山菜採りその2

2011-04-24 | 日記
きょう行ったら、あの雪がこれだけ少なくなっていた。


雨の予報だったが雨は降らず、風の強さを除けばまあまあの日和だった。収穫は前回の倍ほど。アイコもホンの少し(片方の手のひらに収まる程度)とれた。
前回と違って2~3人が山に入っていた。
しかし、あちこちの沢にはまだ雪があり、山桜の風景にはほど遠い感じだった。

山菜とり

2011-04-20 | 日記
今日はいつもの年より10日以上も遅い山菜採り初日。
今年は寒いし雪が多かったし、まだ地物には出会っていなかったし、公園の桜もまだなので、まだ出ていないかも知れないと思いながら偵察がてら行った。
しかし、ちょっとだけ芽が出ていた。
     
伐採された杉林のあとは、アイコの宝庫なのだが、まだフキノトウが見てのとおりで、アイコはまだまだといった感じだった。


上の画面で、奥に見える急な斜面がメインフィールドなのだが、途中にはまだ雪が多かった。


何とかチラホラ芽を出していたサシボはこの程度。それでも2時間半ほどでレジ袋に一杯採れた。しかし、ひとさまに上げられるようなものではなかった。(が、それでもいいという友人に、ひとかたけ分やった)
晩飯に味噌汁にして食べたが、つぼみは見た目はいいが、やはり味はちょっと物足りない。
次の日曜あたりにはもう少し採れそうな感じがするが、さて、どうかな?

同級生

2011-04-17 | 日記
昨夜、大宮から帰省してきた女性を囲んで、彼女と同じ分校の数人がうちの店に集まった。
いいおばさんになった連中の集まりで、年齢なりの話題で盛り上がった。

「うちの近所のじいさんが、医者に『せんせい!しきゅうがんだ、みでけれ』って言ったんだど。」「なでが!」と一同。
「先生が、おどごさなばしきゅうがんはねえ、って答えたら、うちのばあさんが、それだとガンかも知れないからしきゅう診てもらわねば、ってゆった。ゆっくりさねでしきゅうみでけれ」・・・・・

「~~~ むがしっからわたし、吉永小百合にそっくりだったねが」一同「???」「あれ?おめだ、しらねんだっけ?おれの足の裏、そっくりなんだよ」


観桜会

2011-04-14 | 日記
昨日から公園で観桜会が始まった。
桜がまだ咲かないのと、夜は冷えるので人出は全くなかった。
夜8時頃行ってみたが、15分ほどいる間、たった1人とも会わなかった。
帰って来てかみさんに報告した
「誰もいないところで怖くなかった?」
「怖くなんかなかった。俺を怖がる人がいたとしても」

公園入口の大手門はライトアップされていた。


大手門を入ったところ


石段を登ったところも灯りはついていたが誰もいない。


石段の上から見た広場


本丸には夜店があったが店じまいしていた

カラスの奮闘むなし

2011-04-14 | 出来事
近所の電柱のトランス部分に、番のカラスが巣を作っていた。
木の枝をせっせと運んでいた。
しかし、うまくいかなかったようだ。
電力会社でも巣が作られないように、トランスに何か工夫があるのかも知れない。

   

停電

2011-04-08 | 出来事
昨夜の地震でまた停電になった。報道に依ればこの辺は震度4。40キロ離れた秋田市では震度5強とのこと。
間もなく回復するだろうと思っていたが、夜の間は電気が来ず、朝になってもダメ。一丁離れたところでは9時半前に復旧したのに、ここに電気が来たのは正午過ぎ。13時間の停電だった。
小さい家庭用の冷蔵庫からは水が少し出ていた。

ちょっとよく分からないのがガソリンスタンド。あちこちで、昼過ぎまで給油の車の行列ができていた。



情報リテラシー

2011-04-06 | ノンセクション
「危険」よりは「安全」がいいに決まっている。と、大多数の人は思うことだろう。
「不便」よりは「便利」がいいに決まっている、と、大多数の人は思うことだろう。
これが両立しないとき、人間は、危険をできるだけ小さくして(小さくする努力をして)便利を追求してきた。

車の事故で明日30人の人が亡くなる、と予報が出たら人は車に乗らなくなるだろうか。実際、毎日20人ほどが犠牲になっているが、誰も車の無い社会がいいとは言わない。車の無い不便さには耐えられないようになってしまったのである。

電気のない不便さは車以上である。

車に対しては、交通規則を作り、信号を作り、ガードレールを作り、歩道を作り、エアーバッグを作り、・・・・考えられる限りを尽くして便利と安全を追い求めてきた。

しかし、原子力発電に関して、こうはしてこなかった。(ように思う)
賛成派と反対派が歩み寄ることが無く、互いを信頼できず、結局、あっちはあっち、こっちはこっち、といった状態でここまで来てしまった結果、最善策や次善の策を取ることができず、結局最悪の事態を起こしてしまった。(と思われる)
福島第2や東北電力の女川などは、運転は停止したが福島第1のようなことにはならなかった。逆に言えば、あれだけの地震と津波でも放射能漏れなどの事故は起こさなかった。

津波の被害を受けた市や町にはもう住めないと思う人もいるかも知れない。
津波の来ないところに住みたいと思うかも知れない。しかし、この日本で安全な場所はどこにあるのだろう。津波が無くても崖崩れや台風の被害は毎年のこと、どこかで必ず起きている。
そして、今年の冬のように、雪で家がつぶれることだってある。
津波の来るところでは、どうやったら津波から逃げられるか、と常に考えておくことが大事になる。津波の来るところに住む人にとっては、それが宿命というものだろう。

危険だから、危ないから、ということで無しにできないもので現代の社会は成り立ってしまった。
軍事もそうかもしれない。
(軍事はおいとくとしても)困るのは、正しい情報がどれか、ということを受け手に要求される時代になったことである。様々なメディアがあり、雑多な情報が溢れる時代になった。その中から、自分にとって受けのいい情報だけを取り入れる人もいるだろう。(多いのかも知れない)

現代は、一般の人に高い情報リテラシーを要求していることになるが、それは無理というもの。情報に振り回され、声の大きなメディアの言うことが本当のように聞こえ、みんなが進む方向に逆らえない大多数の日本人は、この先、どんな方向に進んでいくのだろう。
「本当かな?」と一歩立ち止まることを肝に銘じておこう。