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最近では、「価値判断をしないこと」が正しいような風潮があります
どちらが正しいとか、間違っているとか、そういうことを言わない
「こういう考え方もあるが、一方ではこういう別の考え方もある、どちらが良いか判断はしない」というものです
日本維新の会が「地方分権」や「道州制」を持ち出すときに
「どちらが良いか、住民(市民)に価値判断をゆだねよう、それが民主主義だ」というのが、日本維新の会の主張だと思います
だから住民投票を何度でも行って、「ごり押し」で、道州制を可決させてしまえば
あとはそれが「民主主義」の結論になり、「正しさ」になる、というものです
これは一見して正しいように見えますが、民主主義の持つ「欠陥」もまた、明らかにするものでもあります
民主主義の欠陥とは、つまり、「衆愚制」です
この場合、住民(市民)の側に、道州制についての正しい知識がしっかり認識されていることが
正しい価値判断を下す大前提になっているわけですが
住民の側に、正しい知識がない場合、それは価値判断を間違えるもとになり
しかも、その判断の全責任を、「住民に」負わせる。。。という事になります
つまりですね、それだと、大阪府議会議員や大阪市議会議員という、選ばれた議員は「責任を問われない」という事になるわけです
やはり、選挙で選ばれた議員には、住民を代表して「価値判断を下す」という責任があり
価値判断の結果には、「責任を問われる」、という事でないといけないと思います
政府の行政の効率化のために地方分権を強化する、という考え方自体は悪くないと思います
ただしそれが、「日本政府と対抗し、対立する権限を大阪が勝ち取る」というようなものであってはならないと思います
ヨラム・ハゾニー著「ナショナリズムの美徳」には、「国民国家」と帝国主義的な「統一政府」の違いが述べられておりますが
日本の場合は、武力によって強引に併合され、強制的に一つの価値観を押し付けれられた「統一政府」ではなく
共通の言語、共通の歴史、共通の宗教観・民族意識を共有した、まさに「国民国家」そのものです
「一つの国としてまとまって強い国を作ろう」、として団結しているものを
それを「民族を分断して別の国を作ろう」としていいのか?
それは大阪だけではなくて、日本全体で議論すべき問題です。。。
なぜなら、大阪は武力で強引に日本に併合されたわけではないのであって
しかも、日本を分裂させることは、日本経済と安全保障にとって、きわめて重要な問題となりますからね
「そこまでのことは考えていない」と言うかもしれませんが
上海電力による咲州ソーラーや中国資本によるカジノ誘致など
大阪は、独自に外交ルートを作って、中国とよろしくやろうとしていることは明らかです
次は日本維新の会という国政政党の力で、地方分権を強くしようという動きを強めるでしょうね
前回の日記でも申し上げましたが、外交や防衛問題に地方自治体が大きく関与するのは、これは国を危うくする越権行為です
大阪府の人々が、日本人から迫害を受け、多くの人が殺されている。。。というような
これまでのウクライナ東部、ドンバス地方のロシア系住民のような状態なら、「大阪独立」も仕方がないと思いますが
大阪にとっても、「独立分離はデメリットが多く、良いことは少ない」、そう申し上げておきたいと思います
最近では、「価値判断をしないこと」が正しいような風潮があります
どちらが正しいとか、間違っているとか、そういうことを言わない
「こういう考え方もあるが、一方ではこういう別の考え方もある、どちらが良いか判断はしない」というものです
日本維新の会が「地方分権」や「道州制」を持ち出すときに
「どちらが良いか、住民(市民)に価値判断をゆだねよう、それが民主主義だ」というのが、日本維新の会の主張だと思います
だから住民投票を何度でも行って、「ごり押し」で、道州制を可決させてしまえば
あとはそれが「民主主義」の結論になり、「正しさ」になる、というものです
これは一見して正しいように見えますが、民主主義の持つ「欠陥」もまた、明らかにするものでもあります
民主主義の欠陥とは、つまり、「衆愚制」です
この場合、住民(市民)の側に、道州制についての正しい知識がしっかり認識されていることが
正しい価値判断を下す大前提になっているわけですが
住民の側に、正しい知識がない場合、それは価値判断を間違えるもとになり
しかも、その判断の全責任を、「住民に」負わせる。。。という事になります
つまりですね、それだと、大阪府議会議員や大阪市議会議員という、選ばれた議員は「責任を問われない」という事になるわけです
やはり、選挙で選ばれた議員には、住民を代表して「価値判断を下す」という責任があり
価値判断の結果には、「責任を問われる」、という事でないといけないと思います
政府の行政の効率化のために地方分権を強化する、という考え方自体は悪くないと思います
ただしそれが、「日本政府と対抗し、対立する権限を大阪が勝ち取る」というようなものであってはならないと思います
ヨラム・ハゾニー著「ナショナリズムの美徳」には、「国民国家」と帝国主義的な「統一政府」の違いが述べられておりますが
日本の場合は、武力によって強引に併合され、強制的に一つの価値観を押し付けれられた「統一政府」ではなく
共通の言語、共通の歴史、共通の宗教観・民族意識を共有した、まさに「国民国家」そのものです
「一つの国としてまとまって強い国を作ろう」、として団結しているものを
それを「民族を分断して別の国を作ろう」としていいのか?
それは大阪だけではなくて、日本全体で議論すべき問題です。。。
なぜなら、大阪は武力で強引に日本に併合されたわけではないのであって
しかも、日本を分裂させることは、日本経済と安全保障にとって、きわめて重要な問題となりますからね
「そこまでのことは考えていない」と言うかもしれませんが
上海電力による咲州ソーラーや中国資本によるカジノ誘致など
大阪は、独自に外交ルートを作って、中国とよろしくやろうとしていることは明らかです
次は日本維新の会という国政政党の力で、地方分権を強くしようという動きを強めるでしょうね
前回の日記でも申し上げましたが、外交や防衛問題に地方自治体が大きく関与するのは、これは国を危うくする越権行為です
大阪府の人々が、日本人から迫害を受け、多くの人が殺されている。。。というような
これまでのウクライナ東部、ドンバス地方のロシア系住民のような状態なら、「大阪独立」も仕方がないと思いますが
大阪にとっても、「独立分離はデメリットが多く、良いことは少ない」、そう申し上げておきたいと思います
イタリア統一後最初の議会で「イタリアは一つになろう」と提起されるほど、イタリアは、国内がバラバラ。バラバラぶりは未だ、方々に残っている。
そのバラバラぶりは、日本と大差ない(「ケチだでお金持ち」という名古屋圏の観念は、関東関西にはないようですね)。
それから、政治分野で「価値判断」とは、個々の施策ではなく、宗教・倫理に関わる事柄に使われる傾向(中絶が著名な例)。
ちゃんとした本で政治史・政治学を学び直す事をお勧めします。
(by 京大法卒)
もちろん、各国によって歴史も国の成り立ちもバラバラですからすべてが法則のように成り立つわけでもありませんが、国民国家の大枠は、ハゾニーの指摘するようなネイションの指導者が合意に達して一つの国家が生まれるというのは、おおむね納得のいくものです
価値判断と言う言葉に学問的な意味合いを持たせて難しく語る趣味は私にはありません
政治家には善と悪を、国民のために判断し、それを決断し、実行に移し、その責任を取ることが求められる
法律は人間がルールとして定めたものですが
政治の原点はもっと古く、法の根源には宗教や哲学があるという事は確かです
あまり言葉の使い方のような些細なことで相手をやり込めるようなことをなされない方がいいと思いますよ
自慢の学歴が泣いています
私のような無学なものを、学歴をひけらかして馬鹿にするのが高学歴の人なのでしょうか?