安い税金と小さな政府を切望するふきあえずのブログ

安全で暮らしやすい日本をつくりたい
そんな想いを綴っていくブログにしたいと思います

AIを使った教育について思う事

2024-03-19 00:00:27 | 政治
先日、テレビの報道で、chatGPTを使って文章を書く課題が学校教育でも取り入れられつつある、という話題を見ました
その中で確か、とある日本企業のホームページの記述を参考にしたと思われるAIの文章が間違えていて、問題となっている
ということを言っておりました
どうやら、学校でレポートの課題を出したところ、生徒の大半が同じ間違いの、しかも一字一句同じ文言の文章を課題として提出してきたため
生徒がAIを使って課題を丸写しにしていたことが発覚した。。。しかも、参考とされたのは、とある企業のホームページだったことが分かった
というものだったようです

報道では、AIによる検索において、参考とされる文章に間違いがあった場合、それが誤って広がってしまう。。。そこが問題でありAIの課題である
。。。みたいなことを言っていたように思います
私はその報道を見ていて、正直、的外れすぎていると思ってあきれてしまいました(笑
賢明な皆様であれば、どこが的外れであるか?それがお分かりかと思います

生徒がレポートを提出するのに、間違っているかどうかは問題じゃない。。。本質はもっと別のところにあります
その問題の本質とは、「生徒が自らの意思で研究し、調べ、調査し、間違っているかどうかを考え、文章を構成し、レポートを書く」
その一連の作業の中で生徒の思考訓練がなされるのであって、効率ばかり重視して、文章をAIに考えさせた場合、思考訓練が十分に行われない
本当は、それこそが一番の問題なんですよね

私がもし日本の文部科学大臣であったとしたら、AI教育の弊害を教師に周知徹底し、「子供たちの教育にはAIによる文章作成を使わない」
という教育方針を出すと思います
なぜか?。。。。それは、こういうことなのです

AIが文章を構成する場合、基本的には、「多数の意見を常識として採用する」という選択をします
例えば、今の時代、ニュートン力学が主流でアインシュタインの相対性理論がまだ発見されていなかったとしたらどうでしょうか?
その場合、残念ながら、AIが相対性理論を思いつくことは「永遠にない」のです
これは一つの例です
例えば、私が前回ご紹介した「国家の逆襲」という書籍も、これまでの「新自由主義経済学」への反証に満ち溢れているわけですが
AIが経済理論を組み立てるとしたら、基本的にこれまで常識とされてきた考え方を中心に論理を組み立てます
だとすると、常識を打ち破る仮説を立て、反証の実例を数多く拾い出してくる作業など、最初からしないのです
つまり、これまで常識とされてきた仮説の上に論理を打ち立てるため、新しい発想はほぼ出てきません
残念ながら、教育をAIに頼っているようでは、国家の先行きは暗い。。。と思います
その事が、日本のマスコミにも大臣にも分からない。。。というのが実に残念です

もう一つ、霊的な観点からAIの弊害を述べておきたいと思います
人間にとって、「沈黙の時間をとり、深く思考する」、という事は極めて重要なことなのです
歴史上、極めて重要な発見が起きた時、それは常に、誰かの血のにじむような思考努力の末に得られたものです
人間は霊的な存在です。。。ですから、「インスピレーション」というものが、非常に重要なものなのです
人間を機械の延長だと思っていて、人間の脳を単なるコンピューターだと思っている人がえてして、AIを万能だと思い込むことがあるようです
ですが、AIはインスピレーションを得られませんし、常識を打ち破るような発想から物事を深く考えることはできません
それは、AIは機械であって、人間は霊的存在だから、元々全く違うものなのです

最後に言いたいこと、それは。。。
「人間は何のために生まれてくるのか?」その理由。。。その人間存在の本質を忘れてはいけませんよ。。。。ということです
人間は、自らを成長させるために生まれてくるのです
自分の一番大切な学習を。。。考えることをAIにお任せして、それで満足なのですか?。。。。それをこそ問いたいのです
レポートぐらい、自分で考えて書きましょうよ(笑
思考こそ人間の本質です
AIに文章を考えてもらうようでは、あなたは他人任せの人生を生きている。。。という事ではないでしょうか?
私はそう思います

それではまた
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久しぶりの日記。。。マリアナ・マッカート著「国家の逆襲」

2024-03-17 10:50:25 | 政治
長らくご無沙汰してしまいました。
ようやく、新たな日記を書こうという気になりましたので、ブログを再開します

このブログでは、「小さな政府」と「安い税金」を標榜しているので、「小さな政府」に対する批判にはどのようなものがあるか?
それは気になるところであるわけです
表題のマリアナ・マッカートさんの「国家の逆襲」という書籍は、最近、経営科学出版さんから盛んに宣伝されているものです
気になったので、アマゾンで「定価で」購入してみました
500ページほどもある経済学の書籍なので、はっきり言って、読み切れる人は。。。読んでみようと思うもの好きは少ないのかもしれません(笑

まだ読み始めたばかりですが、今の感想としては
「マックス・ウェーバーの”プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神”の正しさを逆説的に証明している書籍」
のように見えます
難しいことを言いましたが、要するに、「社会に宗教的な倫理観の基盤がなければ、資本主義経済は成り立たないことが証明された」
ということです
この書籍の副題を見ても、経営科学出版さんは、この書籍を以って、「小さな政府の間違いが証明された」と言いたいようですが
私から見れば、彼らの言い分には、やっぱり思想的に欠落したところがあって
「大きな政府」であろうが、「小さな政府」であろうが、結局、「宗教的価値観に基づく倫理観が欠落した社会には、資本主義は根付かない」
ということなんです
「小さな政府」が駄目だから、「大きな政府」が正しい。。。とはならない。。。ということです

逆にですね、「大きな政府」の場合、ごく少数の人が社会を計画的にコントロールしたい。。。という欲求にかられ
監視社会や全体主義的な抑圧社会に繋がりやすいという「危険な副作用がある」わけです


またこの本を読んでいて気がついたこと、感じたことなど、皆様にお伝えできれば。。。と思います

それではまた
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