安い税金と小さな政府を切望するふきあえずのブログ

安全で暮らしやすい日本をつくりたい
そんな想いを綴っていくブログにしたいと思います

「6年後のパンダ学」からの学び。。。Aさんのその後と自分の要求を執拗に求めてくる悪霊の存在

2023-03-29 03:06:32 | 日記
いま私は、大川隆法総裁の奥さんで総裁補佐の大川紫央さんの書籍、「パングルへの変身」を読んで勉強しています
なんでこの本を手に取ろうと思ったのか?自分でも不思議なのですが、読み始めてみると、やはり今の自分に必要な学びがそこにはありました

話は日記のタイトルとは別件ではありますが、少し前に、生霊(いきりょう)の実例の話をしたかと思います
高齢の霊的な感度の高いお婆さんが、最近、「生霊」に悩まされている、という話です
その高齢女性が入居している高齢者住宅に、ヘルパーとして勤務しているとあるヘルパー女性が、よく「盗み」を働くそうで
あるとき、その高齢女性に「盗んでいるところ」を発見されてしまい、開き直ったそのヘルパー女性が高齢女性に
「ちょっと借りようと思っただけなんだから、誰かにこのことしゃべったら承知せんよ!!」と強い口調で脅してきたそうです
しかし、高齢女性から相談を受けた私は、「信頼できる経営者に、心を割ってきちんと相談するほうがいい」とアドバイスしました
高齢女性は私のアドバイスの通りにしたようで、その後、そのヘルパーさんが部屋に訪問してくることはなくなったのですが。。。
それから少しして、高齢女性が「生霊」に悩まされるようになったというのです
「部屋に誰かが入ってくる気配がする」「加湿器が壊れたり、CDが壊れたりする」「部屋で物音が聞こえる」
「ベッドで横になっていると、あのヘルパーさんの睨んだ顔が見える」。。。といった具合です
実は、こういう「逆恨み」による生霊問題は、意外に身近に多いものなのです

かくいう私も、十数年前に会社勤めをしていたときに、強い「生霊」に悩まされていたことがありました
当時の私は、次期経営者と目され、若くして幹部になっていました
その時、自分で言うのもあれですが、仕事にはそこそこ自信がありましたし、天狗にもなっていたのだと思うのですが
私よりも10歳も年上の部下がいまして、ことあるごとに「嫉妬」の念を向けられて、往生していました
嫉妬の念は体中に絡みつくように巻き付いて体調不良を起こしますし、誰かの視線を感じるし、首を絞められている感覚もありました
嫉妬を伴う「生霊」は怖いものなのだ、ということをいまさらながらに感じます
当時の私には「私は人間としてまだまだだ」という謙虚さが足りなかったことは確かです。。。そこが生霊を呼び寄せる原因にもなっていたのでした
最後は仕事で行き詰まり、人間関係で行き詰まり、結果退職していますので、自分自身の反省が必要であったのだと思います
ただ、生霊を向けられて一度挫折した私ではありましたが、自分自身もまた、誰かに自分の「強い自我」を生霊として飛ばしていた可能性もあります
そうしたこともまた、これからさらに反省材料としていかなければならないでしょう

話は変わり、以前に何度も日記を書いた、霊媒体質の女性Aさんのその後の話ですが
今の彼女は相当に変わりました。。。以前のように悪霊に体を乗っ取られて、突然「異言」を話し始めることもなくなりました
4体、5体と憑依していた悪霊もほとんどいなくなったのですが、残念ながら、最後の最後まで、とある「自分を俳優だと名乗る悪霊」が
Aさんから離れることなく、つきまとい続けていました
その俳優を名乗る悪霊も、実は今、少しずつ変化の兆しを見せています
これまで「自分の要求」ばかり突き付けてきて、しつこくしつこくつきまとう、その悪霊の執念深さに
さすがの私も「なすすべはない、諦めて離れてくれるまで待つしかないのではないか?」と少し失望感を感じていましたし
もしかすると「Aさんの精神薬の副作用による妄想なのではないか?」と疑ってもいたわけなのですが
その悪霊が、とうとう変化の兆しを見せたのです

実は数日前、Aさんが「どうしても相談にのって欲しい」というので、自宅にお邪魔し、Aさんのお母さんともども面談したのですが
その時に、しばらく出てこなかった某俳優の悪霊が、Aさんの口を通して、「どうしても話をさせて欲しい」と語り出したのです
「帰りなさい」と強く言う私に対して、どうしても某俳優は帰らないので、話を聞いてみました
すると、「私は仏に帰依したいのです」と言うのです。。。私は正直驚きましたが、よく悪霊や悪魔は嘘をついて人間を惑わせるので
本心かどうかを疑いつつ、何度も確認しました
そして最後は半信半疑ながらも
私:そこまで言うならば、導師をしてあげましょう。。。私の言葉に続いて、あなたは本心で答えなさい
私:あなたは仏に帰依しますか?
悪霊:はい、仏に帰依します
私:あなたは仏の説く教え(法)に帰依しますか?
悪霊:はい、仏の教えに帰依します
私:あなたは仏の作った僧団(サンガ)に帰依しますか?
悪霊:はい、サンガに帰依します
と。。。こういうやり取りがあったわけです

そして後日、Aさんが行きたいというので、私はAさんを(ご両親の了解のもと)支部へお連れし、そこでの「祈り」に参加させました
そこでは今、「秘法」と呼ばれる経文を使って祈りを行っているわけですが、そこにどうやら「俳優を名乗る悪霊」君が参加していたようでした
立派なことに、最初から最後までAさんは祈りを終えたわけですが、その中での祈りの声が「2重うつし」に聞こえてきたと思ったら
涙ながらの祈りの声が聞こえてきました。。。他の参加者の方にも、その声は聞こえていたようでした(驚きですが)
あとでAさんに確認したところ、来ていたのは少し前までAさんに憑いていた三人、俳優、自殺した叔母さん、そして戦国武将を名乗る霊
泣きながら経文を読んでいたのは、数年前に自殺した叔母さんだったそうです
これを聞いて私は、「本当に良かった」と胸をなでおろしました

最後に、俳優を名乗る悪霊君についてですが、この人の話が単なる妄想ではないと私が理解したエピソードがあります
この俳優君、最近Aさんにある要求をよくしてくるそうです。。。それが
大川隆法総裁の書籍「仏陀再誕」の中の一節、「草笛の音(くさぶえのね)」のところを、何度も何度も読んで欲しいとせがむのだそうです
この「草笛の音」の話は、たとえ話なのですが、分かりやすく言うとこういう話なのです
誰の心の中にも暴れて手のつけられない乱暴な大男がいる、心の中の煩悩は乱暴な大男のようなもので
例えば性欲が強い人は、その強い性欲という大男に振り回されてばかりのようにも見える
しかし、そういう乱暴者の大男でも、言うことを聞かせ、大人しくさせる方法がある。。。それが「草笛の音」である
心というものは、なかなか自分の思い通りにすることはできず、煩悩は尽きることはないが、「仏の説く教え」は「草笛の音」であり
仏の説く教えを聞くことで、心の中の大男は静まり、心の中で暴れまわる煩悩を吹き消すことができるようになる
実は、仏の教えとは「自らの心を深く知り、自らの心を制御するための方法を教えるもの」なのであって、その教えのことを仏法真理と言うのです
俳優君は、Aさんいわく、色情系(男女問題)の問題を抱えているようであり、どうやら俳優君が来ると色情地獄のビジョンが見えるそうで
俳優君は、死後もなお女性に対する欲望が尽きることなく、制御できなくてAさんにしつこく憑依し続けていたのだと思います
だからこそ、その「煩悩を吹き消すための方法」であるところの「草笛の音」の一節を、何度も読んでくれとせがんでくるようです

私はこれを聞いて「なるほど」とうなりました
俳優君も変わりつつあるのだなと安心するとともに、私自身もまた、俳優君に教えていただいているのだと、強く感じた一件でした
長くなりますので、今日はこれまでとします


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無駄金と無駄な労力。。。お役人仕事というやつ

2023-03-28 00:50:05 | 政治
今日は、個人的な”ぼやき”日記を一つ
今、私は地方の農村地域(部落)が、国に補助金を申請するための補助金「多面的機能交付金」の、申請窓口としての地域組織「地域資源保全協議会」という組織の役職をやっているのですが(やらされています)
まあ、こいつがいわゆる「お役人仕事」というやつでして、まあ、経験してみるのも勉強だとは思ってはいるのですが
これね、「税金の垂れ流し」という意味がよく分かる事例なのですよ。。。日本の税金がなぜ足りなくなるのか?それがよくわかるものなのです

もちろん、私は公務員じゃないわけですが、なぜこんな役職をやっているのか?というとですね
要するに、お公務員様(おをつけて差し上げます)が、「面倒ごとは民間人にやらせとけ」というわけですよ。。。馬鹿みたいなことですが
まあ、名目上は「民間人に任せることで経費を節減する」という事なのでしょう。。。ですが、自分たちだって給料が必要なのに
民間人に任せれば経費がいらなくなるなんて、そんなわけはないんですがね(笑)
それで要は、「補助金が欲しければ、自分たちで事務仕事をやって、自分たちで補助金申請しろ!!」というわけです
まあ、体(てい)よく、公務員が仕事を減らすために、民間に「事務仕事を丸投げ」しているわけです
それで公務員の仕事が減ればいいわけですが、かえって事務仕事を丸投げにすることで、「仕事にたずさわる人」を増やすことで
事務仕事と労力を大幅に増やしているわけです。。。これがいわゆる「お役人仕事」というやつで、馬鹿の極みですよね
考えている国家公務員は、自分たちを「頭のいい人間」と考えているわけですが、実は「地頭が悪い」わけです
税金を配って「予算を使い切る」ことで自分たちは出世するわけで、その結果、国の将来がどうなろうと、「しったこっちゃない」わけです

一方の地域(部落)の方ではですね、この補助金を申請するために、会計係や事務係を選んで事務仕事を任せるわけです
そうすると、任された方は相当な労力になるものですから(事務手続きにかかる書類だけでも図面等も含め、数百枚の申請書類作成が必要になる)
部落内で、役職手当を払うわけです。。。でもね、これ、内容が本当に馬鹿みたいなものでして
うちの部落の事例ではないのですが、例えば、「”れんげ祭り”を開催し、地域の連携を深めました」みたいな作文を書いて補助金申請するわけです
これがね、補助金申請のための「お絵描き」なんですよ。。。わざわざ、税金を貰うためにイベントをやったように見せかけるわけです
イベントの看板なんかを作ったりして、何人かの”サクラ”に来てもらって写真を撮って、それで「偽イベントの完成」なわけです
これ、明らかな補助金詐欺なんですが、こんなことが普通にまかり通っているわけです
これね、ほんと見ているだけで、まるで「乞食」ですわ(笑)国民が「物乞い」をしているわけです

だいたいですね、農業用水路の草刈りとか砂利清掃(除去)とか。。。こんなの税金でやらなくてもいいわけですよ
こんなのは本来「自営業者」である農業従事者が自己負担すべきで、そこにかかる経費を抑えつつ、将来に必要なところにお金を投入すべきです
灌漑やため池の整備、圃場整備などにはお金がかかります。。。だから、いま国はお金がないので、経費節減しようと躍起になっているわけですが
基本的な考え方の「筋」が間違っていると、私は思うわけです
「一番大事なことにお金(資本)を集中する」
これは経営学の基礎中の基礎であって、「資本は集中するさせることで大きな力となり、分散させると力を失う」のです
つまり、地方分権化して「地域部落」に少しずつ「銭くばり」をしても、これは経営学の考え方から言えば「無駄金」になる可能性が高いのです
本気で農業従事者を増やし、食料自給率を高めたいのなら、基本的に国が大きな資本投下をして、抜本的に農業改革を進めるべきです
いまの現役政治家でも、MMT論者でも、このへんの「経営学の観点から見た農業改革のありかた」を考えている人は、ほぼおりません
残念なことです

まあ、そうしたことを感じているわけですが、肝心な私はと言いますと、残念ながら、「みなさんから選ばれた役職」についてしまったわけで
今さら辞退するわけにもいかず(と言っても、これ以外の地域の最重要な役職を10年以上ボランティアで引き受けていますが)
できる限りのことを、「最小限の労力」でこなせるよう、努力しようと思います
まあ、今日はこのへんにいたします

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神仏習合の霊的背景。。。日本にはなぜ仏教が必要とされたのか?

2023-03-22 01:52:31 | 日記
今の日本の宗教界には、大きく分けて2つの問題があると思っています
一つは、中村元を「教祖」とする「無神論仏教」の問題です
中村元氏は1912年~1999年、東京大学名誉教授、インド哲学専攻仏教学者・哲学者です
この人は、仏教を単なる唯物論にしてしまった人として、非常に有名な方です
正直、仏教が唯物論を説いているとしてしまっては、もう救済力も何もない。。。つまり、「身も蓋もない」わけです
仏教は単なるお葬式の作法であり、現代人には時代錯誤的で必要のない、「単なる道徳論」になってしまったのでした

もう一つは、日本神道に代表される、「ご利益信仰」です
この神道の信仰観が、日本人の信仰の「浅薄さ」を助長してしまっていることは否めないと、私は感じています
信仰というと、「イワシの頭も信心から」ではありませんが、「信じるとおかげがある」のが信仰。。。
こんな信仰を信仰だと、日本人は思い込んでいる節があります
だから、統一教会の問題においても、「高額な壺を買わせて、それがまったく意味がなかった。。。だから詐欺だ」
となるわけです。。。つまり、信仰は商売と一緒、「おかげ」が来なかったら単なる詐欺。。。これが一般的日本人の感覚ですね
でも、私に言わせれば、こんなものが本物の信仰のわけがないんですよ
霊感商法というのは、確かに「この世の中で得られる現世利益」を目的として、人の「欲望」に付け込みます
だから、現世利益がなく、財産をだまし取られたとして、「詐欺だ」となるわけですが
はっきり言って、騙された側にも問題があると私は思っています
こんな信仰観。。。日本人は大抵持っているんじゃないでしょうかね?

この二つの宗教の問題点ですが、共通している点があると私は思うのですよ
その共通点とは、「この世を中心に物事を考えている」という点です
考え、思考の中心軸が、現世、つまりこの三次元世界にあるわけです

無神論は勿論、この世に視点があり、「犯罪にさえならなければ、何をやってもいい」という考えであり
ジョージ・ソロスのように、検察や裁判員でさえ買収できるだけの資産があれば、「犯罪をやっても、もみ消しすればOK」なわけです
なので、仏教が無神論化してしまえば、道徳はお題目の綺麗事ばかりで、なにも意味がない事になります。。これが問題なわけです
無神論仏教はジョージ・ソロスを説得することなどできないわけですよ。。。道徳なんて綺麗事ですから、「何言ってんだ」ぐらいなものです

もう一つ、ご利益信仰においては、「この世の利益を貰えれば信じる」というもので
信仰する目的が、「現世利益」なわけです
よくありますね、会社などの屋上や工場敷地内に鳥居と社を建てて、よく神様を祭ってますね
これなども「商売繁盛」という「現世利益」を目的とするものです
神社にお参りすることも全く同じで、お賽銭を投げる行為の動機もまた、健康、結婚、家内安全、厄除けなどの「現世利益」なのです
ですから、統一教会の霊感商法とどこが違うのかと言えば、まず「金額が違う」ことはありますよね?
霊感商法の壺は高額だから。。という事もありますが、でもね
神社などでは初詣の時に屋台で「熊手」を売っていると思いますが、縁起ものとして5万円とか10万円とか、もっと高額なものもあります
これなども、霊感商法といえなくもない訳です。。。でもまあ一般的に、買った人が納得すれば詐欺にはならないわけです(笑)
じゃあ統一教会の霊感商法がなぜ犯罪に当たると言えるのか?と言えば、一つにそれは、その買わせる手口に「嘘がある」からですね
縁起物の熊手なら、「昔からあるからそんなものだ」と思っているから、買った人の会社が倒産しても「詐欺だ」とはならない(笑)
でも、法律的に見れば、熊手と霊感商法の壺の違いについての線引きは難しいでしょうね。。熊手を買って倒産したらね。。。。
「縁起物なんて嘘じゃないか」と言われたら。。。少額でも詐欺になるとすれば、これは大変なことです
「なんで熊手は詐欺にならないのか?」と問われたら、これを法律で明文化するのは極めて難しい問題だと思います

だからね、まあ政党女子48党の黒川敦彦氏なんかは、その違いをきちんと把握しないで、カルトだなんだと暴言を吐きながら
宗教施設前でデモ行為なんかして宗教弾圧しているのは、後々問題になるのではないかと思いますね。。。
政治家として思慮が足りず、本当に浅はかだと思います
こういう行為を見ると、黒川氏は基本的な宗教の違いを全く理解していないことが、私には分かります
ただ、私は霊感商法が詐欺なのか、そうでないのかをここで述べようとしているのではありません
宗教としての「考え方の筋」を示そうとしてこれを書いています

ここで本題に戻り、日本になぜ神仏習合が起きたのか?聖徳太子はなぜ日本に仏教を入れ、国教として憲法にまで取り入れたのか?
それが、宗教としての「考え方の筋」というものを考えるうえで、極めて大事な論点なのです
聖徳太子から少し後の、飛鳥時代から奈良時代にかけて、行基という名僧が出て、仏教が大変なブームになりました
この行基の時代に、仏教寺院が数多く建立され、奈良の東大寺と大仏が建立され、行基は聖武天皇の帰依を受けて大僧正になり
ここに「神仏習合(神道と仏教が融合すること)」が成立しました
では、仏教はなぜこの時代に広がったのか?
それは、単なる現世利益を求める神道の信仰では、国を一つにまとめることが難しかったからであろうと、私は推測しています

仏教にあって神道にないもの。。。それは、「実在世界(死後の世界)まで含めた世界観と心の教え」なんですよ、これ、分かりますかね?
仏教には死後の世界観があるんです。。。天国と言われる善人の住む世界や、地獄、餓鬼道、畜生道、阿修羅界
そしてもっと上の神仏(天)の世界といった、人間がこの世を去った後の世界観です
そして、転生輪廻という「生まれ変わりの思想」も入っています
また、それに連動するように、哲学的に「どういう生き方をすればどういう死後が待っているか?どういう生まれ変わりになるか?」
という因果の理法に基づく教えが説かれているのです
つまり、仏教には民衆を教化するための、善因善果、悪因悪果という修身(身を正す)の教えがあるんです
それも、死後の世界まで含めた修身の教えであり、単なるお題目の道徳とは違います

そして、釈迦時代に説かれた教えとして、布施の精神、「三輪清浄の教え」がありますが
これは霊感商法とは全く視点の違うものなのです
仏教における最も尊い布施とは何かというと、これは「法施」です
「法施」、法を施すとはどういう意味かというと、「仏の教えを伝える」という意味です。。。これが最も尊いんですよ
だから、寺院を建立することによって仏教を広めることができるため、寺院建立のためのお布施は尊い事だとされていました
そして、法を広め、無明の民衆に教えを伝えてくださる僧侶にお布施したりすることは、最も尊いことだとされたんです
これが本来のお布施の精神なんです
三輪清浄の教えは、施者(布施を出す人)、受者(布施を受ける人)、施物(お布施そのもの)に穢れがあってはいけないという教えです
つまり、施者が不純な動機でお布施を出すことや、犯罪を犯して稼いだお金を出すことはダメ
受者が、相手を騙してお金を出させたり、嘘の用途にお布施を使ったりして、不純であってもダメ
施物が汚れたお金。。。詐欺や強盗や、その他の不正なお金やものであってはダメ

行基が大仏建立の時に、全国から布施を募ったのですが、その際には、財産のない者も沢山いたわけです
ですが、貧者の一灯という教えがあり、貧しいものは藁の一束、土を運ぶ労力
こうした「自分のできる最高の真心」もまた、尊い布施の精神とされたわけです
これが本来の布施の精神です。。もちろん、四国八十八か所のお遍路さんに一夜の宿や食べ物などを施す風習である「お接待」もまた
信仰心をもつ遍路さんに布施を施す尊い行為の一つなのです
布施の精神とは、「現世利益」を超えたものが含まれているのです。。。この世的な見返りを求めなくとも布施の精神は成り立つのです

世界のメジャーになった宗教(ユダヤ教、キリスト教、仏教、イスラム教等)には、いずれも神の教えとして修身の教えがあり
天国地獄といった世界観が、仏教以外は不完全ながらも、きちんと存在しています
キリスト教にだって寄付を美徳とする教えがありますが、それは教会が心を救うための大切な場所であるからです
そしてキリストの教えを広めるための大切な場所である教会に寄付することは美徳とされています
だから、欧米では教会に対する寄付は無税であるのです。。。
今はすいぶん穢れが入っていることは事実ですが、それでも、本来は寄付行為に課税することはナンセンスなことなのです
女子48党の黒川氏は、こうした事も知らないでしょう

そして前回の日記で紹介した、カール・ポパーが批判したギリシャ哲学のプラトンの教えも
きちんと天国地獄の世界観と転生輪廻の思想、それに伴う哲学的な修身の教えが入っているわけです
世界的な宗教や哲学には、普遍的なものとして、それが入っているのです
残念ながら、神道にはそれがなかったのです
ですから、日本人の神道的な感覚で寄付やお布施を「現世利益を求める人を騙して出させる詐欺行為」と考えるのは間違っているのです
本来、信仰とは国民を教化し、素晴らしい国を作るための教育の根底にあるべきものなのです
今日はそのことを結論として書いておきたいと思います
ありがとうございました
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なぜ宗教は必要とされてきたのか?唯物論者の説く「開かれた社会」は本当に善なのか?

2023-03-21 01:55:29 | 政治
前回の日記で、言葉足らずであったところを補足しておきたいと思います
ジョージ・ソロスは年若い学生の頃、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに進学し、カール・ポパーという教授に薫陶を受けています
そこでポパーの「開かれた社会とその敵」という著書を読み、強い影響を受けたと思われます
ソロスがその後、投資の世界で頭角を現し、世界有数の資産家となってのち、彼はその資産を使って「ある」財団を作りました
それが「開かれた社会(のための)財産(オープン・ソサイエティ―財団)」です

ある特定の人の行動を推し測るとき、その人の「思想的背景」まで深く考えない人が多いのですが
実際には、その人の行動原理は、若い頃に強く影響を受けた宗教や思想・哲学などに基づいた行動をとっていることが多いのです
ジョージ・ソロスもまた、若い頃に強い影響を受けた思想によって、その行動原理の傾向性が決まっていったと言えるでしょう
ソロスに強い影響を与えたカール・ポパーの思想とはどういうものであったかというと
その思想は哲学的なものを含んではいますが
要するに、ソクラテスやプラトンをはじめとするギリシャ哲学が、「イデア」などという、霊魂やあの世の世界のことを哲学に持ち込んだため
その後の人類は、「霊魂やあの世の話」などという迷妄を信じることになり
天国や地獄などという「ありもしない絵空事」を信じ込むことによって、内心(心)の自由を制限されてきた
つまり、自分の欲望のままに生きる権利を奪われてきた。。。と言っているわけです

プラトンはその著書「国家」の中において、わざわざ「エル」という人物のエピソードを語っています
エルはあるとき亡くなり、そして2週間後に生き返るまで、様々に「あの世(イデアの世界)」を体験しました
その体験談を語ることで、人は生前の生きかたによって、死後の行き先や、生まれ変わったときのあり様が変わる
ということを説いたのです
つまり、プラトンが説いたのは、仏教の天国地獄の思想や転生輪廻の思想と同じものだったわけです
そして、その「イデア(あの世)の世界」と「現実の世界」の真実を知って政治を行うことが、哲人政治家の道だと説いたわけです
平たく言えば、これがプラトンが著書「国家」で説いている哲人政治の思想なのです

そして20世紀、カール・ポパーは、特にこのプラトンの哲人政治の思想を痛烈に批判しています
彼の言いたいことは要するに「あの世なんかないんだ、そんなものは迷信なんだ、欲望のままに生きたところで、地獄なんかありはしないんだ」
という、現代人の多くが持っている、唯物論的な価値観なわけです
ですから、これまで「悪い事をしてはいけない」という道徳的な教えが宗教やギリシャ哲学などから出ていたわけですが
そうした「古い道徳的価値観」から解放されることが「開かれた社会」だ、と、ポパーは主張したわけです
これが彼の著書「開かれた社会とその敵」の主張であり、彼の言う「敵」とは、プラトン的な道徳思想のことなのです

この思想背景を知れば、下の動画においてジョージ・ソロスがやっていることの意味が理解できると思います

2023.3.19【米国】ジョージ・ソロスの仕掛け【及川幸久−BREAKING−】

ジョージ・ソロスは「開かれた社会財団」において、様々な活動をやっていますが
特に、宗教。。。キリスト教教会には盛んに寄付を行っています。。。これは一見矛盾した行動のように見えますが
実は、彼は特定の教会や教皇などに取り入り、彼らを買収し取り込み、彼らを出世させ、彼らを自分の影響下に置くような活動をやっています
つまり、キリスト教教会では、すでに無神論のソロスの息のかかった牧師や教皇などがたくさん存在しており
ソロスの活動を支援しているという現実があります。。。つまり、お金の欲望で神を買収しようと考えているわけです
まあ、私から見れば、キリスト教教会ももはや腐敗だらけなわけですが、これがソロスのやっていることなのです

そして、動画にもあったようにBLM(ブラック・ライブズ・マター)を資金的に援助し、社会を無秩序(アナーキー)状態にさせ始めています
検察官を金で買収し、警察を無力化するとともにBLMの犯罪者たちを「軽微な犯罪」だとしてどんどん釈放するようなことをやっています
これが、WASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)の白人系キリスト教徒がつくったアメリカを「壊す」活動なわけです

こうしてみてくると、ある一人の哲学者の思想が、社会にどれほど大きな影響を与えるか?それがよくわかると思います
ポパーの思想は正しいのか?と言われたとき、私は明確に「ノー」と言っておきたいと思います
彼には霊的世界が分からなかった。。。人間は死ねば終わりだと思っていた。。。これが彼の最大の間違いです
唯物論者の内心の自由を突き詰めていくと、こういうところまで行きます
要するに、善悪の基準がない訳です。。。人は好き勝手やっていいわけですからね
だからこそ、宗教において「善悪を分けること」がどうして必要なのか、ご理解いただけると思います

本日はこれまでとします。。。お読みいただき、ありがとうございました
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ソロスの「開かれた社会」の思想的背景は唯物論者カール・ポパーの著書「開かれた社会とその敵」

2023-03-20 01:50:36 | 政治
また出てきましたね、ジョージソロス。。。。久々にこの件をおさらいしておきましょう

2023.3.19【米国】ジョージ・ソロスの仕掛け【及川幸久−BREAKING−】

この動画で及川さんは、「ジョージソロスは犯罪者にやさしい」と語っていますが
ソロス曰く、その「犯罪者にやさしい社会こそ開かれた社会」だというのです
この思想的背景は、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスという大学の教授、「カール・ポパー」であり
ポパーの著書「開かれた社会とその敵」という著書を思想的背景に作ったのが、ソロスの「開かれた社会財団(オープンソサイエティ財団)」でした
要するに、ポパーの思想の下に行動すると、「欲望の自由」こそが、「開かれた社会」が理想とする社会なのだとか。。。

要するに、宗教が理想とする道徳とか倫理観というものが、「プラトンらが説く霊や魂といった古い価値観による迷妄で縛られた、閉じられた社会」なのだそうです
これは本当にポパーの思想をそのまま社会に適用しようとすればこうなる。。。という好例です
つまり、この世で自由を謳歌することこそ、開かれた社会だと彼らは言っているわけで、そのために警察もまた、自由を縛る鎖なのです
そういう価値観の下にお金を使っていくと、ジョージソロスのような活動になるという事でしょう
唯物論的思考がどのような「自由」をもたらすか。。。これを見ると原因結果は明らかです

そう言えば、女子48党の幹事長黒川敦彦氏も、どうやら唯物論者らしく、あらゆる宗教をカルト認定して暴言を浴びせています

本人は唯物論者ではないと言っているらしいですが、自分の都合の良い霊言だけは「本物」だと認定するご都合主義のようです
下の動画で「クソカルト」と暴言を吐いているのはまさに黒川氏であり
世界的な宗教も巷にある宗教も、宗教の神降ろし霊言は、メジャーなのだということを全く理解していないようです
何なら、代表的な霊言宗教であるイスラム教信者たちに「お前たちはカルト宗教だ」としっかり批判し
ムハンマドを「カルト宗教の教祖だ」と、試しに公の場で冒涜してみればいいのでは?できるものならば。。。ですが

この人の暴言には、心底あきれるとともに、腹が立ちました
言論の自由は暴言の自由じゃないから
そして言論の自由は「信仰告白の自由」から出ているものだから。。。
中世ヨーロッパで、信仰を告白することで魔女狩りのような悲劇がたくさん起きてしまった。。。
その反省から信仰告白の自由が保障されるべきだという考えが出てきて、その信仰告白の自由を守るために言論の自由が出てきた
それがヨーロッパの近代法の成り立ちであり、背景です
黒川敦彦氏は法律を制定する国会議員でありながら、そんなことも知らないのは、正直、問題がありすぎだと思いますよ

何をもってカルトと認定するのか?国会議員なら、それを明確に規定すべきだし
そもそも、現役の国会議員が国権を乱用して宗教を弾圧すると憲法違反になることすら認識していない
こんなの、議員じゃないでしょう
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