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錬金術の禁忌を犯し左足を奪われたエドしかし、それは最愛の人を/鋼の錬金術師

2009年04月18日 | 谷本歩実柔道一本勝負
内容(「Oricon」データベースより)
錬金術最大の禁忌“人体練成”に失敗したことにより体を失った兄弟が、元の姿に戻るため「賢者の石」を探す旅の物語を描いた、荒川弘原作のアニメ『鋼の錬金術師』のTVシリーズ、劇場版、OVA、音楽CDをセットにしたBOXセット。

喪失した自己を回復するための旅立ちは、手塚治虫のどろろに似ている。
しかし、どろろ自体が、水木しげるのゲゲケ鬼太郎への対抗意識から生まれた産物だ。

鬼太郎は現在の物語であり、どろろは過去の物語である。そして、鋼は未来の物語である。

鬼太郎のアニメ化が幾度となく、繰り返されるのは、物語が常に現在を語っているからだ。
なぜなら、喪失したものの回復は、未だ実現していないからだ。

表層のみではなく、本質を読み取るならば、手塚治虫のジャングル大帝と鉄腕アトムが同じテーマを扱っているものであること知ることができる。
レオは動物の、アトムはロボットの自立を目指す。

しかし、自立回復の試みとは、巨大な白い壁にぶつかって行く小さく脆い黄色い卵の試みであり、それは必然的に挫折を繰り返す。
手塚治虫は、これを悲劇とし、水木しげるは喜劇として描く。

それゆえに、ジャングル大帝と、鉄腕アトムのラストシーンは悲劇として終わる。だからこそ、手塚はネオファウストにおいて、自己の限界性を突破することを試みた。自らをゲーテに擬えたのかもしれない。しかし、作品を完成する前に帰らぬ人となった。

水木は、今も人生の達人として現役である。しかし、自ら筆を取ることは少なくなった。その水木が描く妖怪の中で、ネズミ男は異彩を放つ。しかし、ねずみ男こそが、自己回復の試みの挫折を笑って乗り越える秘訣の鍵を握っているのだ。

戦場で一番先に死んでいったのは若者達だったと作家大岡昇平は証言する。
実際、老兵たる大岡昇平と水木しげるは、帰還をはたした。
しかし、そのとき水木は作家の命というべき、片腕を失っていた。
水木にとって喪失の回復とは、予め失われた希望だった。
しかし、片腕を失っても、もう一方の腕は残っている。
その腕で水木は画業を再開する。
そして少年マガジンでのゲゲゲの鬼太郎の連載が、全国の漫画ファンの要望によって始まった。

この四月、鋼の錬金術師の第二シーズンがはじまった。
しかし、旅はまだはじまったばかりだ。
鬼太郎のアニメは、三十年の歳月を超えて連作されている。
鋼は、あたらしい時代の鬼太郎として、これからも連作されていくべきであろう。

しかし、私にとって、鬼太郎のアニメとは、白黒フィルムで製作され熊倉一雄が歌う第一シーズンである。
同じように、幾度アニメ化されようと、鋼第一世代にとって鋼のアニメといえば本作品となるだろう。

若者たちの旅は、いつの時代でも荒野を目指す旅だ。
ライオンの若い雄は、狩るすべきテリトリーすら待たず旅立つ。
飢えた狼として生きるための牙もなく、かといって草食系男子として社会にうけいれられるほどイケメンでもない大多数の若者にとって、鋼は同時代のバイブルなのだ。


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