昨日に比べるとやや暖かさを感じるがやはり11月も下旬に向かうと
道行く人々も上着の上にコート姿や防寒用のジャンバーなどを着込み
ふっくらとした姿に見える。
朝のうちは降っていた小雨も午前中に上がり、昼食後自分の部屋を少し
片づけた私は弱い陽ざしが出ている午後、新聞を片手にリビングから
庭を見ていた。
マンションは気密性が高いので寒くはないがそれでも最近は半袖の
アンダーシャツに薄手の長袖シャツ1枚では少し肌寒く感じることも
あるのでベストやカーディガンなどを着たりすることもある。
そんな私とは対照的に庭のモクレンの木は一枚、二枚と枯れ葉を
落とし、まだ少し残っている緑の葉が風に揺れる姿が寒そうに見える。
その数えるほどしか残っていないほんのわずかの葉っぱを見て
ふとオー・ヘンリーの「最後の一葉(ひとは・いちよう)」を思いだした。
そして最初に読んだ小学生か中学生の頃のあの感動が蘇ってきて
あの頃何故自分の気持が揺れ動いたのか・・をもう一度
確認してみたくなり、いたたまれず図書館に向かい訳者が違う
児童向けの「最後のひと葉」を3冊借りてきた。
後でわかったのだが「最後の一葉」は実に多くの人によって
訳されているようだ。



この「最後の一葉(ひとは・いちよう)」は教科書と道徳の本で紹介されて
いるらしいが私が読んだのは教科書だったように思う。
その時の先生の説明に心が動いたことはよく覚えている。
調べてみたところ・・・
最後の一葉 は 1954 年の中学二年生 の教科書から採用されたようだ。
学年 | 掲載年度 | 生まれ年換算 |
小学6年生 | 1965年~1970年 | 1953年~1958年 |
中学1年生 | 1978年~1989年 | 1965年~1976年 |
中学2年生 | 1954年~1965年 | 1940年~1951年 |
大学 | 1959年~1962年 |
この表で見ると私は中学二年生の時に教科書で読んだことになる。
気むずかしく酒浸りで絵描きとしては失格者のようなベアマン老人の
本当の気持や自分の身を犠牲にしてジョンジーの命を救おうとした
ベアマンの優しさを表した物語だということを先生から教わったような
記憶がある。
最後にスーがジョンジーに話した頭の先から靴までびしょ濡れになり、
氷のように冷え切ったベアマンの行動や、風が吹いても動かなかった
蔦の葉のことを不思議だとは思わなかったのか? ・・という言葉と
『ああ、ジョンジー、あれがベアマンさんの傑作だったのよ・・
最後の葉っぱが落ちた晩にあの人があそこに描いておいたのよ』
・・で終わる物語の意味とその最後の言葉を深く読み取ることや
かねてからいつか傑作をというベアマンの執念が、冷たい風と雨の中で
命と引きかえに発揮され、結果的には命の大切さに目覚めたジョンジーの
命を救ったベアマン老人の行動は絵の世界で生きて行こうとする
若い二人の画家に希望を持たせるためのエールだったとしたら・・
と考えることなどもあの時先生教わったように思う。
【睡眠前の朗読】「最後の一枚の葉」日本語字幕付【元NHKフリーアナウンサー島 永吏子】