愛の輝きとつぶやき

写真、アート(絵画、書、詩)日記

武士道とは何か?その⑥

2015-07-26 21:44:21 | 今に生きる

武士道とは何か?その⑥

その⑤に続き、新渡戸稲造と「武士道」について

「武士道と日本人の心」 山本博文[監修] 青春出版社 より抜粋

 

第二章 武士道の精神

 其の三  「つまらない物ですが」に秘められた低意

◇理解されにくい日本人の礼を尽くす心情

礼は、振る舞いに優雅さを加えるだけでも大いに意味があるが、そこには常に優雅な

同情心が現れると新渡戸はいう。

しかし、礼に則った行為は、ときとして欧米の人々には奇怪に見えるだろうとして、

いくつか例を紹介している。

たとえば炎天下、欧米の人が日傘を差さず、帽子もかぶらずに戸外に立っているところに、

日本人の知り合いが通りかかったとする。すると日本人は、挨拶を交わすために日傘をさして

いたなら閉じ、帽子をかぶっていたら取る。そして、挨拶を交わしている間は、決して日傘を

さそうとも帽子をかぶろうともしない。

これに対して、欧米の人々はなんて馬鹿げた行動だろうと思うにちがいない。

また、相手に贈り物を送る時、アメリカでは送る側は受け取る人に対して、その品物を

褒めそやす。しかし、日本人ではこれを軽んじたり、悪く言ったりする。

確かに、贈り物をする際、「つまらない物ですが」と一言断るのは、現代の日本人にとっても

常套句である。このような行為も、外国人にとっては当惑の対象だろう。

 

◇礼の裏に秘められた真意

しかし、これらの行為には、じつは底意があると新渡戸は指摘する。

まず、日傘の例であるが、この行動の真意は、次のようなところにある。

「あなたが炎天下にいることに私は同情する。もし私の日傘が大きければ、

あるいは私は喜んであなたを日傘に入れてあげたい。しかしいま私はそれができない。

それであれば、せめてあなたの苦痛を分かち合いたい」。

次に贈り物をする時の日本人の気持ちは、次のようなものである。

「あなたはすばらしい人物であり、どんな品物もあなたにはふさわしくない。

どんな最高の贈り物であっても、それをあなたに相応しいほどすばらしいと言うことは、

あなたの価値に対しての侮辱になるだろう」。

つまりこういった行為は、他人に向けられた思いやり深い感情の表れであり、

そこには他人の気持ちを思いやる「礼」の精神があるのだ。

 

相手を思いやるもてなしに長けていた武将といえば、豊臣秀吉が挙げられる。

西国の雄(さいごくのゆう)。毛利輝元(もうりてるもと)の大阪入りの際、兵庫に到着した

輝元を、秀吉は長旅の慰労と歓迎の意を込め、当地の役人に命じて大量の酒や肴の

差し入れを行なわせた。

それだけではない。毛利一行がきらびやかに大阪入りを果たせるよう、帷子(かたびら)や

馬具、槍を贈っている。

大阪や京都の大名衆からも、御迎えの使者が多数毛利輝元の元へと派遣された。

こうした秀吉の気配りは、輝元の上洛に対する緊張や不安を吹き飛ばしたであろう。

物だけでなく、気持ちを徹底的に尽くす礼を秀吉はしたのである。

 

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 贈り物をするとき、たしかに「つまらない物ですが…」と枕詞のように言っていました。

でも何でつまらない物と言って、へりくだらなければならないのかと思っていましたが、

私はあるときから、「御口に合うかどうか分からないですが…」とか、

「御口汚しにどうぞ…」、「お気に召すかどうか分からないですが…」とか言っています。

どちらにしてもたしかに、相手の気持ちを思いやることからきています。

ですから、口の中でモゴモゴと言って渡すのだけは避けましょう。