安い税金と小さな政府を切望するふきあえずのブログ

安全で暮らしやすい日本をつくりたい
そんな想いを綴っていくブログにしたいと思います

私の霊的失敗談。。。結果的に翻弄された話

2023-09-09 10:02:51 | 日記
今日は霊的な話を二つ語りたいと思います
こんなことを語る理由としては、「霊的なものは本当にあるのだ」ということを、皆様に具体的にご説明したいからです

一つ目。。。前々回の私の自分語りの中で出てきた、私の元勤めていた会社の元社長が亡くなられたときの話
2020年の夏の終わり、パンデミックが流行り始めたころ、元社長のS氏が亡くなられました
私がそのことを知ったのは、まあきっかけは「夢」でした
S社長が私の夢に出てきて、筒状に丸めた何かの設計図面を私に手渡し、しばらく無言で道を一緒に歩きました
しばらく行くと、道が二手に分かれ、S社長は「じゃあな」と一言言い、左の道へ歩いていきました
すぐ私は、図面をS社長に返さなくてはならないと気がつき、左の道へ進み、あとを追いかけたのですが、もうS社長はどこにもいませんでした
目覚めてからふと「もしかすると、S社長は亡くなったのではないか?」と感じ、S社長の後任社長の、私の後輩K君に電話をしました
「もしもし、K君?ごめん、失礼なことを聞くようだけど。。。もしかしてS社長、亡くなったんじゃない?」
するとやはりS社長は数日前に亡くなっており、K君によると葬儀は家族葬として、ごく親しい会社関係者と親族だけで行われた。。。とのことでした
パンデミックによって、葬儀がクラスターの原因になったことが大きく報道されていたこともあり、家族葬だったとのことでした
そのころはS社長は相談役として既に第一線から退いていたこともあり、社会状況を考えればそうする以外になかったのでしょう
私はその電話のあと、夢の意味をしばらく考えていたのですが。。。そのとき伝わってきた思い。。。残思念によると
S社長は、私が会社を退社したころ、私を社長として後を託したいと本気で考えていたようで
ご自身が亡くなってのち、私にそのことを伝えたかったのだそうです。。。設計図面は、S社長の未来設計図だった、とのことでした
私はそれを知って、当時、分かり合える方法はなかったのか?。。。
それを考え、悩み、お互いに気持ちを伝えることができなかったことを悔やんだこと、今でも鮮明に覚えています

二つ目。。。これは、私が悪霊もしくは悪魔に結果的に翻弄され、「人間として生きている者の、霊的能力の限界」を知るきっかけになった出来事です
このブログ内を探せばすぐに出てきますが、以前、霊媒体質のAさんという女性と、ほぼ毎日マンツーマンで除霊。。。というんでしょうか?
とにかく、悪霊の憑依から彼女を救うべく、相当深く関わったことがありました
当時、Aさんは酷い憑依を受けている状態で、まともな社会生活がほぼ無理な状況に陥り、ご家族も相当な苦労をされておられました
私はひょんなことからそのご家族とのご縁があり、Aさんにとり憑いてる悪霊を何度か引き剝がして、彼女を救済しようと努めました
結局、私はAさんを救済することはできなかったのですが(まだ決まったわけではありませんが)
それは結局のところ、長年重篤な憑依を受け続けてきた結果、本人の魂の根本が相当な浸食を受けているため、救済不可能な状態にあった、ということです
私は「正直」を旨としているため、失敗談を曲げて成功談には決していたしません
彼女は極度の霊媒体質であったため、実際に、何度も体を完全に乗っ取られて、霊の言葉(異言)をしゃべるような人でした
完全に意識喪失すると外国語や昔の言葉もしゃべっていました
それも、出てくる人が何人もいて、くるくると人格が変わり、本人ももはや誰がしゃべっているのか判別のつかないような状態でした

大川隆法先生も、この重篤な憑依を受け続けてきた人を救済することの難しさについては、何度かご説法して下さっており
重篤な場合は、家族にも信仰心があって、全面的な協力がない限り救う事ができない。。。仮にそれがあっても難しいこともある
と教えていただいています
このAさんと関わってきた過程において、実のところ、Aさんに関わってきた憑依霊の何体かは、実際に除霊に成功しており
祈願などを通して、実際に何体かの憑依霊の成仏にも成功したと思います
ところが、Aさんに取り憑いていた最後の一人は、物凄く知恵があり厄介な存在で、最後の最後まで離れず
結果的にAさんを死の寸前にまで追い込み、私との関係を断たれることになりました
その最後の悪霊というのが、自称元俳優Mの霊です
自称元俳優と言っているのは、本人が元俳優のMの名を名乗っていたからです

最後、Aさんが死の瀬戸際を彷徨っている時、夜中にMが私のところに尋ねてきて、私にこう囁いたことがあります
「勝負は僕の勝ちだね。。。僕(の演技が)が勝ったんだよ」
私は何のことを言っているのか、すぐに理解できました
要するに、Mは祈願などをしたときには「僕が間違っていた」とか、「Aちゃんが可哀想だ、僕はなんてことをしてしまったんだろう」
とか、涙ながらに語ってくるわけです
「改心して、これからは彼女のことを見守るよ」、とか、そういう殊勝なことを言うわけなのですが
結局、彼女の状態が悪い時には、その後も何度も彼女のところに出てきては
「彼女が可哀想」だとか、「僕はAちゃんのことを愛しているんだ、だから彼女を守りたい」
などと、何度も何度も出てきて繰り返すわけです。。。これに、Aさんが何度も騙されるわけです
残念ながら、最初の頃は、Mのこの演技に私も騙されたのです
結局、このMを名乗る悪霊は悪魔であり、改心などすることはあり得ないという事を知りました
そして、Mの本当の狙いは「私」であったことが、ここで理解できたのです
私が目障りだったのです
Aさんを救えなかったことで私を失望させ、落胆させて、あわよくば私の信仰を切ってしまおうと、Mは考えていました

私は、人間として生きている者の霊的能力の限界。。。というものを、この出来事で知ることになりました
そしてまたなお、最後は信仰心を持っているかどうかが、悪魔に勝てるかどうかの分かれ目なのだと理解できました
私は、私の元に来たMにこう言ってあげました
「あなたは私に勝ったと思っているかもしれないが、それは間違い。。。私は最初から勝負などしていない。。。でも
あなたは結果的に負けたんだよ。。。あなたは、こうして罪を重ねていくうちに、もっともっと深い地獄に落ちていくことになる
あなたは自分の演技にうぬぼれ、自分が凄いと思っているうちに、魂の自由は奪われ、地獄の底から出る事ができなくなる
結果的に、君は負けたんだよ。。。その証拠に、地獄からは出られないでしょ?」
その後、何度かMが来ることはありましたが、今はもう来なくなりました

後日談で、今私が感じていることを書きます
この自称俳優Mを名乗るM君ですが、来ていたM君は悪魔のようですので、本当のことを言っているかどうかは分かりません
ですが、彼との会話の中で、いくつか判明したことがあります
彼の本質を語っておくことが、悪魔の本質を明らかにする、という意味で大事なことだと思うので、彼の本性を語ります
彼が本物のMだとしたら、AさんとMと直接の接点があるはずなのですが
その接点は、おそらくSNSを通じて、Aさんが生前のMと接触したことにまでさかのぼります
Aさんが正常になった時に聞いたこととして、どうやらSNSでの接触があったようです
Mは、報道では死の理由が明らかになっておらず「自殺したのではないか?」とか、「てんかん発作で亡くなった」とか
そういう噂にはなっていますが、某女優の不審死と合わせて、どうやら「殺された」という説もあり
その殺された理由として囁かれているのが、某芸能プロダクションの所有する瀬戸内海にある島の保養施設が
実は芸能界や海外の有名人もご用達の「性春保養施設」だったのではないか?
という事実を、Mが密かに暴露しようとしていたのではないか?それで関係者に消されたのではないか?とも言われています

私は過去、小児性愛の問題も何度か取り上げたことがありますので、このあたりのことを知らないわけではありません
エプスタインとか、保養島の話とかは知ってはいます。。。この俳優Mの話も知っています
有名な保守論客の水間条項さんが、このMを「勇気ある俳優」だとして喧伝しているのも知っています
ですが、私が接した自称Mの霊は、そんな男気のある人物ではありませんでした
逆にMが何をやってきたのかというと、彼の弁では、芸能界にいた時、散々その醜い世界を見てきたため
どうやら彼自身もその世界に染まり、感覚が麻痺して、その保養施設でかどうかは知りませんが
事務所などに用意してもらった女性らと、散々いかがわしい行為をしてきた。。。ということです
彼は複数の女性との複数プレイなどにはまっており、その保養施設について暴露しようとしたのは
どうやら「俺はこういう保養地で遊ぶことのできる人間なんだよ」ということを、周囲の人に自慢したい気持ちがあったようです
だからそういう施設の存在を匂わせるようなことを廻りに吹聴していた。。。という事なのかもしれません
それが、彼の死後に「正義感から事務所の不正を暴露しようとして殺された」という話に、いつの間にかすり替わったのかもしれません

彼にとっては、これは彼の弁なのですが、女性は単なる「ヤル」ための道具のようなものであって、性欲解消の手段だという事でした
彼の告白では、彼は麻薬こそやっていなかったものの、何かしらの薬物(MDMA?)にはまっていたようで
最後の方は、感覚を麻痺させるために、薬物を常用していたと語っておりました
薬物を使用しての乱交。。。こうしたことがよくあったと思われます
彼がもし本当に殺されたのだとしたら。。。彼のその「常軌を逸した切れっぷり」に、恐れをなした誰かが口を封じた可能性もありますね
Aさんは精神科で麻薬系の薬を処方されていて、頭がぼ~っとしていたそうですので、そうした感覚もまたMと同通した原因かもしれません
Mは、女性を口説き落とすことも演技の練習なんだ。。。みたいなことも語っていたと思います
「愛してる」、「君を守りたい」みたいな言葉を散々使っていたという事でしょうか?
そういうことですから、精神科で強い薬物を処方されて頭がぼんやりしてくると、「生前、薬物を使用していた悪霊」に憑依される原因になるのかもしれませんね
こうしたことは、今回のことで本当に勉強になりました

今日の二つ目の話は、M氏のファンには受け入れがたい話かもしれません
実際のところ、真実はどうであったのかは私にも判断はつきません
ただ、Aさんに憑依していた俳優Mを名乗る霊が、そういう事を語っていた。。。という事実だけが残ったわけです
もし本当にそうであるなら、その真実を明らかにしてあげる事こそが、M氏への誤った信仰。。。
M氏への誤った崇拝を取り除く一助にだけはなるのかもしれません

最後に、この話は講談として、作り話としてご理解ください
それでは。。。また
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生霊論。。。宗教修業の神髄「パングルへの変身」

2023-04-01 01:53:38 | 日記
今日は前回に引き続き、大川紫央著「パングルへの変身」に焦点を当てて、研究してみたいと思います

正直、この本は大川紫央さんへのインタビューが中心で、大川隆法総裁の補足のついた対話禄なので、すごく読みやすい本なのですが
その語られている内容たるや、宗教修業に縁のない人には分からない。。。とてもじゃないけど「分かる人にしか分からない」という内容の本です
物凄く高度な内容なので、全然理解できない人も、もしかするといるかもしれません

昨年、「呪い返し師 塩子誕生」という映画が劇場公開されましたが、大川紫央さんは、この主人公の塩子のモデルになった方です
私自身の経験から言っても「世に呪いの種は尽きず」と言いますか。。世の中にはきっと、無数の生霊が飛びかっているんでしょうね
例によって、私自身の過去の経験について、この書籍に書かれていることをもとに反省してみたいと思います

読み進めていくと、「宗教修業とは、本当に厳しいものなのだな」と、しみじみ感じます
生霊が誰かのもとに飛んでいく、というのは、「生霊を飛ばしてやろう」と考えてのことでないことがほとんどです
それでも、知らず知らずのうちに生霊が相手のところに行くパターンとしては
「相手に何らかの恨みや不満を持っている」
「知らず知らず、相手を嫉妬している」
「相手に好意をもっており、自分のことを気にかけて欲しいと思っている」
「尊敬する相手に、自分のことを認めて欲しいと強く思っている」
こうしたことが原因としてあげられるようです

よく、宗教家の与国秀行氏が、「宗教家とは、心の修業を行っている修行者である」ということをよく言います
でも、宗教家の心の修業は、一般の方が表面的に見ているよりも、もっともっと、実に厳しいものなんです
私の言う宗教修業が厳しいという意味は、「心の中で思っていることにまで、宗教家は責任を問われる」からです
それも、「表面的な思い」だけでなく「潜在意識下で思っていること」にまで、責任を問われるからです
これが実に難しい。。。

仮に、心の中で誰かに嫉妬する気持ちが出てきたとしますね、すると、宗教修業をやっている人なら普通
「いや、こんな思いはいけない、嫉妬するんじゃなくて、相手を祝福しなければいけない」と考えます
これが宗教家の心の修業の一つなのですが、もっと突き詰めて言うと、宗教家の宗教修業はこれでは終わらないのです
これがもっと高度な修行になってくると、「なぜ嫉妬心が出てきたのか?」という、その嫉妬心の”原因”にまでメスが入るのです
そうすると、心の中に「自分はあいつより優秀なんだ」という「強い自我」の思いがあるという事が分かるわけです
「自分はあいつより優秀なんだから、あいつより評価されるべきなのに、今の処遇は納得いかない」というわけです
その自己評価が正当なものであればまだいいのですが、往々にして、他人から見た自分の評価は、自己評価ほど高くないことが多いわけです

以前私は、10歳年上の部下に嫉妬されて生霊に巻き付かれていた、という話をしましたが
考えてみると、私自身、嫉妬で生霊を受けていたと思ってはいたものの、その部下の嫉妬心が正当なものであったかどうか
それをきちんと検証していませんでした
よくよく考えてみるに、確かに、私自身の「実力不足があったことは確か」です
彼の人格には難はありましたけれどもね(笑)だから、上は彼を抜擢しなかったわけでして。。。
ただ、当時幹部候補だった私は、明らかに仕事で行き詰っていまして、でも、彼も行き詰っていて、業界自体が酷い不況であったことも確かで
当時の状況は非常に厳しい状態で、自己客観視がきちんとできていなかったですね
ただ、私自身について言えばやはり、「彼を納得させるほどの実力はなかった」と言うべきでしょう
宗教における反省行とは、こうして、「なぜ嫉妬を受けたか?」についても、心当たりがあれば反省しなければならないわけです
自分自身の実力不足を知って、謙虚に努力する姿勢があり、「自分の方が偉い」などという気持ちがなければ
「嫉妬されるのは理不尽だ」とも思わなかったでしょう。。。結局は、自分もまた、地位に胡坐をかいて天狗になっていたわけです

時間が時間なのでこの辺で終わりますが、今後、この6年後のパンダ学「パングルへの変身」については、もっと考察を深めていきたいと思います
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「6年後のパンダ学」からの学び。。。Aさんのその後と自分の要求を執拗に求めてくる悪霊の存在

2023-03-29 03:06:32 | 日記
いま私は、大川隆法総裁の奥さんで総裁補佐の大川紫央さんの書籍、「パングルへの変身」を読んで勉強しています
なんでこの本を手に取ろうと思ったのか?自分でも不思議なのですが、読み始めてみると、やはり今の自分に必要な学びがそこにはありました

話は日記のタイトルとは別件ではありますが、少し前に、生霊(いきりょう)の実例の話をしたかと思います
高齢の霊的な感度の高いお婆さんが、最近、「生霊」に悩まされている、という話です
その高齢女性が入居している高齢者住宅に、ヘルパーとして勤務しているとあるヘルパー女性が、よく「盗み」を働くそうで
あるとき、その高齢女性に「盗んでいるところ」を発見されてしまい、開き直ったそのヘルパー女性が高齢女性に
「ちょっと借りようと思っただけなんだから、誰かにこのことしゃべったら承知せんよ!!」と強い口調で脅してきたそうです
しかし、高齢女性から相談を受けた私は、「信頼できる経営者に、心を割ってきちんと相談するほうがいい」とアドバイスしました
高齢女性は私のアドバイスの通りにしたようで、その後、そのヘルパーさんが部屋に訪問してくることはなくなったのですが。。。
それから少しして、高齢女性が「生霊」に悩まされるようになったというのです
「部屋に誰かが入ってくる気配がする」「加湿器が壊れたり、CDが壊れたりする」「部屋で物音が聞こえる」
「ベッドで横になっていると、あのヘルパーさんの睨んだ顔が見える」。。。といった具合です
実は、こういう「逆恨み」による生霊問題は、意外に身近に多いものなのです

かくいう私も、十数年前に会社勤めをしていたときに、強い「生霊」に悩まされていたことがありました
当時の私は、次期経営者と目され、若くして幹部になっていました
その時、自分で言うのもあれですが、仕事にはそこそこ自信がありましたし、天狗にもなっていたのだと思うのですが
私よりも10歳も年上の部下がいまして、ことあるごとに「嫉妬」の念を向けられて、往生していました
嫉妬の念は体中に絡みつくように巻き付いて体調不良を起こしますし、誰かの視線を感じるし、首を絞められている感覚もありました
嫉妬を伴う「生霊」は怖いものなのだ、ということをいまさらながらに感じます
当時の私には「私は人間としてまだまだだ」という謙虚さが足りなかったことは確かです。。。そこが生霊を呼び寄せる原因にもなっていたのでした
最後は仕事で行き詰まり、人間関係で行き詰まり、結果退職していますので、自分自身の反省が必要であったのだと思います
ただ、生霊を向けられて一度挫折した私ではありましたが、自分自身もまた、誰かに自分の「強い自我」を生霊として飛ばしていた可能性もあります
そうしたこともまた、これからさらに反省材料としていかなければならないでしょう

話は変わり、以前に何度も日記を書いた、霊媒体質の女性Aさんのその後の話ですが
今の彼女は相当に変わりました。。。以前のように悪霊に体を乗っ取られて、突然「異言」を話し始めることもなくなりました
4体、5体と憑依していた悪霊もほとんどいなくなったのですが、残念ながら、最後の最後まで、とある「自分を俳優だと名乗る悪霊」が
Aさんから離れることなく、つきまとい続けていました
その俳優を名乗る悪霊も、実は今、少しずつ変化の兆しを見せています
これまで「自分の要求」ばかり突き付けてきて、しつこくしつこくつきまとう、その悪霊の執念深さに
さすがの私も「なすすべはない、諦めて離れてくれるまで待つしかないのではないか?」と少し失望感を感じていましたし
もしかすると「Aさんの精神薬の副作用による妄想なのではないか?」と疑ってもいたわけなのですが
その悪霊が、とうとう変化の兆しを見せたのです

実は数日前、Aさんが「どうしても相談にのって欲しい」というので、自宅にお邪魔し、Aさんのお母さんともども面談したのですが
その時に、しばらく出てこなかった某俳優の悪霊が、Aさんの口を通して、「どうしても話をさせて欲しい」と語り出したのです
「帰りなさい」と強く言う私に対して、どうしても某俳優は帰らないので、話を聞いてみました
すると、「私は仏に帰依したいのです」と言うのです。。。私は正直驚きましたが、よく悪霊や悪魔は嘘をついて人間を惑わせるので
本心かどうかを疑いつつ、何度も確認しました
そして最後は半信半疑ながらも
私:そこまで言うならば、導師をしてあげましょう。。。私の言葉に続いて、あなたは本心で答えなさい
私:あなたは仏に帰依しますか?
悪霊:はい、仏に帰依します
私:あなたは仏の説く教え(法)に帰依しますか?
悪霊:はい、仏の教えに帰依します
私:あなたは仏の作った僧団(サンガ)に帰依しますか?
悪霊:はい、サンガに帰依します
と。。。こういうやり取りがあったわけです

そして後日、Aさんが行きたいというので、私はAさんを(ご両親の了解のもと)支部へお連れし、そこでの「祈り」に参加させました
そこでは今、「秘法」と呼ばれる経文を使って祈りを行っているわけですが、そこにどうやら「俳優を名乗る悪霊」君が参加していたようでした
立派なことに、最初から最後までAさんは祈りを終えたわけですが、その中での祈りの声が「2重うつし」に聞こえてきたと思ったら
涙ながらの祈りの声が聞こえてきました。。。他の参加者の方にも、その声は聞こえていたようでした(驚きですが)
あとでAさんに確認したところ、来ていたのは少し前までAさんに憑いていた三人、俳優、自殺した叔母さん、そして戦国武将を名乗る霊
泣きながら経文を読んでいたのは、数年前に自殺した叔母さんだったそうです
これを聞いて私は、「本当に良かった」と胸をなでおろしました

最後に、俳優を名乗る悪霊君についてですが、この人の話が単なる妄想ではないと私が理解したエピソードがあります
この俳優君、最近Aさんにある要求をよくしてくるそうです。。。それが
大川隆法総裁の書籍「仏陀再誕」の中の一節、「草笛の音(くさぶえのね)」のところを、何度も何度も読んで欲しいとせがむのだそうです
この「草笛の音」の話は、たとえ話なのですが、分かりやすく言うとこういう話なのです
誰の心の中にも暴れて手のつけられない乱暴な大男がいる、心の中の煩悩は乱暴な大男のようなもので
例えば性欲が強い人は、その強い性欲という大男に振り回されてばかりのようにも見える
しかし、そういう乱暴者の大男でも、言うことを聞かせ、大人しくさせる方法がある。。。それが「草笛の音」である
心というものは、なかなか自分の思い通りにすることはできず、煩悩は尽きることはないが、「仏の説く教え」は「草笛の音」であり
仏の説く教えを聞くことで、心の中の大男は静まり、心の中で暴れまわる煩悩を吹き消すことができるようになる
実は、仏の教えとは「自らの心を深く知り、自らの心を制御するための方法を教えるもの」なのであって、その教えのことを仏法真理と言うのです
俳優君は、Aさんいわく、色情系(男女問題)の問題を抱えているようであり、どうやら俳優君が来ると色情地獄のビジョンが見えるそうで
俳優君は、死後もなお女性に対する欲望が尽きることなく、制御できなくてAさんにしつこく憑依し続けていたのだと思います
だからこそ、その「煩悩を吹き消すための方法」であるところの「草笛の音」の一節を、何度も読んでくれとせがんでくるようです

私はこれを聞いて「なるほど」とうなりました
俳優君も変わりつつあるのだなと安心するとともに、私自身もまた、俳優君に教えていただいているのだと、強く感じた一件でした
長くなりますので、今日はこれまでとします


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神仏習合の霊的背景。。。日本にはなぜ仏教が必要とされたのか?

2023-03-22 01:52:31 | 日記
今の日本の宗教界には、大きく分けて2つの問題があると思っています
一つは、中村元を「教祖」とする「無神論仏教」の問題です
中村元氏は1912年~1999年、東京大学名誉教授、インド哲学専攻仏教学者・哲学者です
この人は、仏教を単なる唯物論にしてしまった人として、非常に有名な方です
正直、仏教が唯物論を説いているとしてしまっては、もう救済力も何もない。。。つまり、「身も蓋もない」わけです
仏教は単なるお葬式の作法であり、現代人には時代錯誤的で必要のない、「単なる道徳論」になってしまったのでした

もう一つは、日本神道に代表される、「ご利益信仰」です
この神道の信仰観が、日本人の信仰の「浅薄さ」を助長してしまっていることは否めないと、私は感じています
信仰というと、「イワシの頭も信心から」ではありませんが、「信じるとおかげがある」のが信仰。。。
こんな信仰を信仰だと、日本人は思い込んでいる節があります
だから、統一教会の問題においても、「高額な壺を買わせて、それがまったく意味がなかった。。。だから詐欺だ」
となるわけです。。。つまり、信仰は商売と一緒、「おかげ」が来なかったら単なる詐欺。。。これが一般的日本人の感覚ですね
でも、私に言わせれば、こんなものが本物の信仰のわけがないんですよ
霊感商法というのは、確かに「この世の中で得られる現世利益」を目的として、人の「欲望」に付け込みます
だから、現世利益がなく、財産をだまし取られたとして、「詐欺だ」となるわけですが
はっきり言って、騙された側にも問題があると私は思っています
こんな信仰観。。。日本人は大抵持っているんじゃないでしょうかね?

この二つの宗教の問題点ですが、共通している点があると私は思うのですよ
その共通点とは、「この世を中心に物事を考えている」という点です
考え、思考の中心軸が、現世、つまりこの三次元世界にあるわけです

無神論は勿論、この世に視点があり、「犯罪にさえならなければ、何をやってもいい」という考えであり
ジョージ・ソロスのように、検察や裁判員でさえ買収できるだけの資産があれば、「犯罪をやっても、もみ消しすればOK」なわけです
なので、仏教が無神論化してしまえば、道徳はお題目の綺麗事ばかりで、なにも意味がない事になります。。これが問題なわけです
無神論仏教はジョージ・ソロスを説得することなどできないわけですよ。。。道徳なんて綺麗事ですから、「何言ってんだ」ぐらいなものです

もう一つ、ご利益信仰においては、「この世の利益を貰えれば信じる」というもので
信仰する目的が、「現世利益」なわけです
よくありますね、会社などの屋上や工場敷地内に鳥居と社を建てて、よく神様を祭ってますね
これなども「商売繁盛」という「現世利益」を目的とするものです
神社にお参りすることも全く同じで、お賽銭を投げる行為の動機もまた、健康、結婚、家内安全、厄除けなどの「現世利益」なのです
ですから、統一教会の霊感商法とどこが違うのかと言えば、まず「金額が違う」ことはありますよね?
霊感商法の壺は高額だから。。という事もありますが、でもね
神社などでは初詣の時に屋台で「熊手」を売っていると思いますが、縁起ものとして5万円とか10万円とか、もっと高額なものもあります
これなども、霊感商法といえなくもない訳です。。。でもまあ一般的に、買った人が納得すれば詐欺にはならないわけです(笑)
じゃあ統一教会の霊感商法がなぜ犯罪に当たると言えるのか?と言えば、一つにそれは、その買わせる手口に「嘘がある」からですね
縁起物の熊手なら、「昔からあるからそんなものだ」と思っているから、買った人の会社が倒産しても「詐欺だ」とはならない(笑)
でも、法律的に見れば、熊手と霊感商法の壺の違いについての線引きは難しいでしょうね。。熊手を買って倒産したらね。。。。
「縁起物なんて嘘じゃないか」と言われたら。。。少額でも詐欺になるとすれば、これは大変なことです
「なんで熊手は詐欺にならないのか?」と問われたら、これを法律で明文化するのは極めて難しい問題だと思います

だからね、まあ政党女子48党の黒川敦彦氏なんかは、その違いをきちんと把握しないで、カルトだなんだと暴言を吐きながら
宗教施設前でデモ行為なんかして宗教弾圧しているのは、後々問題になるのではないかと思いますね。。。
政治家として思慮が足りず、本当に浅はかだと思います
こういう行為を見ると、黒川氏は基本的な宗教の違いを全く理解していないことが、私には分かります
ただ、私は霊感商法が詐欺なのか、そうでないのかをここで述べようとしているのではありません
宗教としての「考え方の筋」を示そうとしてこれを書いています

ここで本題に戻り、日本になぜ神仏習合が起きたのか?聖徳太子はなぜ日本に仏教を入れ、国教として憲法にまで取り入れたのか?
それが、宗教としての「考え方の筋」というものを考えるうえで、極めて大事な論点なのです
聖徳太子から少し後の、飛鳥時代から奈良時代にかけて、行基という名僧が出て、仏教が大変なブームになりました
この行基の時代に、仏教寺院が数多く建立され、奈良の東大寺と大仏が建立され、行基は聖武天皇の帰依を受けて大僧正になり
ここに「神仏習合(神道と仏教が融合すること)」が成立しました
では、仏教はなぜこの時代に広がったのか?
それは、単なる現世利益を求める神道の信仰では、国を一つにまとめることが難しかったからであろうと、私は推測しています

仏教にあって神道にないもの。。。それは、「実在世界(死後の世界)まで含めた世界観と心の教え」なんですよ、これ、分かりますかね?
仏教には死後の世界観があるんです。。。天国と言われる善人の住む世界や、地獄、餓鬼道、畜生道、阿修羅界
そしてもっと上の神仏(天)の世界といった、人間がこの世を去った後の世界観です
そして、転生輪廻という「生まれ変わりの思想」も入っています
また、それに連動するように、哲学的に「どういう生き方をすればどういう死後が待っているか?どういう生まれ変わりになるか?」
という因果の理法に基づく教えが説かれているのです
つまり、仏教には民衆を教化するための、善因善果、悪因悪果という修身(身を正す)の教えがあるんです
それも、死後の世界まで含めた修身の教えであり、単なるお題目の道徳とは違います

そして、釈迦時代に説かれた教えとして、布施の精神、「三輪清浄の教え」がありますが
これは霊感商法とは全く視点の違うものなのです
仏教における最も尊い布施とは何かというと、これは「法施」です
「法施」、法を施すとはどういう意味かというと、「仏の教えを伝える」という意味です。。。これが最も尊いんですよ
だから、寺院を建立することによって仏教を広めることができるため、寺院建立のためのお布施は尊い事だとされていました
そして、法を広め、無明の民衆に教えを伝えてくださる僧侶にお布施したりすることは、最も尊いことだとされたんです
これが本来のお布施の精神なんです
三輪清浄の教えは、施者(布施を出す人)、受者(布施を受ける人)、施物(お布施そのもの)に穢れがあってはいけないという教えです
つまり、施者が不純な動機でお布施を出すことや、犯罪を犯して稼いだお金を出すことはダメ
受者が、相手を騙してお金を出させたり、嘘の用途にお布施を使ったりして、不純であってもダメ
施物が汚れたお金。。。詐欺や強盗や、その他の不正なお金やものであってはダメ

行基が大仏建立の時に、全国から布施を募ったのですが、その際には、財産のない者も沢山いたわけです
ですが、貧者の一灯という教えがあり、貧しいものは藁の一束、土を運ぶ労力
こうした「自分のできる最高の真心」もまた、尊い布施の精神とされたわけです
これが本来の布施の精神です。。もちろん、四国八十八か所のお遍路さんに一夜の宿や食べ物などを施す風習である「お接待」もまた
信仰心をもつ遍路さんに布施を施す尊い行為の一つなのです
布施の精神とは、「現世利益」を超えたものが含まれているのです。。。この世的な見返りを求めなくとも布施の精神は成り立つのです

世界のメジャーになった宗教(ユダヤ教、キリスト教、仏教、イスラム教等)には、いずれも神の教えとして修身の教えがあり
天国地獄といった世界観が、仏教以外は不完全ながらも、きちんと存在しています
キリスト教にだって寄付を美徳とする教えがありますが、それは教会が心を救うための大切な場所であるからです
そしてキリストの教えを広めるための大切な場所である教会に寄付することは美徳とされています
だから、欧米では教会に対する寄付は無税であるのです。。。
今はすいぶん穢れが入っていることは事実ですが、それでも、本来は寄付行為に課税することはナンセンスなことなのです
女子48党の黒川氏は、こうした事も知らないでしょう

そして前回の日記で紹介した、カール・ポパーが批判したギリシャ哲学のプラトンの教えも
きちんと天国地獄の世界観と転生輪廻の思想、それに伴う哲学的な修身の教えが入っているわけです
世界的な宗教や哲学には、普遍的なものとして、それが入っているのです
残念ながら、神道にはそれがなかったのです
ですから、日本人の神道的な感覚で寄付やお布施を「現世利益を求める人を騙して出させる詐欺行為」と考えるのは間違っているのです
本来、信仰とは国民を教化し、素晴らしい国を作るための教育の根底にあるべきものなのです
今日はそのことを結論として書いておきたいと思います
ありがとうございました
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見直すべき聖徳太子と行基の功績

2023-03-19 03:27:49 | 日記
聖徳太子の時代は仏教推進派と廃仏毀釈派の争った時代でした
当時の雰囲気を正確に伝える文献はありませんが、一つの考えるヒントとして
大川隆法著「聖徳太子、推古天皇が語る古代日本の真実」という書籍を参考として、当時のことを推測してみたいと思います
なぜ、いまさらそんなことをするのか?その理由は何か?ですが。。。
今の日本政治の混迷と、日本の国そのものの混迷、その原因が
「善悪を曖昧にし、本音と建て前を分け、うわべを繕う、その精神性にある」と思われるからで
元をたどっていけば、それは日本人の宗教観に遠因を持つ。。。と思われるからです
私は、日本人の多く、そして日本の政治家の多くが、何度も日本人として転生を繰り返しており、過去の精神性を受け継いでいると思っています
すべてとは言いませんが、日本神道系の魂には「悪い癖」があり、それが、「善悪を曖昧にし、嘘をついても、建前が良ければかまわない」
という、妖怪的な傾向だと思っています。。。これは日本の政治家にも根強くある傾向性です

日本神道系の魂には、とかく「自分に信仰を集めたがる」という傾向性があります
この点において、同じく大川隆法著「武内宿禰の霊言」のなかで、武内宿禰が鋭い指摘をしていました
P23.「(地上に転生してからの)実績がないからね。名前に執着しているんでしょうけど。」
確かに、日本神道の神話を読むと、とかく土着神話をまとめたものになっていて、今で言えば政治家の歴史のようになっていますが
それが「神」として崇められるようになったのは、結局神社を建てて祀ったからにほかなりません
結局は「どんな実績を残したのか?」は、あとから神話として付け加えられているわけで、要は「神」というより上下の「上」
というぐらいの意味なわけです
立場として指導者の家に子孫として生まれて、王権神授説よろしく、神になっている例が多いわけです
その立場に生まれたことですでに「神に選ばれたのだ」ということですね。。。でも、それは間違った考え方です

これが日本古来からの神道的な信仰であるわけで、それが、高千穂勢、大和勢、出雲勢、といった具合に、土着の信仰をそれぞれ持ち
大和の中でも、葛城には加茂氏や物部氏(土蜘蛛族)がおり、他にも蘇我氏や藤原氏など様々な豪族がそれぞれ独自の信仰対象を持っていたわけです
そしてややこしいのが、天照信仰という太陽信仰もまた、一人の「天照」を指すものではなく、元々はそれぞれの「天照」がおり
最終的に勝ち抜いた「高千穂勢の天照」が、「天照大神」を名乗って信仰を集め始めた、という歴史があるわけです
日本神道の歴史は「勝てば官軍」であり、「勝ったものが信仰を集める権利がある」ということであり
負けた部族たちの「怨嗟の声」を恐れるあまり
「勝った側が負けた側の部族の血流を(后として)受け入れ、親族扱いとし、怨霊を神として祀る」という文化が出来たと考えられるわけです
その代表的なものが出雲大社であるわけです。。。そして、大和朝廷には出雲の血流も入っています
しかし、そこには「善悪を分ける」という考え方が、そもそも存在しないわけです

自分たちの信仰が否定され、「裏側」に追いやられる悔しさが分からないわけではありません
しかし、日本神道には、いまだもって「戦いに負けた側の不成仏な悔しい思い」が残り続けているという現実があります
特に「仏教が興隆して以降の土着信仰勢力の不成仏さ」は際立っているように思います
聖徳太子が蘇我馬子とともに、強かった物部守屋を倒し、推古天皇の摂政となって政治にかかわった背景には
当時、豪族たちの争いが多く、政治が乱れていたということが深く関係しています
天皇家はいつ暗殺されるかもしれず、なり手がなかったことから、女性である推古天皇が皇位につき
聖徳太子が摂政になって、冠位十二階制度を作り、実力本位の人事による政治制度を作ろうとしました
結局、それまでの朝廷の政治権力・立場は、そのまま豪族の力関係が反映されていたものであり、実力本位ではなかったわけです
それは現代でも、政治家の2世、3世議員の多さから見ても、世襲制や王権神授説的な政治が踏襲されていることが分かるわけで
聖徳太子が持ち込んだのは、実力主義・能力主義であり、仏教精神に基づけば
「人は生まれによって決まらない、人はその人の悟りや能力の高さによって決まる」という事だったわけです
そしてその仏教をさらに日本に根付かせた功績者が行基でした

行基の功績は、奈良の東大寺を建立したのみならず、聖武天皇から帰依を受け、実質上、日本を仏教国に変貌させ
そして、日本各地に仏教寺院を建立し、民間の仏教信仰を根付かせた点にあります
中大兄皇子らが蘇我入鹿を暗殺した「大化の改新」により、一時的に廃仏毀釈(仏教を廃し神道を重んじること)の流れができたものの
その後の仏教の興隆は止まりませんでした。。。大化の改新は、聖徳太子の仏教興隆の反作用であったと思われます
また、一般的に、お遍路信仰というと、お大師さん、弘法大師空海の名が有名ですが、空海が拓いたとされる四国八十八か所も
実はそのかなりの寺院が、行基の建立によるものだとは、あまり知られていません
行基は、「行基瓦(ぎょうきがわら)」の名前でも知られる、日本瓦を使った仏教建築を次々と建て、ため池や橋などを作り
まさに弘法大師が行ったことの先駆者として、仏教の興隆に大きな功績を残しました
行基は、「妖怪にならないための言葉」によると、若草山で5千人もの人に説法したそうですから
仏教の中興の祖として相当な実力者であったことがうかがえます

「妖怪にならないための言葉」の中に出てくる「一言主(ひとことぬし)」(奈良県葛城の一言主神社に祀られている)は
すでに妖怪化しているとのことですが、その出自は「物部系の豪族(土蜘蛛一族)の神官」だったことが同書で明らかにされています
そして、彼らを霊界で裏側(妖怪・仙人・天狗界)に封印したメンバーの中心に、行基がいるとのことです
詳しくは同書を読んでいただきたいのですが。私が推測するに、結局、仏教信仰が盛んになって、土着信仰が廃れていった
ということなのでしょう
その「信仰を廃れさせられてしまった」という恨みが、妖怪化して残っているという事でしょうね

私は思うのですが、日本において民間人の道徳を根付かせたのは仏教の功績が非常に大きいと思います
土着神道的な考え方に偏ると、「何が正しいか?」ではなくて「どの豪族、どの民族の神が正しいか?」で判断されてしまいます
政治的に何が正しいか?ではなくて、例えば物部家が正しい。。。みたいなことになるわけです
豪族の力関係によって、善悪が決まってしまうわけです。。。しかしながら、それは普遍的な考え方ではないわけですよね?
彼ら物部が、もちろん物部だけではありませんが、彼らが裏側に封じ込められた背景には
もっともっと高い次元の神仏による判断があったのであろうと、私は推察しています
そうでなければ、仏教による善と悪を分ける教えが根付かなければ、日本人にしっかりと道徳心が根付くことはなかったのではないでしょうか?

ですから、善悪を分ける教えのない土着信仰が、国の中心に座ってはいけないと、私は思います
そういうことを、本日の結論としたいと思います
ありがとうございました
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