「新」経世済民新聞 三橋貴明 公式チャンネルでこんな動画があげられていました
税は財源じゃない?!「なら無税国家でOK?」←絶対ダメ!(室伏謙一×森井じゅん)
動画としては難しい部分もありますが、税についての考え方において、頭を整理するという意味ではいい動画なのではないかと思います
ただ、残念ながら、政治の本質において必要なものは、税の技術論ではなくて、本当は「政治哲学」なのです
ここがわかっていない方が多いのが残念です。。。ただ、このお二人とも、政治家ではなく評論家なので、仕方がないのかな?と思いますが
一点、お二人の消費税の議論はもっともな話だと思います
ただ、私が警鐘を鳴らしておきたいと思うことがあります
それは税が財源ではなくて政策調整の技術だという点です。。。機能的には確かに、それはその通りなのですが
税を単なる政策調整における技術的な手段だと考えると、これはおそらく間違いのもとになります
その考え方は、社会主義、共産主義と極めて近い考え方なのです
これが分かるか分からないかで、政治家か評論家かの違いが出てくると思われるのです
三橋経済塾を勉強されている方には、ぜひともトランポノミクスの考え方を学んでほしいと、私は思っています
トランポノミクスには本当の「政治哲学」があります
政治哲学が欠けた経済学の技術論など、本当はマルクス主義者のエリートたちの議論と何ら変わりがないのですよ
政治家は、一時的に税を技術として使う側面があったとしても、それでも、単に税を技術論として考えてはいけないのです
税にはね、「国民各個人の責任感を養う」という側面があるのですよ。。。これを忘れた税の技術論などまったく意味がないのです
国民の三大義務というものの中に、納税の義務というものがありますが
もし税が単なる技術論だとしたら、「納税の義務はいらない」、という議論になるのですよ
税を徴収する正当性が失われるのです。。。税は単に経済指標によって「お上」が意図的に調整するシロモノ、ということになります
これのどこに正当性があるのでしょうか?私なら、インフレ調整のためだけにお上に税率を決められるなんて、まっぴらごめんです
最終的に、インフレ調整のためだけに税が使われるとなれば、税の多寡は政府によって意図的に調整されるインフレ調整装置ということになる
恣意的に税の徴収が行われることもあれば、ゆがんだ考え方の官僚によって不当な税を取られることもある
これはね、一部のエリート層が国民の資産を管理し、国民の資産の額を調整することができる、ということなのですよ
それこそ、マイナンバーなどが正当化されることになりますよ。。。
なぜなら、税がインフレ調整装置なら、国民一人一人の資産を政府が厳格に管理する必要が出てくるからです
。。。不公平がないように。。。という名目でね
やはり、税というものは「自らが受けている社会インフラや治安維持・国防の恩恵に対し、対価を払う」ということでいいんですよ
お金が儲かった人は、社会インフラの恩恵を十分に受けたということで、感謝の意味を込めて納税する、ということでいいと思います
MMTをあまりにも勉強しすぎると、技術論で相手を言い負かそうとする。。。しかしね
技術論で政治ができるほど、本当は世の中は単純じゃありません
世の中においてはね、「自己責任」という考え方が大事なんです。。。自分の人生は自分で責任を持つ。。。これが一つ
逆にもし、税が義務でないとしたら、「社会保障は国がやればいい」、ということになる、これは個人の責任の放棄につながる
自分の親の面倒は国が見ればいいのですか?子供は国が育てればいいのですか?
そんなものじゃないでしょう?
自分の家族に対する責任がなくなってしまったら、これは自己中心的な世の中になる。。。これは社会主義、共産主義が持つ考え方と共通しているのです
MMTを推進する人たちは、財政規律論を敵視しますが、財政規律を大切にしようとする考え方の中には、
モラルを大事にしようとする考え方が含まれていることもまた事実なのです
「国の恩恵を受けたなら、それ相応の対価を払う」、という考え方は、まっとうな考え方でもあるのですよ
だからこそ、「小さな政府」の考え方が必要なのです
小さな政府の主張のように、自分でできることは努力し、自己責任を持ちましょう、という考え方が異端だとは私には思えないのです
MMTという考え方は、事実を言い表したものではあるのだけれども、そこには政治哲学がないのです
国民一人一人が、義務を放棄し、自分が家族を扶養し協力して生活する義務を放棄すればどうなるか?
義務感のない人、責任感のない人たちが増えれば、社会は発展するどころか、崩壊します
人間には自由があるが、また、自由に伴う責任から逃れることはできない。。。これでいいんだと思います