「俊寛」と呼ばれている友人から「メールを始めました」という初メールが来たので、さっそく近くにある 僧俊寛の墓 へ行って写真を撮って来て友人に送った。
坐像の横にある撰文によると「町では、昭和50年10月国立博物館人類学部長に鑑定を依頼、人骨は相当身分の高い人物の遺骨と推定。隅金具の付いた木棺は木曽地方のクロベ材と推定。その結果俊寛の墓であることに自信を深めた。」とある。
「僧俊寛は1177年遠島になり、赦免されることなく1180年没した。」と書いてあった。
俊寛に関する作品:世阿弥『俊寛』、近松門左衛門『平家女護島』、芥川龍之介『俊寛』、菊池寛『俊寛』、などがある。
詩編 137: 1
「バビロンの流れのほとりに座り、シオンを思って、わたしたちは泣いた。」