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トム・クルーズ。。。マイノリティーリポートが面白かった

2023-08-25 02:23:01 | 政治
マイノリティーリポートという映画をご存じでしょうか?
私は前に一度だけ見た記憶があるのですが、ほとんど内容を覚えていませんでした
ネタバレを避けるため結末まではお話ししませんが、昨日、あらためてこの映画をじっくり見たのでその感想的なものを書きます
内容としては、未来予知によって殺人などの犯罪を事前に察知し、犯人を「未然に逮捕する」権限を持つ「犯罪予防対策班」に務める主人公が
ある日未来予知システムによって、主人公が殺人を犯してしまうという犯罪警告を受けてしまいます
彼(トム・クルーズ)は、同僚の対策班たちや司法省の追っ手から逃げまわりながら、なぜ自分が殺人を犯さなければならないのか?
その事の真相に近づいていく、という物語です

私はこの映画を見て、正直寒気がしました
何が怖いって?その未来社会では、あらゆる人の網膜の光彩データが、その人のIDや犯罪歴「その他の個人データに紐付けられ
乗り物に乗るのも、どこかへ買い物に行くのも、どこかの施設に入るのも、すべて網膜のスキャンを受けて個人を特定されてしまう
というところです。。。。これは洒落にならないぐらい恐ろしいと思いました
監視社会の姿を理解するには、この映画は最適でしたね

そしてこの映画には私にとって、様々な課題と言いますか、重要な教訓が込められていました
まず第一に、人間社会にとって、安全安心であることは重要なことではあるのですが、それと同じぐらい大事なものは、「自由」だと私は思うのです
特に、人が心の中で考えること、これを制限することは、大きな過ちを含んでいると思います
マイノリティーリポートの「犯罪予防対策班」は、まあ極端な表現でもあるわけですが
現実に罪を犯していなくても、犯そうとした時点で罰せられるという事になりますと
これは「個人の内心の自由」に対して、政府が制限をかけることができる。。。という事なのですよ
要するに、心の中で具体化して計画を練っただけで現実の罪になるので、「考える事すら許さない」ということなんですね
これ、一見犯罪抑止の効果があって良いように見えるわけですが、逆に「自由」が大きく損なわれることになると思います

マイノリティーリポートを見ていて思うのは、ハリウッドで映画を作っている製作スタッフはもとより、一般的アメリカ人は
「記憶は脳の中にある」と思っているような気がするのです
この映画では、未来予知をするのは三人の特殊能力者なのですが、この三人の能力者が見た映像を
最新鋭の機械を使って脳の中から読み取って映像化する。。。そんなシステムなので
脳の機能を解明した未来システム。。。という事らしいのです

私が率直に思うのは、キリスト教徒の多いアメリカ人ではあるのですが、クリスチャンであっても、魂とか霊とかはよく分からないのだろうと思います
物理的な脳の機能の中に、なぜ未来を読み取る能力があるのか?それが全然分かっていないようなんですね
実際には、未来の記憶など脳にあるわけもなく、これは霊的なものを理解しない限り、物理的現象として説明するのは不可能です
そもそも過去の記憶であっても、それが脳の中にあるわけではないんですけどね。。。コンピューターの記憶媒体と勘違いしています

私が何でこんな話をしているかといいますと、それにはまあ理由があります
一般的な、信仰深い人も含めた平均的アメリカ人は、実のところ、唯物論に大きく毒されいていると私は思うわけです
唯物論的な考え方が強くなると、「社会の安全確保や犯罪抑止のためには監視を強化するべき」という方向に向かいがちになります
だから、網膜の光彩データを使って、一人一人のIDデータを監視する。。。みたいな発想が出てくるわけです
これは中国の監視システムや日本のデジタル庁の発想もすべて同じで、「他人を管理・監視する」という発想です
そのためにAIでシステムをコントロールし、「一人一人の行動が、ルールを逸脱したものになっていないかを監視する」
ということになります
これを具体的に考えてみますとね、例えば、LGBT法案に違反していないかをAIが監視するとどうなるか?
それはね。。。女湯に入ろうとする男性の侵入を阻んだ温泉の従業員の方が処罰の対象になってしまうわけです
これは極端な例ですが、AIが他人を監視すると、人間が恣意的に作った法律によって人間の行動が縛られることになるわけです
分かりにくかったですね。。。
つまり、人間の作った法律が、たとえどんなに矛盾していようとも、監視技術は、その矛盾した法律を人間に適用しようとするわけです
結局、AIに善と悪の判定はできないわけで、それをするのは人間が恣意的に作った法律でありルール。。。ということになるわけです

私は、マイノリティーリポートをあらためて見ていて、宗教的真理がどうして大切であるのか?それを深く考えさせられました
結局こういうことなのですよ
実は、人類の倫理観を育んできたものは、AIでも法律でもない、宗教的な普遍的真理であったわけです
キリスト教やユダヤ教では聖書の教えであったり、イスラム教のコーランであったり、仏教では仏典であった。。。儒教も入るでしょうか
「汝の隣人を愛しなさい」という言葉一つをとってみても、AIにはなぜそれが正しいのかの理由は分からないわけです
唯物論的にみて、人間が機械の延長なら、ルールを逸脱する人間は「不良品」ですから
それを監視し、場合によってはそれを排除することが正義になるわけです
ですから、監視社会はAI的に見れば正義であり正しいという事になる
これが嫌だというなら、人間は人間の本質をきちんと見直すべきですね
人間の本質は魂や霊というものであって、肉体は単なる魂の乗り物にすぎない
本来は魂としての人間が本質なのであって、だからこそ、AIとは違うルールが適用されるべきなのです

私は過去、何度も言ってきましたが。。。人間がまず学ぶべきは宗教的真理のはずです
人間の本質がなんであるかを知り、なぜこの三次元世界があるかの理由を知れば、人間が機械(AI)によって監視される社会が
どれほど愚かな試みであるかが分かるはずです
人間自らが、自分たちを価値のない機械だとみなして、それで納得できるのでしょうか?
デジタルデジタルと、昨今ではもてはやされ、チャットGPTが話題ですが
価値判断。。。特に人間の善悪の価値判断をAIにお任せするほど愚かであってはいけません
それを本日の結論としたいと思います
コメント
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