酒も辞めたのに胃痛はあいかわらず。
御岳百草丸作戦は失敗に終わるのか・・・。
とは言え、GABAと御岳百草丸のおかげか、はたまたプラセボか、いやプラセボとは言えないほど心はフラットな状態を保っている。
先ほどもパニック発作の前段階の離人症な感覚の強まりがあったが、あわてることなくそれを冷静に観察、思考していた。
で、そのときやっていた仕事に集中してたらそんな事もすっかり忘れて、症状は消えてた。
俺は「発作なんぞ来るならこいや!じっくり俺の心と原因を観察してやるぜ!!」というふうに考えるようになったら、それ以来まずでかい発作ってのが無くなった。こんな所でどM気質が役に立つとは・・・。
この段階でほぼパニック障害は完治していると、ほぼ自分で認識し認められる状態にはなっている。生活に影響ないし。
やっぱ恐れる心ってのはあるし、その恐れる心が引き金になって発作を強めているってのは確実にあるんで、しかもその恐れの対象物が原因も正体もわからない状態だと怖くてしょうがないのは普通の人間の反応だと思うけど、自分の心の反応である以上、コントロールする事も不可能じゃないっつ~事ですね。
問題はその自分の心や思考をコントロールすんのが難しいって事だけど、まずはパニック障害について理解を深める事が大事だと思った。たとえば脳内でどんな科学的な反応が起こっているのかとか。こんなのはネットで調べればいくらでも出てくるので簡単。
ここはすぐ解決した。
次に自分の心や思考というものの理解、これが難しい。
偉い人が書いた本や、体験談を読んで理解しようとしても自分の考え方や症状と少し違うところがあるとつい否定的な気持ちがわいてきて自分の心に取り入れる事ができない。俺は実際そうだし。
あんまり深く考えると俺は離人症的感覚が出てくるのであまり深くは考えないが、肯定であれ否定であれ本を読むと新しい発見ってのもあったりするので有効だとは思う。
これまたとあるブログで紹介されていた本なのだが、ルシンダ・バセット著の「わたしもパニック障害だった」って本を読んだのだが、自分の心ってものの理解に新しい発見があった。一回ざっくり読んで、長くて読むのだるいので二度目は読んでないがそのうちまた読み直したいと思っている。
心理的な面から神経症やパニック障害を治したとか治ったって人のホームページで結構目にした共通の言葉があった。
「ありのままを受け入れる」
俺の考えに基づき付け加えるなら
「今現在のありのままの自分を受け入れる」
これをまさしく心から実行できたらもう神経症で苦しむ必要は無くなるだろうなと俺も思っている。
治そう、治りたいと考えていると心の病気の場合よけい根っこは深くなるようで。
そんな事は忘れといて、今やっている事にだけ集中して、やることがないならやる事を探して、苦しくなってきたら苦しいまま感じてそう感じている自分を「しょうがないな~」位でほっといてふと気がつけば「あ~、そういえばあんな症状もあったな~」位に思えるようになってるんじゃないでしょうか?
あせったところで治るどころか悪化するんだから、だったらせめて毎日病気について考える時間は減らしていって、あるがままに今の自分の行動に集中してあとは流れにまかせておけばいいんじゃないでしょうか?
苦しかろうが苦しくなかろうが人には平等に時間が前に向かって流れているわけですから。「あとは時間の流れに任せちゃいましょう」という思考に最近なりはじめてきた。
だってさ~、早く治したい、治したいって考えてたけど、早く治った所で
「治ったからって何すんの?金持ちにでもなれんの?新規事業でもはじめんの?」
って考えに最近気がついてさ~、治った所で元々病気なる前だってそこまでやる気ある人間じゃなかったし、むしろブログ開設初期の日記読んでもらえばわかるだろうけどどっちかと言うと駄目人間の見本みたいな生活してたしさ~。
パニック障害初期は「以前の自分を取り戻したい!」って考えてたけど、あるとき気がついて自分の過去の日記よんだら取り戻しちゃだめなレベルで駄目人間だったつ~ことに気がついたしさ~。
なので先も後も考えず、とりあえず今やる事を適当にやっていればいいんじゃないかというところに落ち着きはじめたシニスでした。
御岳百草丸作戦は失敗に終わるのか・・・。
とは言え、GABAと御岳百草丸のおかげか、はたまたプラセボか、いやプラセボとは言えないほど心はフラットな状態を保っている。
先ほどもパニック発作の前段階の離人症な感覚の強まりがあったが、あわてることなくそれを冷静に観察、思考していた。
で、そのときやっていた仕事に集中してたらそんな事もすっかり忘れて、症状は消えてた。
俺は「発作なんぞ来るならこいや!じっくり俺の心と原因を観察してやるぜ!!」というふうに考えるようになったら、それ以来まずでかい発作ってのが無くなった。こんな所でどM気質が役に立つとは・・・。
この段階でほぼパニック障害は完治していると、ほぼ自分で認識し認められる状態にはなっている。生活に影響ないし。
やっぱ恐れる心ってのはあるし、その恐れる心が引き金になって発作を強めているってのは確実にあるんで、しかもその恐れの対象物が原因も正体もわからない状態だと怖くてしょうがないのは普通の人間の反応だと思うけど、自分の心の反応である以上、コントロールする事も不可能じゃないっつ~事ですね。
問題はその自分の心や思考をコントロールすんのが難しいって事だけど、まずはパニック障害について理解を深める事が大事だと思った。たとえば脳内でどんな科学的な反応が起こっているのかとか。こんなのはネットで調べればいくらでも出てくるので簡単。
ここはすぐ解決した。
次に自分の心や思考というものの理解、これが難しい。
偉い人が書いた本や、体験談を読んで理解しようとしても自分の考え方や症状と少し違うところがあるとつい否定的な気持ちがわいてきて自分の心に取り入れる事ができない。俺は実際そうだし。
あんまり深く考えると俺は離人症的感覚が出てくるのであまり深くは考えないが、肯定であれ否定であれ本を読むと新しい発見ってのもあったりするので有効だとは思う。
これまたとあるブログで紹介されていた本なのだが、ルシンダ・バセット著の「わたしもパニック障害だった」って本を読んだのだが、自分の心ってものの理解に新しい発見があった。一回ざっくり読んで、長くて読むのだるいので二度目は読んでないがそのうちまた読み直したいと思っている。
心理的な面から神経症やパニック障害を治したとか治ったって人のホームページで結構目にした共通の言葉があった。
「ありのままを受け入れる」
俺の考えに基づき付け加えるなら
「今現在のありのままの自分を受け入れる」
これをまさしく心から実行できたらもう神経症で苦しむ必要は無くなるだろうなと俺も思っている。
治そう、治りたいと考えていると心の病気の場合よけい根っこは深くなるようで。
そんな事は忘れといて、今やっている事にだけ集中して、やることがないならやる事を探して、苦しくなってきたら苦しいまま感じてそう感じている自分を「しょうがないな~」位でほっといてふと気がつけば「あ~、そういえばあんな症状もあったな~」位に思えるようになってるんじゃないでしょうか?
あせったところで治るどころか悪化するんだから、だったらせめて毎日病気について考える時間は減らしていって、あるがままに今の自分の行動に集中してあとは流れにまかせておけばいいんじゃないでしょうか?
苦しかろうが苦しくなかろうが人には平等に時間が前に向かって流れているわけですから。「あとは時間の流れに任せちゃいましょう」という思考に最近なりはじめてきた。
だってさ~、早く治したい、治したいって考えてたけど、早く治った所で
「治ったからって何すんの?金持ちにでもなれんの?新規事業でもはじめんの?」
って考えに最近気がついてさ~、治った所で元々病気なる前だってそこまでやる気ある人間じゃなかったし、むしろブログ開設初期の日記読んでもらえばわかるだろうけどどっちかと言うと駄目人間の見本みたいな生活してたしさ~。
パニック障害初期は「以前の自分を取り戻したい!」って考えてたけど、あるとき気がついて自分の過去の日記よんだら取り戻しちゃだめなレベルで駄目人間だったつ~ことに気がついたしさ~。
なので先も後も考えず、とりあえず今やる事を適当にやっていればいいんじゃないかというところに落ち着きはじめたシニスでした。