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夜長の後悔

2016-02-22 11:07:47 | 日記・エッセイ・コラム
雪国の夜

早く床に入っても寝付けず、ラジオを聴いたり、英会話CDを聴いたり・・・
そんな夜、頭に浮かぶのは”失った女性”のことばかり

今更後悔してもどうしようもないことは分かっているのに・・・
彼女にどうこうしてほしいのではないが・・・

せめて、「別れてからの自分の気持ち」を伝えたい!!
でも、その手段がない・・・

これからも死ぬまで、悶々とした夜が続くのだろうか・・・

対策に「なぜ」を何回しているのであろうか?

2015-12-12 17:09:11 | 日記・エッセイ・コラム
最近、問題に対するいろいろな対策が報道されているが、
その原因を知るのに何回”なぜ”をしているのであろうか?
「なぜ」を5回繰り返すと根本原因に行きつくと言われるが・・・

私には、表面の現象に対処しているようにしか思えない。

例として、
○少子化対策というと「保育所の待機ゼロ」。
  何故出生率が低いのか? → 結婚しない若者が多い?
   → 4割の非正規労働者は一人での生活が精一杯で結婚できない
   → 非正規労制度の撤廃又は、将来に亘って見通せる賃金制度の確立

○ユニセフのコマーシャル
  何故栄養失調の子供がいるのか → 経済的に栄養が取れない?
  → 育てる経済力以上の子供を多く生み過ぎる → 産児制限知識がない
  → 募金を産児制限に使うべし

以上、皆さんの意見を伺いたい。

トルコ旅行

2015-11-28 09:06:02 | 日記・エッセイ・コラム
20年位前から五年日記帳を利用している。
当初は三年日記帳を利用していたが、日記というより日誌になってしまい五年にした。

日記ならず日誌を書いているが、
昨年は11月26日に日本を出発し10日間のトルコ旅行に出掛けている。
当時も治安が悪い南部のイラン国境近くを避けたツアーに参加した。

今年なら参加しなかったであろう。
アジア・アラブ・ヨーロッパ文明の交差点であった壮大な歴史遺産に触れることができた。

良い時に思い立ってよかった。
年に2回海外へ出かけるようにしたいと思っているが、今年は春のみ。
来年は廻り番で隣組の組長、長期の不在は許されない。
残念であるが・・・世界的に治安が悪く良しとするか・・・

忘れえぬ女-(その2 邂逅)

2014-11-13 14:37:39 | 日記・エッセイ・コラム

達也が突然ゆみに電話で想いを告白してから数ヵ月経ったある冬の早朝のことであった。
上京のため駅ホームへの階段を上っていると、列車の到着を告げるアナウンスが流れた。

 階段を上り切ったとき、正面の待合室から出てくる人の中に忘れもしないゆみの面影を見出し、一瞬その場に釘付けになってしまった。


 達也の心の中のゆみは三十年以上前の顔であり、正面から見ないとゆみだとは判らなかったであろう。
時間と空間の組合せの数は無限に多く、このようにして出会う確率は限りなくゼロに近い。この事からしても何か運命的なものを感じるとともに、達也のゆみへの想いが天に通じたとしか言いようがない。


 達也の方が先にホームに出て後ろを振り返りその女性をゆみではないかと見つめていた。
その女性の外観は、コートを着ているが昔付き合っていた頃と変わらないスリムな体形であり、全体像からしてもゆみに相違ないと思えた。
 一方、その女性は達也の方には近寄らず、列車の入り口から少し離れたところに留まっていた。
彼女の脇に若い女性の方がおられるが、お嬢さんなんだろうか?でも、顔は似ていないし違うようだ。
自分の観察に自信が持てないまま、万が一ゆみのお嬢さんであったら、大変な迷惑をかけてしまいそうで、声をかけることが出来なかった。

 達也は前の駅で乗車した連れがいる車両に入った。他方、かの女性は達也を避けるかのように達也の前の車両に入った。

 かの女性を見失ってしまいそうで、直ぐにでも車内を探したかったが、達也には連れがいてしばらくは移動することができなかった。
加えて、当日は珍しく零下の冷え込みでスプリングコートでの身が冷え切ってしまい、しばらく自分の席で体が温まるのを待ってから、かの女性に声を掛けるべく前の車両へと移動した。

 通路を往復し、かの女性を探したが乗客の顔が正面を向いておらず、どちらかといえば下を向いておられる方が多い。その上立っている達也からは見おろすような視線となり顔を覗き込むわけにもゆかず焦りさえ感じてきてしまった。
それでも、漸く下を向いているかの女性らしき顔を見つけたが、自信はなかった。
幸いホームで隣に立っておられた若い女性とは同じ席ではなく、連れの方はおらずに一人であると確認できた。
三十年以上遇っておらず、人違いであったら失礼だし、まずゆみ本人であることを確認することにした。
が、どう声をかけたら良いか一瞬戸惑ってしまった。
「佐久間さん」は悔しいし、「ゆみさん」では親しすぎるし、迷った末に旧姓で問いかけようと、かの女性の脇で体を低くして、

「失礼ですが、旧姓○○さんでいらっしゃいませんか?」と問いかけた。
「はい」と返事かあり、ゆみであると確認できた。
「津山です。三十数年振りですね」と名前を告げた。
「そうですね」と、驚いた様子もなく言葉を返してくれ、ゆみの方も達也に気付いていた様子であった。
達也は加齢に伴い常時遠近両用メガネをかけている。ゆみと付き合っていた当時は若くてメガネをしていなかった。「なのに気付いていてくれたんだ」と嬉しい気持ちになった。

「いつぞやは、突然失礼な電話をして、すみませんでした」
「突然でびっくりしました」
「別れた女(ひと)みんなに、電話しているんじゃないの」
”ゆみは自分のことをいい加減な男だと思っている”誤解を解かなければ、と焦り
「貴女だけです。他の誰にも電話しておりません。信じてください」

暫し沈黙後、ゆみは
「私の方はうまく行っており、よかったと思っています」
「私の方から断っていたと思います」と、相変わらずプライドの高いゆみであった。

達也は
「貴女にどうこうして欲しいと言うことではなく、私の気持ちを知って欲しいんだけなんです」
「貴女への想いを、ここに書いています。読んでください」
と言って、URLを走り書きした紙片を渡たそうとしたが、手を振って受け取ってはくれなかった。

 達也はゆみの横に位置していたので、彼女の横顔と手を間近に見ることが出来た。
若い時のような瑞々しさこそないものの、達也がかつて愛しんだ通った鼻筋・賢そうな目そして細く長い指がそこにあり、懐かしさと愛おしさが込み上げてきてしまうのであった。

「私はホームページを開いて、そこに貴女への想いを載せているんです」
「是非読んでください」と再度紙片を渡そうとしたところ
「私は時代遅れで出来ません」とあらためて、受け取りを拒否されてしまった。

さらに、ゆみは
「よく電話番号が分かりましたね」とも、付け加えた。
「電話帳を調べたら載っていました」
「苗字も変わっているのに」
「結婚された直ぐに、貴女の小学校にいた私の親戚筋の人から聞きました」
「・・・・・・・・・・」
「同窓会でご主人が泊まりであり、貴女が一人だと分かったから電話したんです」

ゆみは納得したような様子で、
「どちらに居られるのですか」
「上町に居ります。十年ほど岡山に行っておりましたが」
「じゃ、近くなんですね」

「電話のとき、一番に、奥さんが気の毒だと思いました」
「・・・・・・・・・・」
「主人が知らないところで、同じようなことをしていたら嫌だわ」
「この電車にしなければよかった」

達也には連れがいることもあり、あまり長く話しているわけにもゆかず、
「ごめんなさい。これ以上、ご迷惑をかけません。失礼しました」
と言って、自分の席に戻った。


 「電話のとき、一番に、奥さんが気の毒だと思いました」という言葉の真意はどういうことなんだろうか。
「配偶者が他の異性を意識 している」ことへの気の毒なのか?
または、ゆみは「自分と結婚したとしても、同じように他の女性に気軽に声をかけるのではないか」という不信感からなのであろうか?
 達也自身の名誉のためにも、あくまでもゆみは達也にとって特別な存在なのである。
これまでも「感じの良い女性だな」と魅かれることはあっても、想い続けた女性はゆみ以外には一人もいない」と断言しておきたい。
 
 達也としては、ゆみと付き合っていた状態で時間が止まっていて今も好きなままなのに。
ゆみにとって、達也は所詮過去の男でしかないのだあろうか?

 ゆみには、交際していた時、別れたときの心情、その後の想いを誤解せずに受け止めて欲しかった。しかしながら、僅かな時間で、しかもゆみが心を閉ざしているような状況では所詮無理であった。

  それでも、三十数年ぶりに遇え、懐かしい声が聞け心が踊った。これから先また何時遇えるか分からないのに、二人の会話がこんな短時間で終わろうとは。
当日、達也はICレコーダーを持っていたのに、自分の席に置いてきてしまった。せめてゆみの声が録音出来ていたら、何回でも繰り返し聞けたのに。


 在来線の電車を降り、達也は新幹線のホームを歩いているゆみの姿を再び発見、その後姿が見えなくなるまで目で追うのであった。


 一連のゆみに対する達也の気持ちを綴ったホームページの閲覧を拒否されてしまったし、印刷して郵送するには危険が大きすぎて断念せざるを得なく、ゆみの誤解を解くことは不可能になってしまった。


忘れ得ぬ女-(その1)

2014-11-13 09:58:41 | 日記・エッセイ・コラム
数回に分けて私の後悔を綴ってみたい。
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60歳を超えた今も、三十年以上前に別れてしまった一人の女性をずーっと恋し続けている。
そんな彼女に読んで欲しく、想いを綴った告白文である。

   こんな歳になって可笑しいであろうか?
   でも、あの良寛さんも70歳にして貞心尼に恋をしている。    


 告白文とは関係ないが、作者の好きな Samuel の詩 「青春」 を下に載せた。
 いつまでも、心に青春を持ち続けたいものである。


                「青 春」    Samuel Ullman   岡田義夫 訳

青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦(キョウダ)を却(シリゾ)ける勇猛心、
安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。
年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。
歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。
苦悶や、狐疑(コギ)や、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ
恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。
年は七十であろうと、十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。
曰く驚異への愛慕心、空にきらめく星辰(セイシン)、その輝きにも似たる
事物や思想に対する欽仰(キンギョウ)、事に処する剛毅(ゴウキ)な挑戦、小児の如く
求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。

  人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる。
  人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる。
  希望ある限り若く   失望と共に老い朽ちる。

大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして
偉力の霊感を受ける限り人の若さは失われない。
これらの霊感が絶え、悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽(オオ)いつくし、
皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至れば、この時にこそ 人は全くに老いて神の憐れみを乞うる他はなくなる。