「中今」とは?
中今に生きることの大切さを最近は、多くの書籍やブログで目にすることが増えたと
思います。私もその提唱者でもあります。
本日ある書籍を再読していて、深く共鳴した文章に出会いましたので、ここに
ご紹介させていただきます。
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地球維新 解体珍書より抜粋
「日月神示」は「中今」に生きる重要性を力説する
中今悠天拝
「中今」という言葉が『日月神示』にはたびたび出てきます。この「中今」は、
「時」に関する重要な神道的用語です。
「中今」は、通常「過去、未来も、現在というこの瞬間に中に包摂されるもの」と
解釈されています。
ギリシャ哲学でも、アリストテレスは「永遠の中の今」ということを述べています。
「中今」という概念が「時の異象」との関係性を持つとすれば、「人間」をどのような存在として
とらえるかということをまず説明しなくてはなりません。
私たちの言う「中今の自己に生きる」とは、決して「自己」を「空間軸」の中に
「限定」するものではありません。
むしろ、「時間軸」における「自己」との{融和}と「真釣り合わせ」が、その先にあるのです。
その意味で「自己」と「祖霊」・「御先祖」は、そもそも「時間軸」の中で、
同じ「自己概念」の中で理解されるものなのです。
言い換えれば、広義の「自己」概念の中に、「先祖」や「祖霊」も「包摂」されるという
考え方です。
そして、この「祖霊信仰」は、はるか数万年前の縄文時代から連綿と私たちの中に育まれて
いる「根源的信仰」です。
そしてこの「祖霊信仰」がさらには「祖神信仰」へと発展していきます。
このように神道に言う「中今」とは、むしろ時間軸のおける「拡大された自己」としての
「祖霊・祖神への感謝」がその根底にあります。
「祖霊・祖神」との関係性を「遮断」することから、人間の「われよし」が始まると感じます。
真の「うれしうれし」の世界に至るには、真の意味での「中今の自己」を、私たちが回復して
いくことが肝要であると感じます。
『日月神示』の「中今」に関する神示として次の神示があります。
「過去も未来も中今、神も人間と同じで、弥栄(いやさか)していくぞ、
悪いくせ直さねばいつ何時までたっても自分に迫ってくるもの変わらんぞ。」
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「祖霊、祖神」への敬いや感謝を忘れて生きているうちは、どんなに善行を積んでも
幸せへの道が遠いのです。なぜなら、「祖霊、祖神」は自己の延長線というより、
「祖霊、祖神」の中に包含している地上の自己であるからです。
そのことを理解し、思い出して生きていく、生き直していくことが重要かなと
思います。