馬鹿琴の独り言

独り言を綴ります。時にはお相手して下さい。

安倍晴明を探してⅢ

2023-08-14 00:34:10 | 安倍晴明を探して

2023年8月13日岸和田城の帰りに、陰陽師安倍晴明の史跡を1つばかり巡ってきました。

この辺り、泉南地域は、晴明のお母さんである狐の葛の葉姫の出身地と呼ばれています。

では急急如律令~

 

信太森葛葉稲荷神社。

大阪府和泉市葛の葉町1丁目11-47

 

蛸地蔵駅から南海に乗って羽衣駅で下車、ここはJR阪和線に繋がっていますので、東羽衣駅まで歩きます。

鳳駅まで一駅乗って、阪和線で南下、北信太駅を降りたらすぐなんです。

東羽衣駅から鳳駅までの阪和線の雄姿。

南西に進むと鳥居と参道が見えてきました。

こちらにもありました。

恋しくば 尋ねきてみよ 和泉なる

信太の森の うらみ葛の葉

神社の由緒です。

狐さんが神々しいです。

和泉式部さんの歌碑。

秋風は すこし吹くとも 葛の葉の

うらみがほには みへじともおもう

和泉式部のころには信太の森は知られていたのですねえ、なるほど。

ちなみに和泉式部の生年は天元元年(978年)で没年は不明。

安倍晴明は延喜二十一年(921年)生まれで寛弘二年1005年に亡くなっていますから、宮中でニアミスくらいしているかもしれません。

こちらは俳聖松尾芭蕉さん。

葛の葉の おもて見せけり 今朝の霜

しかしどこ行っても、松尾芭蕉さんの痕跡というか足跡に逢ってしまう気がします。

弘法大師空海と役行者にも(笑)

いざ本殿へ。

狐さんが4体もこちらを伺っています。

御祭神の方々。

最後に晴明の母がいました。

ご神木の楠に2つのお社があります。

葛の葉伝説。

姿見の井戸。

白狐化身の木。

この他にもいろいろな神様がおわしました。

例によって、予想通り弘法大師空海さんも祀られていましたよ。

それでは捜索を終わりにして、帰ることにします。

 

歩いて10分くらいで、北信太駅に戻ってきました。

明日も天気が持てば、安倍晴明を探してくるつもりです、でわ~

※御朱印はこちらです。

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岸和田城に登ってきました

2023-08-13 22:06:22 | 城攻め

2023年8月13日岸和田城に登ってきました。続100名城161番目のお城です。

まずは12時24分天下茶屋駅発の南海電鉄特急サザン21号に乗ります。

南斗六聖拳の一人(大嘘)、サザン21号。

12時41分には岸和田駅に到着です。早ーい(夢グループCMの保科有里さんっぽく言ってみました)

南海電鉄噂のステンドグラス、岸和田駅です。

お腹が空いて岸和田名物かしみん焼き(ググってみて下さい)を探したのですが、お盆のせいかお店が見つからず、まさかのお昼抜きでお城攻略に向かいました。

痛むように肌を刺してくる日差しの中、15分ほどゆるりと歩いてお城が見えてきました。

柳が涼しそう。

きれいな石垣ですね。

惚れ惚れしてしまいます。

亀さんも泳ぎたそうです。

いつものマンホール。岸和田市ではだんじりがメインかと思いきや、岸和田城が描かれていました。

カラー版までありました。

別のマンホール、岸和田城が左上に見えています。

犬走りがあるんですね。

二の丸跡に休憩所があって、冷たい飲み物をいただきました。では橋を渡って再攻略開始です。

別名千亀利城、元々岸和田城は猪伏山という丘の上に築かれてたそうです。

門の中に入りましょう。

門の内側です。

おおっ、お城が見えました!! 綺麗ですねぇ。

お庭に目をやると……

何やら怪しげな模様。その正体は……

八陣の庭なのでした。全部フレーム内に入らないですけれど。

ちょっとお庭の向こうに足を進めてみます。ナイスな景観です。

大小天守の名コンビ。

詳しい説明書きです、蜀の軍師諸葛孔明さんに由来するのだそうです。

夷陵の戦いで主君劉備の敗北を察した孔明が、蜀呉国境に築いたダンジョンめいたものが有名ですよね。

中に入ったら出られないのでしょうか……(諸葛先生、味なことをする by 陸遜)

天守側からお庭を拝見。

それにしても暑いので、お城の中に入場料300円(JAF割引210円)、御城印300円をお支払いして入ってみます。

涼しげな風鈴が鳴っていますよ~

3階にはお城の模型がありました。

天守外から見下ろした八陣の庭、迷ったら遭難必至ですよ、きっと。

お庭全景を見て、

もう一度美しい天守を見ます。

大小天守とお庭をパシャリ。

入ってきた門から外へ出ます。

史跡岸和田城がなく岸和田城のみの表示です。

桜越しの外観。

帰りは岸和田駅ではなく蛸地蔵駅を目指します。

歩いて8分程度で到着します、可愛らしい駅ですね。

ステンドグラスはこちら。

根来衆に襲われた岸和田城を、

お坊さんと何故か蛸が守ってくれるのです、これが蛸地蔵伝説(真剣)

岸和田城でGETした御城印と続100名城のスタンプ。

蛸の御城印ですよ(笑)

緑鮮やかな続100名城スタンプ。

それでは、次の目標に向かいます、暑いけど。でわ。

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丸亀城に登ってきました

2023-08-12 01:36:57 | 城攻め

2023年8月11日100名城の78番目の丸亀城に登ってきました。2017年の5月2日以来2回目です。

こんなトコです。

前日に、大阪の梅田バスターミナルから四国高速バスさんで9時出発13時13分着予定往復分を購入しました。

当日の様子です。阪急三番街の高速バス乗り場の表示が出ていますよ。紀伊国屋書店さんが目印。

バスターミナル。朝も早よからあちらこちらに行く人で大混雑。

難波、三宮、淡路島、善通寺経由で、1時間ほど遅れて14時29分にJR丸亀駅に到着です。

快適な高速バスでした、さぬきエクスプレス。

お腹が空きましたが昼も回って適当なお店が見当たりません、お城に向かいます。

こんぴら街道を南下、お城の表示が出ておりますが、周囲はシャッター商店街なのが残念。

うどん屋さんも見当たらず、お腹が空いたまま進むと、いきなり丸亀城が見えてきました。

高台に見えるだけで、胸がワクワクします。

とお城前広場でキッチンカーが出ていました。空腹に負けてしまい、近寄らずにいられません。

手前の食彩ゆみこさんで鳥天丼を購入しました。800円也、美味しいです。

お腹も満たしてお城攻略します。

史跡丸亀城跡です、さあ乗り込みましょう。

正面が大手二の門、右手が大手一の門、奥に天守が見えています。

お堀と石垣。

大手二の門に入って一の門を見ます。閉じ込められたら一巻の終わりですね。

一の門を潜りました。

年表がありました。

この間訪問した赤穂から生駒氏が転封、生駒氏が高松に移り廃城になって後、山崎氏、播州龍野から京極氏が移ってきました。

この京極氏は、織田信長の妹、お市の方の娘の茶々、初、江のうち、初が嫁いだ先ですね。

丸亀城はさぬき百景だそうです。

なんと大手一の門の中に入れるそうです!見に行きましょう!!

靴は脱ぎましょう。

鯱が飾ってありました。

京極氏の家紋平四つ目結と太鼓がありました。

丸亀城と言えば急な坂、ふうふう。

見返り坂から三の丸石垣を見上げます。

素晴らしい勾配。

坂を見るとマンホールも丸亀城です。団扇も有名なんですね。

見返り坂を折れると、更に石垣が近くなりました。

櫓跡から丸亀港と瀬戸内海が見えました。島々も見えますよ。

本丸方向の石垣も良い感じ。

見返り坂を見下ろすと、このお城は山城のような気がしてきました(笑)

お城案内図です。

東南の月見櫓から見た讃岐富士、飯野山で標高421メートル。

昔西行法師が「讃岐にはこれをば富士といいの山朝げ煙たたぬ日はなし」と詠んだそうです。

ん、言いのと飯野が掛かってます!さすが流浪の歌人、西行法師様。

南側の三の丸石垣。

三の丸に入ります。

丸亀城の「通りの神秘と憂愁」ですね。

右に曲がると……

二の丸跡。

山崎氏の檜扇、生駒氏の生駒車、京極氏の平四つ目の家紋入りです。

本丸に近づきましたよ~

最小の天守だそうです、確かに小さい。

可愛らしい感じですよ。

瀬戸内海に向くお城は優美な感じがします。

では、入ってみましょう。

天守見学代は200円、御城印が300円、お城カードが350円ですべて入手できました。100名城スタンプもありましたよ。

日付なしの御城印。

お城カード。

お城内は撮影可能です。

険しい階段です。

大筒狭間。口径の大きな銃を構えることができるのでしょうか。

天守三階の階段。

現存天守の梁です。

私独りになった瞬間を狙ってパシャリ。

お城の外に出てもう一枚、中は暑く汗だらけになりました。

天守というより三重櫓ですよねえ。

天守から二の丸跡を見下ろします、高い高い。

井戸の工事者が口封じに殺されてしまったという哀しい伝説があるそうです。

ホラーっぽい井戸、まだ水を湛えています。

井戸の奥から降りれました。見学者たちの姿が見えています。

これは登れませんよ~

天守を見上げます。

この角度がたまりませんです。

見返り坂に出れましたので下りますよ。

やっぱり急勾配。下りは楽ですけど。

二つの門を結ぶ枡形を覗きます、侵入者はここで倒されます。

ん、人が写ってますね、こんなところでスマホを見んでもいいのに┐(´д`)┌ヤレヤレ

坂を降りて資料館の方に進みます。何だか武士が現れそうな雰囲気。

振り返ると一の門。こちらにも武士が出てきそうです。

立派な門です、京極氏の屋敷にあった玄関先御門。

瓦には京極氏の紋入り。

搦手口は残念なことに石垣が崩れており、修復中で進めません。

ならば資料館は、と思いましたら16時半を過ぎており閉館。帰りのバスが18時17分ですので、おとなしく引き上げます。

高い高い丸亀城よ、さようなら。

丸亀市役所付近でマンホール。日本刀のにっかり青江。

莞爾と笑う幽霊を切ったと思って翌朝見に行ったら、石堂を切っていたという逸話の刀です。

単に慌てん坊なお侍さんではなかったのでしょうか。幽霊の正体見たり枯れ尾花的な。

ちなみに入れなかった丸亀市立博物館が所有しているそうです、残念。

JR丸亀駅に着きました。また梅田まで揺られます。

バス旅でもいろいろ楽しめそうですので、また巡ってみます。

でわ。

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赤穂城に登ってきました

2023-08-04 23:03:08 | 城攻め

2023年8月4日100名城は60番目の赤穂城に登ってきました。

こんなトコ。

安心して下さい、山城ではなく平城です。

安心して下さい、履いてますよ、のとにかく明るい安村さんのイギリスでの大活躍はこちら。

姫路駅から山陽本線赤穂行きに乗ります。相生駅で黄色い電車の岡山行きを見かけました。

ここまで来れば中国地方が近いんですよね。

とにかく姫路から約30分で播州赤穂駅に到着です。2009年以来2度目の赤穂、15年ぶり(笑)

駅からして義士関連押しが強調されています。

前は歩いたのですが、今回はレンタサイクルを駅前でお借りして出発進行~

播州赤穂駅。傍らに大石内蔵助がいます。

金曜日ということもあってか人が全然いません(´・ω・`)

5分ほど走ると義士あんどんと呼ばれるからくり時計が出てきました。

江戸からのニュース(お殿様の凶行)を走って伝えた飛脚が咽喉を潤おしたという話のある井戸もあります。

息継ぎ井戸と呼ばれています。

更に進むとお城に突き当たって、櫓が見えました。

立派な大手隅櫓。

大手門。橋の下に亀がいます。

橋を渡らずに大手櫓を迂回すると、塩屋門跡に到着。

字が読めませんが、昔の写真があったので分かりました。「元禄の名残り豊かな赤穂城址」と書いてあるのです。

塩屋門の石垣。

説明書きです。

流浪の坊さんにして歌人の良寛さんの歌碑がありますが、全く読めませんです。

あこうてふところにて天神の森に宿りぬ
さよふけがたあらしのいとさむふふきたりければ
やまあらしよ いたくなふきそ しろたへの
ころもかたしき たひねせしよは

だそうです。漢字版はこれかな。

山嵐よ いたく泣ふきそ 白妙の

衣片敷き 旅寝せし 夜は

ちょっと戻ると三之丸西隅櫓台がありました。お見事ですねえ。

塩屋門に戻って中に入ると、浅野時代の赤穂藩の高級武士たちの屋敷跡が目につきました。

例えば大野九郎兵衛知房。

経済に詳しく家老になりますが、赤穂開城前に出奔、討入には不参加。

間瀬さん、磯貝さん、鈴田さん、寺井さんと続きます。そしていきなり大石神社がドーン!!

四十七士の石像が並んでいます。中国の兵馬俑っぽいなと思ったら、まず石が中国の大理石、制作者も向うの兵馬俑の学校で携わった方らしいですよ。

恐るべし Made in China!!

神社本殿です、いつもの様に無事を祈念しました。

ほとんど人がいません。風鈴の音が涼やか。

神社の由緒書きです。明治33年創立なんですって。

更に御祭神は大石内蔵助含め四十七士、討入前に世間とのしがらみで自決した萱野三平さん、常盤国笠間から移ってきた赤穂藩初代藩主浅野長直、三代藩主にして事件の張本人浅野内匠頭長矩、その弟でとばっちりを受けた浅野大学(長広)、後に赤穂を治めた森家の森可成、鬼武蔵森長可、森蘭丸三兄弟などしめて五十八柱(;´Д`)

大石内蔵助さん像。

大石主税くん像。最年少の16才です。

神社の近くに大石内蔵助屋敷跡があります。別途料金が掛かるので入りませんでした。

大石内蔵助屋敷跡を抜けると大手櫓、大手門に出ます。

大手門と橋を抜けて振り返ります。

先に中を探検しましょう、戻ります。

本丸門です。自転車を止めて入ってみましょう。

素晴らしいなあ。

本丸門から顧みます。

お城の中です。

更に奥へ。

狭間から門を臨みます。

本丸案内図、天守台のみがあるのみなんです。

ブラタモリの番組なら食いつきそうな暗渠跡。

暗渠から進むと刎橋門。登っても向う側には行けませんよ。

天守台跡です。

天守は建てなかったんですねえ。

登っても何もなしです。

詳しい説明書きがありましたよ。

本丸厩口門。

夏草に隠れた隅櫓台。

厩口門を出ました。

公園になっておりお堀に囲まれています。

ちょっと巡ってみましょう。

刎橋門を外から見るとこうなっております。繋がっていませんね。

晴れた公園内を散歩。

更に水手門。

その名の通り加里屋川と繋がっていて、海にも出れるようになっています。

船で荷物を運搬できるんです。

公園を一周しました。西仕切り門を潜ります。

二之丸庭園になっていました。

軍学者山鹿素行さんが赤穂に配流された時、この辺りで著作をまとめていたようです。

出ると本丸門のところに出てきました。

ふと地面に目をやると、消火栓のマークが赤穂浪士討入バージョンになっていました。

12時半を回りました、お腹が空いたので何か食べに行きましょう。

大手門を出たところにある巴屋さん、名物討入そばですって。

店内から見る赤穂城。鯉も暑そう。

店内には義士関連がありました。

これは大石内蔵助の討入口上書の写しです。幕府への言い訳をきちんと用意していたんですね。

お待ちかねの討入そばです。1,160円なり。

胡麻が断然美味しいです、塩最中付き。

食後、巴屋さんの本店を発見。

うーむ、なんちゃってお城にカテゴライズしたいかも。

その隣にはポストが。浅野の違い鷹の羽紋と巴屋さんの巴紋?

また大手隅櫓を眺めて、

行ったことのない清水門跡の方へ。

幅の大きな門ですね。

その奥が赤穂市立歴史博物館。

入場料200円ですがJAF割引が有効でした。

写真撮影はNGです。

2階のシアタ-で所謂忠臣蔵のストーリーを学びました。

赤穂義士討入と忠臣蔵は違うので要注意ですよ。忠臣蔵では足利時代に想定されております。

吉良上野介 → 高師直

浅野内匠頭 → 塩谷判官

大石内蔵助 → 大星由良助

といった具合です。

そろそろ戻りがてら花岳寺に寄っていきます。

赤穂藩の菩提寺だそうです。

立派な本堂。

太平洋戦争の際にも、赤穂義士に免じて鐘の供出は免れたそうです。

観光協会でGETした御城印です。火消装束模様。

日付を間違ってしまいました(;´Д`)

市立歴史博物館で100名城スタンプをもらってしまいました。

思えば2009年初めていただいたスタンプがきっかけなんですよね、懐かしいです。

自転車を無事返却して帰ることにします。

赤穂線はあまり本数がなく注意です、でわ。

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