武士道とは何か?その⑥
その⑤に続き、新渡戸稲造と「武士道」について
「武士道と日本人の心」 山本博文[監修] 青春出版社 より抜粋
第二章 武士道の精神
礼 其の三 「つまらない物ですが」に秘められた低意
◇理解されにくい日本人の礼を尽くす心情
礼は、振る舞いに優雅さを加えるだけでも大いに意味があるが、そこには常に優雅な
同情心が現れると新渡戸はいう。
しかし、礼に則った行為は、ときとして欧米の人々には奇怪に見えるだろうとして、
いくつか例を紹介している。
たとえば炎天下、欧米の人が日傘を差さず、帽子もかぶらずに戸外に立っているところに、
日本人の知り合いが通りかかったとする。すると日本人は、挨拶を交わすために日傘をさして
いたなら閉じ、帽子をかぶっていたら取る。そして、挨拶を交わしている間は、決して日傘を
さそうとも帽子をかぶろうともしない。
これに対して、欧米の人々はなんて馬鹿げた行動だろうと思うにちがいない。
また、相手に贈り物を送る時、アメリカでは送る側は受け取る人に対して、その品物を
褒めそやす。しかし、日本人ではこれを軽んじたり、悪く言ったりする。
確かに、贈り物をする際、「つまらない物ですが」と一言断るのは、現代の日本人にとっても
常套句である。このような行為も、外国人にとっては当惑の対象だろう。
◇礼の裏に秘められた真意
しかし、これらの行為には、じつは底意があると新渡戸は指摘する。
まず、日傘の例であるが、この行動の真意は、次のようなところにある。
「あなたが炎天下にいることに私は同情する。もし私の日傘が大きければ、
あるいは私は喜んであなたを日傘に入れてあげたい。しかしいま私はそれができない。
それであれば、せめてあなたの苦痛を分かち合いたい」。
次に贈り物をする時の日本人の気持ちは、次のようなものである。
「あなたはすばらしい人物であり、どんな品物もあなたにはふさわしくない。
どんな最高の贈り物であっても、それをあなたに相応しいほどすばらしいと言うことは、
あなたの価値に対しての侮辱になるだろう」。
つまりこういった行為は、他人に向けられた思いやり深い感情の表れであり、
そこには他人の気持ちを思いやる「礼」の精神があるのだ。
相手を思いやるもてなしに長けていた武将といえば、豊臣秀吉が挙げられる。
西国の雄(さいごくのゆう)。毛利輝元(もうりてるもと)の大阪入りの際、兵庫に到着した
輝元を、秀吉は長旅の慰労と歓迎の意を込め、当地の役人に命じて大量の酒や肴の
差し入れを行なわせた。
それだけではない。毛利一行がきらびやかに大阪入りを果たせるよう、帷子(かたびら)や
馬具、槍を贈っている。
大阪や京都の大名衆からも、御迎えの使者が多数毛利輝元の元へと派遣された。
こうした秀吉の気配りは、輝元の上洛に対する緊張や不安を吹き飛ばしたであろう。
物だけでなく、気持ちを徹底的に尽くす礼を秀吉はしたのである。
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贈り物をするとき、たしかに「つまらない物ですが…」と枕詞のように言っていました。
でも何でつまらない物と言って、へりくだらなければならないのかと思っていましたが、
私はあるときから、「御口に合うかどうか分からないですが…」とか、
「御口汚しにどうぞ…」、「お気に召すかどうか分からないですが…」とか言っています。
どちらにしてもたしかに、相手の気持ちを思いやることからきています。
ですから、口の中でモゴモゴと言って渡すのだけは避けましょう。