頂に竹田城址がまた見えています。
降りてきました、11時半。ざっと2時間弱の冒険でした。
12時46分が播但線の時間ですので、付近をもう少し探索しましょう。
JR竹田駅北側にお寺が4つありました。
常光寺には、室町時代大大名山名氏の部下である太田垣光景のお墓がありました。
彼は山名四天王の一人であり、竹田城の築城を行ったそうです。そして初代城主。
続いて法樹寺には赤松広秀のお墓。
彼は赤松家の子孫で龍野城主でもあったそうですが、後に最後の竹田城主になります。
関ケ原では西軍に所属して、細川幽斎の籠る丹後田辺城を攻めたりします。その後東軍に降伏しますが、徳川家康に切腹を命じられ、わずか39才で果てました。
竹田城の最初と最後の城主のお墓を巡って参りました。
お寺の前には鯉とお魚がいました、水がきれいなんですね。
線路を渡ってJR竹田駅をパシャリ。
持ってきたおにぎりを食べつつ列車の時間を待ちます。
やがて時間が来たのでホームに入ると、駅裏登山道が見えました。
姫路駅までぐっすりと眠りましたよ。
また少し小腹が空いたので、念願の駅そば屋さんに行ってみました!
鳥てんそばです、580円。
中華麺と和風だしがマッチしていました、ダーリンハニー吉川さんの言われる通り、美味しいのです。
それでは新快速に乗ることにします。でわ、また。
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