安い税金と小さな政府を切望するふきあえずのブログ

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そんな想いを綴っていくブログにしたいと思います

ワグネル プリゴジンのクーデター騒ぎについて

2023-06-28 02:25:25 | 政治


ロシアのワグネルのプリゴジン将軍のクーデター騒ぎについて、私なりに思うところがあるので日記に書いてみます
このプリゴジンの乱、私は最初から、CIAやMI6のシナリオ演出なのではないか?と疑っていました

日本メディアは最近、しきりにウクライナ軍の反転攻勢を報道しておりましたけれども
ウクライナに有利な要素がないかを血眼になって探しており、ウクライナ側の「成果」を針小棒大に報道しているように、私の眼には見えており
まるで「大本営発表」のような、そんな印象を強く受けておりました
しかしながら、むしろこれまでの戦闘経過から見て、ウクライナ軍がロシアに勝てる要素などどこにも見当たらず
もしロシアが窮地に追い込まれるとすれば、それは、NATO軍が最前線でロシアと正面きって戦うとき以外にはないだろうと、確信しておりました

むろん、そのような全面戦争をNATO軍が仕掛ける要素など、いまのところ、どこにも見当たらず
あるとすれば、搦め手として、クーデターを装った、ロシアの分裂作戦以外にないだろうと思っていました
プリゴジン氏は、まあ作戦部隊の一将軍であるわけで、おそらくは、プーチンのようにCIAの意図を見抜くことはできなかったのだろうと思います
ですから、CIAに上手くそそのかされてしまい、ロシアの国家分裂を幇助してしまったものでしょう
及川さんの解説を見る限り、この国家分裂の危機を見事に乗り切ったプーチン大統領は、実に見事でしたね

考えてみれば、ロシアがウクライナに軍事介入するシナリオを描いたのはアメリカであり、実行部隊はCIAでした
彼らはウクライナ国内における民族紛争を上手に操り、ロシア系ウクライナ人に迫害を加えることで、ロシアを戦争に引き入れました
途中、ミンスク合意という茶番を持ちかけながらロシアに対する挑発を重ね、ロシアを分裂させ、弱体化させるために、戦争に引き込みました
ですから、CIAにとっては、同じ国民同士の対立構造を上手に操り、国を分裂させるようなシナリオなど、お手のものなわけですね

結局、これでウクライナの反転攻勢うんぬんなどという、つまらない報道遊び・報道ごっこは終結するのではないでしょうか?
もうね、いい加減気がつけよと言ってやりたいですね

しかし、ロシアの側からすると、こういう搦め手を何度も仕掛けられるのはしんどいでしょうね
これからも、グローバリストたちが簡単にあきらめるわけはないでしょうから
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キリスト教の使命が終わる日

2023-06-26 02:30:28 | 政治
この記事を読んだ瞬間、「ああ、キリスト教の使命は終わったんだな」と、心に深く感じるものがございました

The Liberty Web「ChatGPTがつくりあげたドイツの教会説教に数百人が参列というが…… 堕地獄の冒涜行為になっていないか憂う」

とあるSNSでは、多くのフォロワーを集める発信者が、実はAIだったというニュースもございました
それでもまあ、SNSだけならまだいいかもしれない
だが、これが宗教の集いでの説教という事になると、話はまったく違ったものになります
このAI説教を企画した牧師さんたち、彼らは、これが宗教としての「自殺」であることに、気がついていないということは、本当に悲しいことです
「ドイツのバイエルン州フュルトにある聖パウロ教会」とのことですが
残念なことですが、当の責任者たちが、流行を取り入れることで、キリスト教が自己変革できる、などと考えているのであれば
もはやキリスト教は、宗教の本質すら見失っているとしか、私には思えないのです
魂の尊厳を忘れ、宗教が単なる人集めの手段となってしまえば、それは単なる「金儲けの集団詐欺」ということになります。。。。。

AIというものは元々、「人間の思考や感情は脳というコンピューターの働きである」というところから。。。つまり唯物論から出発しています
人間の心が脳にあるとすれば、それは必ずAIで代用する事ができる
だから、「人間にできる事は、将来的には必ずAIでできるようになる」と、そういう考えのもとに出発していると考えられます
ところが、今のAI技術は、「多数の者が認めるものが正解」という結論に導かれるように、ルール上、プログラムされています
いや、もう少し突っ込んで言えば、「少数の者がルールを決め、そのルールを正しい事として(大衆に)受け入れさせれば、それが正解になる」
というルールによってプログラムされています。。。それは、今現在、日常茶飯事的に、大手ビッグテックなどで行われている手法です

もし上記のような大手ビッグテック(例えばユーチューブなど)の手法が、キリスト教においても受け入れられるとしたら
聖書の言葉をAIが独自判断して、イエスの言葉の、それもAIのプログラムによって選別されて残された言葉だけが、説教で語られることになります
そしてその説教は、そのAIをプログラミングしている人の判断によって選別された言葉「だけ」が選び取られている
という事になります
そんな、一部の人たちの偏った判断基準で選ばれ、「真理」とされた言葉だけを聞かされる信者は、それはもはやキリスト教徒なのでしょうか?

ここで私が言いたい「結論」を申し上げることにしましょう
宗教とはね、結局、目に見えない神や仏からの啓示であり預言であるわけですよ
その言葉を、ありのままが書かれていて、各人が判断するためにあるのが、聖書であり仏典であるわけです
ですから、啓示や預言というものは、できるだけ手が加えられていない「原本」のまま残されていることが望ましい、とされています
誰か特定の人間の意図的な選別を受けてしまうと、それはもはや「神の言葉」ではなくなるわけです
そして、聖書や仏典が、長い年月をかけてふるいにかけられ、それでも2000年を超えて残ってきた理由は
聖書や仏典に書かれている教えに、「普遍性がある」ということを、数千年の歴史の中で、信者たちが確信し続けてきた
という背景があるわけです
その普遍性とは、「人間とは魂であり、霊的な存在である」という、人間の存在そのものに関することであり
人間の死後の世界では、善と悪が完全に峻別され。天国と地獄(煉獄)とが、生前の生き方によって明確に分かれる
というものです
そして、現在のAIのプログラミングの根底にあるものは、「不可知論」です
要するに、人間が魂であるか否か?死後の世界はあるか否か?天国と地獄はあるか否か?
これは「分からない」というのがAIの結論であり、「分からないから最初から無いものとする」、というのが結論になります
宗教と相いれないのが、結局この部分なのです
この「不可知論」を受け入れてしまえば、宗教は完全に「自己否定」になるわけです

これが、私が冒頭で申し上げた、「キリスト教の使命は終わった」という発言の真意です
死後の世界を説けなくなれば、宗教は終わりです
そして前回の日記でも申し上げましたが、このAIに頼ることばかりをしていると、「自分で考える事」がおろそかになってしまいます
善悪の基準が、少数の人間が恣意的に取り決めたルールに基づくものであってよいのかどうなのか?それをこそ考えなければなりません
LGBT法など、私は少数の意見によって、全体が引っ張られている感じを強く受けます
LGBT法に反対すれば、差別主義者のそしりを受ける、ということになり、その、「差別主義者」のレッテルを貼られることが怖くて
言葉を封印され、矛盾があってもそれを口にできなくなる。。。法の執行者が、大衆の口を封じてしまう
これが今のアメリカで問題になっている「ポリティカル・コレクトネス」、いわゆるポリコレです
全体主義のはじまりです

「民主主義は、本当は、宗教(信仰)が根底(社会基盤)になければ機能しない」
これこそ、プラトンが「国家」で言いたかった結論なのではないかと、私はそう思っています
AIと信仰は、本当は相容れないものなのです
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chatGPTについての一考察

2023-06-21 02:30:02 | 政治
今日は毛色を変えて、今話題のchatGPTについて、考えてみたいと思います。。。
もちろん、この文章をchatGPTに書かせているわけではありませんので、最初におことわりしておきます

はじめに、chatGPTについては、多くの人が不安視している面が大きいのではないかと、私は感じています
と言いますのも、この分野でAIが幅を利かせてくると、人間のクリエイティブな仕事がAIに奪われ、無くなってくるのではないか?
そんな風に感じている人が多いのではないかと思うのです

クリエイティブ(創造的)な仕事が奪われる
それは例えば、chatGPTで歌詞や小説が書ける、などということが、よくニュースなどで取り上げられていることが原因かと思います
確かに、そういう分野でAIによる作詞や作文が増えてくる可能性は否めないでしょう
しかし、それによって人間の創造的仕事がすべて奪われる、というのはおそらく杞憂になると思います
むしろ、想像力を鍛えた人の仕事が、逆にプロとしての評価を受けることになる可能性はあると思います
なぜかと言いますとね、それは前回の日記に私が書いたことが、一つのヒントになるかと思いますが
結論を言うと、AIには、「真理を探究する」という仕事ができないからなのです
つまり、「何が真理か」を判断することが、AIには絶対にできないのです。。。AIには、本当の意味で人間のひらめきを理解することができません
私たちは、そこを理解する必要があるのです。。。
もしそれが理解できないようなら、この日記を読んでいる人もまた、「考える力を失っている」。。。かもしれませんね(笑

もしこれから先、AIの作った小説が高い評価を受けるような時代が来るとしたら。。。。
それは、人間の思考能力が、AIに頼り切ったがゆえに「退化してしまった」ことを証明することに、きっとなると思います

私は、「百聞は一見に如かず」の言葉通り、chatGPTを実際に使ってみました
なかなか面白いと思いました。。。でも、私はこれを使って日記を書こうとはあまり思いません
それは、どうやっても自分の納得のいく文章にならないことが明らかだからです
もし、chatGPTを使って日記を書いた人の、例えばSNSやブログを読んだとしたら、おそらくはある程度判別はつくと思います
というか、完全な判別はつかないかもしれないが、文章の浅薄さ、底の浅さはいかんともしがたく
なんだかAIっぽい文章だなと、感じるぐらいはきっと感じる事でしょう

むしろこれから先、本当に怖いのは、AIによって拾ってきた、「誤った情報」に基づいて、文章を書いてしまった場合です
AIは写真や動画なども、微妙な修正を加えることが可能だと言います。。。つまりフェイクが非常に増える可能性がある
これは本当に危惧すべきことです。。。そして、chatGPTによって書かれた文章も、不正確なものが非常に多い
これはね、前回私が書いたことを思い出していただければ、皆様にも分かると思います
なぜ不正確なのか?それは、AIで拾ってくる情報は、「多数派の意見が正しい」と判断されたものだからです

現代では、スマホなどで簡単に情報を拾える時代になって、自分が非常に賢くなったように感じている人が多いと思います
しかし、それは気を付けませんと、雑情報ばかりを集めてきていて、考える事、思考する事をやめて、「ただ受け入れている」だけなのかもしれません

前回の日記の動画で伊藤貫さんが言っていたこととして
現代のアメリカでは、「どういう風に振舞うと、あなたが「素晴らしい人間だ」と判断されるのか?」
ということばかりに重点を置いた、出世術、処世術が重視されるあまり
例えば
敬虔なキリスト教徒だと見られるような振る舞いをすれば、多くの人から信頼されやすい、だから敬虔なキリスト教徒のふりをする
というように、この世的に得になる生き方。。。これが正しさの根拠になっているわけです
だから、実際に、キリスト教徒が2千年もの長きにわたり、なぜイエスの言葉を聖書で学び、信じてきたのか
聖書の言葉を単なる処世術だと考えたなら、他人から良い人だと見られるための処世術をイエスは説いた。。。という事になります

しかし、本当にそんなことで、人の心は動き、感動するのか?ということなんですよ
キリスト教の歴史において、なぜ、ライオンに内臓を食われても信仰を捨てなかった人が沢山いたのか?
なぜ、イエスと同じように迫害され殺されても、信仰を捨てない人が沢山いたのか?
この世的な損得を善悪の根拠にした場合、こういう信仰を理解することは決してできないのです
そして、人間の道徳、倫理観、これらの判断の基準になってきたのが、実は信仰であったこと、それはこれまでに何度も述べてきましたが
2千年間、人を信仰の道にいざなってきたのは、本当は「感動」なのです
人の心が感動し、「これは真理である」と受け入れてきたことが、人間の道徳・倫理として、その判断の基準を作ってきた
そう私は思っています

最後に結論を述べておきますね
AIには「感動」を理解することはできません。。。「信じる」ということも理解できません
AIの判断の根拠にあるのは、AIにプログラムを行った人の、その「判断の根拠となる思考傾向」です
つまり、そのAIを創った人が「正しい」と感じている思考傾向。。。その狭い思考傾向が、「善悪の判断基準」となっているわけです
つまり、AIで小説を書くと、もれなくAIをプログラムした人の思考傾向が、そのまま文章の傾向になって現れる。。。という事になります
もし、chatGPTが、多くの人の思考傾向を総合して判断している。。。というなら
要するに、「多数決で多い意見が正しい」という判断基準を持っていることになります
世の中で嘘情報が多数流れているとしたら。。。事実に関係なく、多く流れている嘘情報が正しさの根拠となります
これが、chatGPTが、本当の意味で一流の創造力を持てない、その根拠になります
つまり、誰にでも受け入れやすく、無難な、ボンクラの書く文章を、文脈だけ上手に書いて
「ああ、文章がよくまとまっている。。。凄い凄い。。。」
そんな風に、手放しで喜んでいるわけです
人を感動させるような作品がAIで書ける。。。そんな風に思っているなら、ちょっと考え直した方がいい
あなたは、「自分が考える」という力を失っていませんか?

最後に、考える力をどうすれば鍛える事ができるか?一つヒントを出してみましょう
まあ、それは紙の本を読むことです。。。それも、名著と呼ばれる古典を紐解くことです
古典は、思考とインスピレーションの塊です
私はトクヴィルの「アメリカの民主主義(デモクラシー)」を1巻上下、2巻上下、購入しました
これから古典として、実際に読んでみます
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多数派による独裁という悪夢。。。そして民主主義の担保は宗教である。。。という逆説

2023-06-19 02:08:01 | 政治
幸福実現党の言論チャンネルを見ていたら、伊藤貫氏の動画で、トクヴィルの「アメリカの民主主義」についての解説が秀逸だ
とのコメントがありました


その動画を探してみると、どうやらチャンネル桜の番組だったようです
私は、個人的な感想を申せば、桜の水島氏は、自分の立場を守るためのくだらない嘘の多い人物なので、あまり信用していないのですが
この伊藤貫氏の動画は、個人的に感心しました。。。率直に、素晴らしい見識だと思います
だらだらと同じようなことをしゃべっていて少し長いですし、少し哲学的で難しいのですが、拝聴いただければ嬉しく思います




これを聞くと、トクヴィルという人物が、いかに思考的な高みを持っていたか、ということに驚かされます
と同時に、この伊藤氏の考察を、水島氏にもしっかりご覧いただきたいなと思う次第です(笑)
宗教に対する偏見もいいですが、それはトクヴィルの言う「多数派によって決められている道徳的正しさ」ではないのですか?と
水島氏に皮肉を込めて言っておきたいと思います(笑)
「宗教はいかがわしいもの」、「宗教は金儲け」
水島氏はこうした世間一般の表面的な世論に乗っかかる形で幸福実現党を批判しているわけですが
それこそ、「多数派(多数決)による少数派潰し」の一例でしょうね
トクヴィルによると、民主主義の下では道徳的価値観でさえ、多数派の意見で決められるとのことですからね
まあ、皮肉はこれくらいで置いておきましょう

さて、この伊藤貫氏の動画ですが、私はこの方の言っていることがよくわかるんですよ
アメリカの民主主義は既に「衆愚政治」、つまり、民衆の「考える力」の不足により、多数派による専制政治が始まっています
多数決の意見によって道徳的価値観でさえ、善悪の価値観がひっくり返る時代になっている。。。ということですね
例えば、「差別はいけないことだから、黒人が盗みを働いても罪に問わないようにしましょう。。。減刑しましょう」。。。みたいな
こんなのが、多数決によって「道徳的」だとされ始めているわけですよ
同じく、LGBTを推し進めながら、「子供にも大人と自由なSEXをする権利がある」みたいなことを、多数決で押し通そうとしているわけです

まあトクヴィルの言っていることは、これまで私が言ってきたこと、主張してきたことと、意味はまったく同じです
そして、もう一つトクヴィルが言っている事。。。それは、これまでの西洋諸国の道徳的価値観は「宗教」から来ていたということ
つまり、キリスト教の聖書の解釈から道徳的価値観が決まっていたわけで、決して多数決で道徳が決められていたわけではなかったわけです
多数決によって道徳的善悪が決められた場合、どういうことになるかというと、それはね。。。
ソクラテスのように、街中で識者と呼ばれる人たちと議論をしたことで、「世を騒がせた」、という罪で死刑にされたりするわけです
ソクラテスに議論で負けた人たちが、腹いせに、「ソクラテスに罪をかぶせて死刑にしてしまえ」とやって、実際その通りになったわけです
またプラトンも、衆愚政治についてはソクラテスの口を通じて語らせていたと思うし
プラトンの「国家」という書籍は、そもそも民主主義制の政治ではなくて、哲人政治を説いたものでした
つまり、プラトンもソクラテスも、民主主義の問題点は十分すぎるほど理解していたわけです

また、その後のローマ時代にも、同じような民主制の問題はありました
元老院という、現代で言うと選挙でえらばれる議員や議会ですが、彼らが政治をやっていた時も、様々な民主制の問題があったわけです
そして、そういう時代の中から、まあ求められた形で、皇帝のカエサル(シーザー)が出てきたわけです

近代になって出てきた啓蒙主義も、これもまた、「多数が正義(正しさ)になる」時代を作ってきたところがあります
いや、まさにそうですね。。。これも、カント哲学の流れから始まった「不可知論」つまり
「分からない事は扱わない」、という、哲学から魂の問題を完全に分離したところから始まり
結果的に、「宗教はあの世や天国地獄を説くから単なる迷信だ」という流れが起き、それが啓蒙思想の底流に流れる源流となっています
つまり、宗教的価値観を失ってからのち、道徳的善悪の基準は、個人の欲望の自由によって、多数決で決められるようになった
ということです

話は変わりますが、釈量子さんを筆頭とする幸福実現党は「自由・民主・信仰」、この三つを政治の柱として掲げています
これ、実は重要な意味があるんですよ
「自由」は専制とは真逆の価値観であり、神が個人に自由を与えたことに由来しています
「民主」は多くの人の智慧を集めるという意味、つまり松下幸之助先生の言っていた「衆知を集める」という意味ですね
決して欲望の多数決ではないのです
そして「信仰」とは、宗教的価値観。。。つまり、善悪を説けるのは、人間の本質を説くことのできる宗教のみです
「信仰」には、人間は本来霊的存在であり、死後も魂は存在し、その生き方によって天国と地獄が分かれる
つまり、善悪は死後の世界においては明確に判定される。。。という事を明らかにしているわけです
人間には選択の自由もあるし、多くの人の意見を集めて素晴らしいものを作ることもできる。。。しかし
個人の選択の自由はあるが、その自由の行使には責任も伴う。。。つまり、多くの人に迷惑をかけたり、苦しめたりした場合は
死後、相応の責任を取らされることになる、という事です

民主主義とは、実は、信仰の裏付け、宗教的価値観の裏付けがあってはじめて、正常に機能するということなのです
その点、トクヴィルは非常に明晰な頭脳によって見抜いていたんですね
最近私は、LGBT問題やマイナンバー問題を何度も扱っていますが
今の日本の政治が、実は多数決の乱用による専制政治に向かっているということを非常に危惧しているからなのです
多くの方に、この素晴らしい動画を見ていただきたいと思います
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LGBTQを推し進める人々の思想的源流とは

2023-06-17 23:22:21 | 政治
思想的源流。。。というのは、ある人が物事を判断する際に、その判断基準の大元にある思想的影響のことを言います
その人の判断に影響を与えているものがなんであるのか?それは非常に大きなことです
人は、特に自分の判断に確信が強ければ強いほど、行動に迷いがなくなり、物事を推し進める力が増していきます
「信念の力」と言われているものがそれであり、確信が強い人ほど、物事を実現させる力が強くなります
まさに、ジョージ・ソロスという一人のグローバリストに、そういう「信念の力」のようなものを、私は感じるわけです
ですから、そのソロスの思想的源流にあるカール・ポパーの思想的誤りを見抜くことで、彼らの影響下にある人々の思想の力を削ぐこともできる
そういう風にも考えられるわけです
物事の本質を見るとは、そういう事かと思います

そういう意味で、幸福実現党、及川幸久氏はLGBT法案の本質をよく理解しているように思います
確かに、女性のお風呂やトイレの問題は大切な問題ですが、LGBT法案の問題の本質は、もっと別のところにあると私は思っています


動画の中で、ドジャースタジアムに招待されたLGBT団体の仮装がでてきますが、それを見てどう思われたでしょうか?
私がまず思ったのは、シスター、つまり修道女を揶揄し、イエスを冒涜する。。。これが彼らの思想的源流だと思うのです
「神を否定すること」これが彼らの思想的源流だと私は思います。。。これはカール・ポパーやジョージ・ソロスとまったく同じです
彼らは、「修身」、つまり身を修める事、自らを正すこと、こうした考え方がどこから出てきているかを、本能的によく知っているわけです
修身の教えは、実は宗教的な教義から。。。つまりイエスの語る言葉、聖書の言葉から出てきているという事を知っているわけです

彼らの考え方の根底にあるのは
「人生が一回限りなら、自由に、好き放題しながら生きて何が悪い」という事だと思います
あの世などない、天国・地獄など迷信、生まれ変わりなどない
こうした無神論、唯物論の考え方からは、「身を正す、身を修める」ということが、意味のない事だという結論になるわけです
古臭い迷信から自分を開放することこそ、「開かれた社会」であり、これこそソロスやポパーの信念であるわけです

ジョージ・ソロスの行動について、良く調べている人はお判りでしょうが
彼はアメリカの検事が選挙で選ばれる制度であるのを良いことに、多くの息のかかった検察官を各州の検察に送り込んでいます
ソロスの息のかかった検事たちは、みな一様に、BLMなどの暴動を不起訴にしたり、黒人による窃盗などを不起訴にしたりしています
刑法を「重すぎる」という事にして、犯罪を犯罪として扱わない傾向があります
これも彼らの言う、「開かれた社会」の姿なのでしょう。。。好き勝手やってもいい。。。という事だと思います
そして、最終的には、自らの欲望であることろの、「小児性愛」を、犯罪から外してしまおうとしているのだろうと思います
これで、国連や世界経済フォーラムのやっている、LGBTQの法制化と小児性愛の合法化の意味がよく分かります

私が幸福実現党、そして及川幸久氏を応援する背景には
「無神論思想と戦う思想的支柱がなければ、背骨のしっかりした政治は作れない」という信念があるからです
ですから、どれほど「参政党が素晴らしい」という声を聴いても
それでも、政治的な骨格を創れるのは幸福実現党しかない。。。そう思っています
ことは表面的な問題だけではなく、根底には思想的な戦いがある、と私は思っています
日本の政治改革には、日本人の精神革命が必要。。。それをこそ、今日は強調しておきたいと思います
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