免許更新
2011-11-25 | 日記
運転免許更新のための講習を受けてきた。
5年前にはなかったのだが、今回は暗証番号などというモノがあった。
ホンの一月前に手続きをしたのだが、二つの暗証番号のうちの一つは思い出さなかった。番号を見て、ああそうだったと思い出す始末。
多分5年後には両方覚えていないだろうなあ。(半年後でもあやしい)
5年前にはなかったのだが、今回は暗証番号などというモノがあった。
ホンの一月前に手続きをしたのだが、二つの暗証番号のうちの一つは思い出さなかった。番号を見て、ああそうだったと思い出す始末。
多分5年後には両方覚えていないだろうなあ。(半年後でもあやしい)
近所の女性が亡くなった。一人暮らしで、ごくたまに顔を合わせたときに挨拶をする程度の付き合いだった。死後5~6日たっていた。牛乳配達の人が前回の分がそのままになっていておかしいと思い通報したようだ。
脳卒中を起こし亡くなっていたという。
うちの息子も牛乳を届けていて、ドキッとしたことがあったという。
その方も一人暮らし。日が落ちて辺りは暗くなっていた。玄関に鍵は掛かっていないが、家には灯りもなかったという。玄関の戸を開け、一応声をかけて牛乳を置いてそのまま帰ってこようとしたそうだ。玄関と続きになっている居間の戸が開いたままになっていて、部屋を見ると女性が倒れていたという。一瞬「第一発見者になったか!!」と思ったそうだ。
するとその時、「ん~!」と声を出して女性が起きあがり「わー!もう暗くなっている!」と叫んだそうだ。
脳卒中を起こし亡くなっていたという。
うちの息子も牛乳を届けていて、ドキッとしたことがあったという。
その方も一人暮らし。日が落ちて辺りは暗くなっていた。玄関に鍵は掛かっていないが、家には灯りもなかったという。玄関の戸を開け、一応声をかけて牛乳を置いてそのまま帰ってこようとしたそうだ。玄関と続きになっている居間の戸が開いたままになっていて、部屋を見ると女性が倒れていたという。一瞬「第一発見者になったか!!」と思ったそうだ。
するとその時、「ん~!」と声を出して女性が起きあがり「わー!もう暗くなっている!」と叫んだそうだ。
弟と落語列車に乗った。落語家はあなたの街に住みます芸人の桂三若。
入場券(乗車券) イベント列車の「おばこ号」 演題(最後尾)

公募でこの6月から就任した春田社長。前職は旅行代理店勤務で埼玉に住んでいたそうだ。
)
昼食の弁当

到着した矢島駅 慣れ親しんだ懐かしい旧駅舎は1ヶ月に取り壊されたばかり
復路の発車まで町内を見学。
その昔、何回か配達に来たことはあったが、中に入るのは初めて。
現在は県の文化財になっている。 天井の杉板(1枚百万円とか)

螺鈿が施され、夕陽が入ると天井に七色の光りがミラーボールのように反射される仕掛けだそうだ。 遠州流の庭

現在は龍源寺(旧藩主の菩提寺)の山門脇に置かれている『鮭石』
石器時代の人が石に彫った鮭の絵。
矢島神社の境内からみた町なみ。

浪人時代、徹夜をし、夜が明け始める頃ここに来て町がだんだん見えるようになるのをじーっと眺めていたものだった。当時とは町の様子はすっかり様変わりしてしまい、昔を思い出せるものを探すのも難しい。
この景色を見るのはその時以来だから40数年がたっている。その頃はここの足元に『鮭石』が置かれていたものだった。
演目は往路は小話など。復路は「七度狐」だった。
ゆれる演台でやったのは初めてとかで、さっと吊革につかまりながら、あるいは扇子でつっかえ棒にしながらやる落語は笑うけれどもハラハラもした。
終わりの時間が決められている状況でやるのも大変そうだった。
入場券(乗車券) イベント列車の「おばこ号」 演題(最後尾)



公募でこの6月から就任した春田社長。前職は旅行代理店勤務で埼玉に住んでいたそうだ。

昼食の弁当

到着した矢島駅 慣れ親しんだ懐かしい旧駅舎は1ヶ月に取り壊されたばかり

復路の発車まで町内を見学。
その昔、何回か配達に来たことはあったが、中に入るのは初めて。
現在は県の文化財になっている。 天井の杉板(1枚百万円とか)


螺鈿が施され、夕陽が入ると天井に七色の光りがミラーボールのように反射される仕掛けだそうだ。 遠州流の庭


現在は龍源寺(旧藩主の菩提寺)の山門脇に置かれている『鮭石』
石器時代の人が石に彫った鮭の絵。

矢島神社の境内からみた町なみ。

浪人時代、徹夜をし、夜が明け始める頃ここに来て町がだんだん見えるようになるのをじーっと眺めていたものだった。当時とは町の様子はすっかり様変わりしてしまい、昔を思い出せるものを探すのも難しい。
この景色を見るのはその時以来だから40数年がたっている。その頃はここの足元に『鮭石』が置かれていたものだった。
演目は往路は小話など。復路は「七度狐」だった。
ゆれる演台でやったのは初めてとかで、さっと吊革につかまりながら、あるいは扇子でつっかえ棒にしながらやる落語は笑うけれどもハラハラもした。
終わりの時間が決められている状況でやるのも大変そうだった。
11月2日、組合の仕事で藤里町の藤琴川鮭鱒生産組合へ。
総勢9人。
秋田県の沿岸を通る高速道路のほぼ全線を走ったことになる。二ツ井の「君待ち阪道の駅」で県職員のコダマさんと落ち合い先導してもらった。
30分ほど白神山地に入った山の上に生産組合があった。
川のそばにあるとばかり思ったが、そこには豊富な出水があり、すぐそばでは山葵の栽培もしていた。

先に石沢から運んでもらったサクラマスたち。

水温が石沢と比べて低いので、魚たちも大分戸惑ったようだった。若干皮膚にカビが付いたのがいた。
こちらは米代漁協のサクラマス。手にしているのはオス。銀色のきれいなメスも見える。

石沢とは設備に差があり、目標の5万尾の稚魚確保は難しそうだった。
帰りには、米内沢の鮎センターに立ち寄ってきた。
殆どの水槽が空になっていたが、二つの水槽で鮎が泳いでいた。

300キロのドライブの後は本荘駅前の小料理屋で「はばきぬぎ」。これをやらないと秋田県では仕事が終わったことにならない。
総勢9人。
秋田県の沿岸を通る高速道路のほぼ全線を走ったことになる。二ツ井の「君待ち阪道の駅」で県職員のコダマさんと落ち合い先導してもらった。
30分ほど白神山地に入った山の上に生産組合があった。
川のそばにあるとばかり思ったが、そこには豊富な出水があり、すぐそばでは山葵の栽培もしていた。


先に石沢から運んでもらったサクラマスたち。


水温が石沢と比べて低いので、魚たちも大分戸惑ったようだった。若干皮膚にカビが付いたのがいた。
こちらは米代漁協のサクラマス。手にしているのはオス。銀色のきれいなメスも見える。

石沢とは設備に差があり、目標の5万尾の稚魚確保は難しそうだった。
帰りには、米内沢の鮎センターに立ち寄ってきた。
殆どの水槽が空になっていたが、二つの水槽で鮎が泳いでいた。

300キロのドライブの後は本荘駅前の小料理屋で「はばきぬぎ」。これをやらないと秋田県では仕事が終わったことにならない。