なつかしい写真である。
記憶が怪しいが、1972年頃だっただろうか。
私は関西学院大学文学部心理学科の3年。
宮田洋先生のゼミ生になりたての夏頃。
西宮の保健所に、実験用の犬をもらいに行き、PAVと名づけられる成犬と、Marwikと名づけられる子犬をもらい受けた。
後にパブロフの条件反射の実験を再現するに当たって、唾液分泌が観察可能なように、左右耳下腺をほっぺたの内側から外側に出す外科手術を実施。
その後、私の他、面高、鈴木、佐々木らと何ヶ月間かにわたる訓練を連日継続することとなった。
秋のよき日に何度か、映画撮影が行われた。
私はその後兵庫医大の医心理学教室に出入りし初め、瞳孔計を用いた古典的条件づけで卒論を書くのだが、PAVの訓練が大きな影響を与えたことは間違いない。
撮影の後も、宮田先生の自宅で飼われ続けたPAV。
ご自宅前を通度に、しっぽを振ってくれたPAV。
12年くらい生きて世をさったPAV。
珍しい運命を担ったPAV。
みるからに精悍で、かっこいいイヌであった。
この写真は、実験室での記念写真となった。
記憶が怪しいが、1972年頃だっただろうか。
私は関西学院大学文学部心理学科の3年。
宮田洋先生のゼミ生になりたての夏頃。
西宮の保健所に、実験用の犬をもらいに行き、PAVと名づけられる成犬と、Marwikと名づけられる子犬をもらい受けた。
後にパブロフの条件反射の実験を再現するに当たって、唾液分泌が観察可能なように、左右耳下腺をほっぺたの内側から外側に出す外科手術を実施。
その後、私の他、面高、鈴木、佐々木らと何ヶ月間かにわたる訓練を連日継続することとなった。
秋のよき日に何度か、映画撮影が行われた。
私はその後兵庫医大の医心理学教室に出入りし初め、瞳孔計を用いた古典的条件づけで卒論を書くのだが、PAVの訓練が大きな影響を与えたことは間違いない。
撮影の後も、宮田先生の自宅で飼われ続けたPAV。
ご自宅前を通度に、しっぽを振ってくれたPAV。
12年くらい生きて世をさったPAV。
珍しい運命を担ったPAV。
みるからに精悍で、かっこいいイヌであった。
この写真は、実験室での記念写真となった。
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