安い税金と小さな政府を切望するふきあえずのブログ

安全で暮らしやすい日本をつくりたい
そんな想いを綴っていくブログにしたいと思います

税の技術論では政治は語れない。。。政治哲学こそが本質です

2021-03-30 23:59:53 | 政治

「新」経世済民新聞 三橋貴明 公式チャンネルでこんな動画があげられていました

税は財源じゃない?!「なら無税国家でOK?」←絶対ダメ!(室伏謙一×森井じゅん)

動画としては難しい部分もありますが、税についての考え方において、頭を整理するという意味ではいい動画なのではないかと思います
ただ、残念ながら、政治の本質において必要なものは、税の技術論ではなくて、本当は「政治哲学」なのです
ここがわかっていない方が多いのが残念です。。。ただ、このお二人とも、政治家ではなく評論家なので、仕方がないのかな?と思いますが
一点、お二人の消費税の議論はもっともな話だと思います

ただ、私が警鐘を鳴らしておきたいと思うことがあります
それは税が財源ではなくて政策調整の技術だという点です。。。機能的には確かに、それはその通りなのですが
税を単なる政策調整における技術的な手段だと考えると、これはおそらく間違いのもとになります
その考え方は、社会主義、共産主義と極めて近い考え方なのです
これが分かるか分からないかで、政治家か評論家かの違いが出てくると思われるのです

三橋経済塾を勉強されている方には、ぜひともトランポノミクスの考え方を学んでほしいと、私は思っています
トランポノミクスには本当の「政治哲学」があります
政治哲学が欠けた経済学の技術論など、本当はマルクス主義者のエリートたちの議論と何ら変わりがないのですよ
政治家は、一時的に税を技術として使う側面があったとしても、それでも、単に税を技術論として考えてはいけないのです
税にはね、「国民各個人の責任感を養う」という側面があるのですよ。。。これを忘れた税の技術論などまったく意味がないのです
国民の三大義務というものの中に、納税の義務というものがありますが
もし税が単なる技術論だとしたら、「納税の義務はいらない」、という議論になるのですよ
税を徴収する正当性が失われるのです。。。税は単に経済指標によって「お上」が意図的に調整するシロモノ、ということになります
これのどこに正当性があるのでしょうか?私なら、インフレ調整のためだけにお上に税率を決められるなんて、まっぴらごめんです
最終的に、インフレ調整のためだけに税が使われるとなれば、税の多寡は政府によって意図的に調整されるインフレ調整装置ということになる
恣意的に税の徴収が行われることもあれば、ゆがんだ考え方の官僚によって不当な税を取られることもある
これはね、一部のエリート層が国民の資産を管理し、国民の資産の額を調整することができる、ということなのですよ
それこそ、マイナンバーなどが正当化されることになりますよ。。。
なぜなら、税がインフレ調整装置なら、国民一人一人の資産を政府が厳格に管理する必要が出てくるからです
。。。不公平がないように。。。という名目でね

やはり、税というものは「自らが受けている社会インフラや治安維持・国防の恩恵に対し、対価を払う」ということでいいんですよ
お金が儲かった人は、社会インフラの恩恵を十分に受けたということで、感謝の意味を込めて納税する、ということでいいと思います
MMTをあまりにも勉強しすぎると、技術論で相手を言い負かそうとする。。。しかしね
技術論で政治ができるほど、本当は世の中は単純じゃありません
世の中においてはね、「自己責任」という考え方が大事なんです。。。自分の人生は自分で責任を持つ。。。これが一つ
逆にもし、税が義務でないとしたら、「社会保障は国がやればいい」、ということになる、これは個人の責任の放棄につながる
自分の親の面倒は国が見ればいいのですか?子供は国が育てればいいのですか?
そんなものじゃないでしょう?
自分の家族に対する責任がなくなってしまったら、これは自己中心的な世の中になる。。。これは社会主義、共産主義が持つ考え方と共通しているのです

MMTを推進する人たちは、財政規律論を敵視しますが、財政規律を大切にしようとする考え方の中には、
モラルを大事にしようとする考え方が含まれていることもまた事実なのです
「国の恩恵を受けたなら、それ相応の対価を払う」、という考え方は、まっとうな考え方でもあるのですよ
だからこそ、「小さな政府」の考え方が必要なのです
小さな政府の主張のように、自分でできることは努力し、自己責任を持ちましょう、という考え方が異端だとは私には思えないのです
MMTという考え方は、事実を言い表したものではあるのだけれども、そこには政治哲学がないのです
国民一人一人が、義務を放棄し、自分が家族を扶養し協力して生活する義務を放棄すればどうなるか?
義務感のない人、責任感のない人たちが増えれば、社会は発展するどころか、崩壊します
人間には自由があるが、また、自由に伴う責任から逃れることはできない。。。これでいいんだと思います
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コロナの何が怖いの?

2021-03-29 23:51:25 | 政治
最近のメディア報道を見ていると、まるで何かにとりつかれたように「再拡大」とか「第4波」とか
そういう言葉が繰り返され、「自粛」を連呼しています
東京都などは自粛要請に従わない店舗に対し、罰則・罰金も含めた強制的な措置を裁判所に申請しているそうです

もうやめようよ。。。そんなこと。。。。正直、法律うんぬんよりも、強制的な規制は基本的人権の侵害でしょう

去年・今年と、インフルエンザによる死者の数は大幅に減っており、コロナの死者が増えているようですが
冷静になって考えてみれば、そんなに大騒ぎしなければいけないような状態なのか?正直疑問です
高齢者なら肺炎は日常茶飯事だし、誤嚥性(呼吸器官に食べ物などが誤って入り込む状態)の肺炎を含め、高齢者の死因としては
かなり多いと思います
それはコロナやインフルエンザによる肺炎だけじゃないわけですが、そこを冷静に考えてみたほうがいいと思います

そしてもう一点
PCR検査への妄信がひどすぎますね
イギリスの報道では、検体40サイクルの場合、誤診率が90%だったとか(笑)
まずは、コロナウイルスの正確な検査方法の確立から急いだほうがいいですね(笑)
グレープフルーツジュースを飲んだら陽性になったとか、いい加減なんですから、PCRを科学技術の成果で間違いないんだ
とか、妄信するのはほどほどにしたほうがいいですよ
それで、もっともっと、きちんとした対応方法を各自の責任で実施したほうがいいですよ

まず、コロナは日光に弱いということが報告されています
ほかの悪性菌と同じく、紫外線殺菌が有効なんですね。。。これは考えてみればわかります
コロナはもともとコウモリに寄生する菌。。。暗い洞窟のような場所に住む生物が宿主ということは
日光の下に出てくるのは苦手である可能性があるわけです
だからクラブとか、夜のネオン街みたいな暗くて閉鎖的な場所が好きなわけです
おそらく、コロナ菌というのは他に寄生しなくては生きていけない存在なので
常に宿主を探しているわけですが、弱い菌であることは確かでしょう
ならば、別に日光の下でのお花見とか、規制する必要はないでしょうね、開放的ですしね
殺菌という面では、あらゆることが効果があるんじゃないでしょうか?塩素系だとかオゾンだとか、アルコールだとか
もう基本的な手洗い、うがい、マスクなどを習慣にすれば、それほど恐れることもありませんでしょう
変異株が恐れられているようですが、しょせんはどこかに付着しやすいというだけで、ウイルスの性質そのものが変わるわけじゃありません

それとね、三橋さんが動画で、コロナは感染者を選ばない、お金持ちだから感染しないということはない、と言っていましたが、
どうやらそれも間違いがあるようで、細菌学の専門家に言わせると、コロナのような悪性菌は、宿主を選ぶんだそうです(笑)
同じ空間にいて、完全に感染するような状況でも、まったく感染しない人がいる。
不思議ですが、ウイルスにも意思があるように、感染対象を選ぶのだそうです
私は、ウイルスにも意思があるというのはその通りだと思います。おそらく、簡単な感情のようなものはあるでしょう
免疫力というのは、明るく積極的な人は強くなるのだそうです
その通りだと思いますね
私は、コロナに対して一番いけないのは「恐怖心」だと確信しています
だから、コロナの悪いニュースを一日に何度も見せられてはいるけれども、心の中から努力して恐怖心を追い出しています(笑)
だいたい、コロナのような薄暗い洞穴でこそこそと生きているような菌に、本来負けるようなもんじゃないでしょう
若いとか年を取っているとか、糖尿病をもっているとか、いろいろあるかもしれませんが
その心の中の恐怖心とこそ、戦うべきであって、敵は自分の中にあるんですよ
コロナ感染者と接触したら自分も感染するとか、そんなことは多分ありません
人は無菌状態の中では生きられず、社会的に他人との接触を切れない生き物です
感染対策をしっかりしていれば、自治体の長が大げさに規制をかけるようなことでもないと思います

正直、私は事ここに至っても、コロナに対する恐怖心が全く湧いてこないんです
もう、いい加減、普通の生活に戻りましょうよ、ね
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MMTを勉強するとこういう思考に陥りやすくなるという典型

2021-03-26 00:39:53 | 政治
「現代貨幣理論入門」の原著の著者であるL・ランダル・レイ教授は
「MMT(現代貨幣理論)は、大きな政府志向であれ小さな政府志向であれ、その人の主義主張に関わりなく使用できる理論である」と述べています
まさにその通りだと私も思いますが、ただ、MMTを学ぶほど、社会主義型の大きな政府に思考が傾いていく方が多いようです
今日は「「新」経世済民新聞 三橋貴明 公式チャンネル」から、このユーチューブ番組を取り上げてみたいと思います

【打倒!!緊縮財政】「MMTは正しいが、コロナ増税しましょう」の矛盾[前編](池戸万作)

動画の中で取り上げられている岸本周平衆議院議員ですが、この方はMMTを中途半端に理解していて、解釈が間違っています
理論上の正誤は動画の説明の通りかと思いますので割愛しますが
しかし、この池戸万作さんの説明を聞いていて、はっきり言いまして、この人の考え方は実政治では使えないと、率直に感じます
この池戸さん、申し訳ないが、もう少し人間学を学ぶべきですね

まず池戸さんの説に突っ込みを入れたいのは3:30頃のところで
持続化給付金を諸手を挙げて賛成していますが、持続化給付金をいつまで配れというのでしょうか?
この人は理論でばかり話をしていますが、政府が国民にお金を配れば国がよくなると、本気でそう考えているようです
しかし残念ながら、そうはならないであろうというのが私の考えです
この考え方は災害の時に政府の配給によって国民を救うということで、配給型社会主義なんですよ、それがなぜ分からないんでしょうか?
この方の考え方は、資本主義経済の考え方じゃないですね

MMTを推し進めている方が、つとによく語るのが、「日本は緊縮財政を続けてきたからデフレで経済成長できなかった」
という主張ですが、しかしよくよく考えてみていただきたいんです
財政拡大はしなかったかもしれないが、日本には積みあがった膨大な政府債務があります
MMTでは、政府の赤字は、民間の黒字、もしくは貿易部門の黒字、ということになりますが
「政府債務がこれだけ積みあがっているのに、なぜ今まで経済成長できなかったのか?」
この点を。。。本当は、ここをこそ問うべきなのではないですか?
原因があるんですよ、成長できなかった原因がね。。。
日本人は反省ができていないんです。。。原因追及ができていない

この池戸さん、ベーシックインカムのように継続的に配るべきだ、みたいなことを言っていますが
これがこの方の一番の間違いですね
他者から施しを受けることに慣れた人は、努力を放棄する傾向がある。。。この部分の人間学が足りないと思います
つまり、資本主義の精神、自らが努力して積み上げたお金を元手にして事業を立ち上げ、努力して大きくする
こうした努力型の社会構造。。。資本主義の精神が欠けたらダメなんですよ
要するに、今の日本は何もかも政府に依存する傾向が強くなっていて、パイオニア精神がなくなってきているんですよ
これが、日本政府の膨大な負債にもかかわらず日本が経済成長できなかった本当の理由だと私は思います

MMTを推進している玉木さんたちにも言えることですが、結局、生きたお金の使い方を知らないんですよ
国民に直接お金を配ったり、国民の負担を減らすために補助金をばらまけば景気が良くなると思っている。。。
そういう考え方ではダメなんです。。。死んだお金の使い方をしているんですよ、お金の使い方で国民の労働意欲を削いでいるんです
国が国民の面倒を見るべきだ。。。その考え方が受け入れやすいことは重々承知していますが、でもそれは国の成長を阻害するんです
意欲のない国民が多ければ、国が経済成長することもまた、ありえないのですよ

国民全員にベーシックインカムなんて、ナンセンスです
そんな金があるんなら、減税して税金をシンプルにしたほうがよっぽどいい
消費税は消費にかかる罰金ですが、MMT論者なら、まずは減税からです
そのうえで「国民に」かかっている規制の枠を取り除いて国民の自由度を上げていくこと
「国民に」とかっこつきにしたのは、「国民の」自由を上げることがまず先決であって、
外国勢力や外国の投資家の好きにさせろ、と言っているんじゃないんです

そのためには政府の機能をもっとシンプルに、わかりやすくするべきです
それこそ、真の「小さな政府」なのです
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ピンハネビジネスをどう考えるか?

2021-03-24 08:32:34 | 政治
たまに批判もしている三橋貴明さんの動画ですが、このような良い動画を上げてくることが多いので、その点、認めています

悪魔の方が優しく見える ウーバー・イーツの残酷なビジネスモデル [三橋TV第367回] 三橋貴明・高家望愛

このプラットフォームビジネスの問題というのは、どこの業界でも同じで、要するに独占企業が強くなりすぎるという問題点があるわけです
大きいところでは放送業界しかり、アマゾン、ビッグテックSNS(ツイッター、フェイスブック、LINE)しかりです
放送業界では、プラットフォームとして、電通という広告代理店が広告枠をほぼ独占しており、これがガンとなって他社が参入できない
という問題となっています
こういう寡占化の問題は、自由競争下ではえてして起こりがちになります

では、こうしたプラットフォームビジネスに、なにか規制をかければいいのか?ということですが、ここは慎重にするべきではないでしょうか?
私は、ウーバーのような「外に責任を取らないピンハネ企業」に対しては、対外責任を持たせることを検討すべきだとは思いますが
もっと肝心なことは、「規制よりも自由化」だと思うのです
タクシーとウーバー(プラットフォームで運営する白タク)の問題でもそうですが
基本的にはタクシー業界の「利益」と「権益」を優先するあまり、新規参入と新しいシステムの導入を拒んでいたのは確かだと思うのです

これが放送業界なら事は簡単です、放送事業法を改正し、新規参入をどんどん認めればいいわけです
アメリカのように50以上の放送局があれば、すべての放送局が特定の広告代理店の影響下に入ることは防げるわけです
地方局にもキー局化を認めて、自らの広告収入やNHKのような定期視聴料の徴収を認めればいいわけです
小さく分散させて、影響力をそぎつつ、いいものが残る形にするのが理想だといえるのではないでしょうか?
そういう意味では、プラットフォーム企業も、どんどん分化し、小さな企業がどんどん育っていく土壌を作る必要があると思います

政治家は常に国民のために何かをしようと考えて政治家になるわけですが
大体が、お金を出して何かをしようと考えます
しかし、政治の一番重要なものの一つに「自由の創設」という要諦があるように、私は思うのです
自由の領域を広げ、常に新しいイノベーションが起きてくる社会を良しとする
それでこそ、民間の資金需要が生まれ、経済が活性化し、創造的な社会が生まれるものだと思うのです

政治家はまず、国民に課せられた縛りを解きなさい
国民をできる限り自由にし、自らの自助精神で新しいものが生み出されやすくなるように、民間の自立を促すべきです
まかり間違っても、お金をばらまいてあらゆることに口を出すのが政治。。。なんてことは、考えるべきではない
私はそう思います
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昨日バンキシャを見て思ったこと

2021-03-22 06:11:31 | 政治
昨日、バンキシャという夕方の報道番組を見て思ったことですが
随分と、各地の観光地に人が増えている様子で、それは最近の、近所のショッピングモールのリニューアル時の人出にも言えることですが
とにかく、人が増えているのを感じます。
私の住んでいる地域の近所には、”最大級”と言われるショッピングモールがあるのですが、ここ最近、とにかく駐車場に車が入っていて
その周辺も交通渋滞がひどく、車で走ることが多い私にとっては、残念な状況になっています
まあ、渋滞については緩和策をとって欲しいところですが、ショッピングモールに人が増えていること自体は、喜ぶべきことだと思います

バンキシャでは、医学の専門家と称する人と、経済の専門家と称する人、二人を招いてしゃべらせていましたが
「何が専門家なんだか。。。」と、正直バカみたいだと思いましたね
医者にしたって感染症と戦った経験があるわけでもないでしょうし、経済の専門家が経営の経験を持っているようには見えません
でも、この人出を見ると、世の中の人は、それほどパンデミックを怖がっているのか?正直疑問に思います
本当は「自粛ムード」という空気を恐れているだけではないのか?という感じも受けます

及川幸久さんの動画を拝見していると、どうやらイギリスではこの数か月、インフルエンザの感染がゼロで、起きていないとのことです
この理由を及川さんは「インフルエンザもコロナとしてカウントされている可能性がある」と指摘していましたが
そういうこともあるかもしれませんけれども、私はそれだけではないと思います
PCR検査の不確実さは多くの方が認めているところで、検体増幅を30サイクルにするのか35なのか40なのか?
その増幅回数によって、結果が大きく違ってくるということのようです
それによって、PCR検査の誤診率が90%にもなるというのなら、これはどうしようもない
それだけを見ても、不確実な検査方法を「科学的」と称して、踊らされているだけではないのか?と正直、疑問に思います
グレープフルーツを食べただけで陽性反応が出たとか、はっきり言って、これを信じるのは科学信仰というべき愚かさでしょう

私は、コロナウイルスというものが、誇張され、過度に危険性があおられているというのが事実だと思います
コロナウイルスというのは、確かに流行性のものではあるけれども、それほど危険なものではないと思います
少なくとも、大流行しているといわれていた1月でも、例年のインフルエンザの域を出ていません
変異型が極度に恐れられていますが、変異型がそれほど危険ならば、今頃は急速に拡大しているはずです
推測ですが、おそらくコロナウイルスは、中共による開発時に人種別に効き目の違うものが開発されていて、
それがイギリス型とか、南米型とか、種類の違うものとして各地にばらまかれて流行しているというのが真相でしょう
臭いにおいはもとから立たなきゃダメ、というCMがかつてありましたが
コロナの流行が中国共産党によるバイオテロだということを、各国が追求することなくしては
根本的な解決などありえない。。。と、私は思いますよ

一番恐ろしいのは、中国共産党によって、あらたな致死率の高いウイルスがばらまかれることです
マスコミは枝葉ばかりチマチマと追及し、人々の恐怖心をあおり、人々の自由を制限し、経済を破壊していますが
肝心な、ウイルスの起源については何一つ追求しない。。。。愚かだと思いますね
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