武士道とは何か?その⑦
その⑥に続いて、新渡戸稲造と「武士道」について
「武士道と日本人の心」 山本博文[監修] 青春出版社 より抜粋
第一章 武士道の成り立ち
武士道の源泉 ―― 形成に寄与した儒教、神道そして仏教
◇武士道精神を補完した宗教と教え
武士道は武士が守るべき道徳の掟であるが、それは数百年にも及ぶ武士たちの生き方
から自然と発達してきたものだと新渡戸は説く。
それでは、その淵源はどこにあるのか。これに対して新渡戸は、はっきりと断言することは
できないという前置きをした上で、日本で封建制が成立した十二世紀末、
鎌倉幕府を開いた源 頼朝(1147~99)の支配と同時期だったとしている。
しかし、突発的に武士道というものが成立したわけではない。
当然そのもととなる源泉があるはずで、それを新渡戸は仏教と神道、儒教に求めた。
このような視点に沿って武士道を整理したのは、新渡戸が初めてのことである。
それでは、それぞれがどのように武士道に影響したのかを見ていこう。
まずは仏教である。「仏教は運命に対する穏やかな信頼、危険や災難を前にしても
ストイックに落ち着き、生に執着せず、死に親しむ心をもたらした」
仏教が武士に与えなかったものを補う役割を果たしたとして、神道が紹介される。
「主君に対する忠(ちゅう)、祖先への崇拝、親への孝(こう)は、神道の教義によって
武士に注入された」
そして、最後に紹介する儒教こそが、武士道のもっとも豊かな源泉になったと新渡戸は
述べる。
儒教とは、孔子や孟子の教えが体系化されたもので、人間の道徳的な関係について
言及している。
五世紀頃に日本に伝来し、律令時代以降、官吏(かんり)となる貴族層の必須の教養と
なった。
江戸時代中期には、武家の教養の第一と重んじられ、武士の子弟はみな私塾や藩校など
で儒教を学んだ。しかし、新渡戸は、儒教の伝来以前から、日本人はそれを本能的に知って
いたと断言する。
神仏の存在は、たしかに多くの武士の心の支えとなっていた。
とくに常に死と隣り合わせだった戦国時代を生きた武将たちは、神仏を篤く崇敬している。
たとえば武田信玄(1521~73)は自ら出家するほど仏教を信仰し、天台密教を修めて
延暦寺から権大僧正(ごんのだいそうじょう)の位を与えられている。
信玄の宿敵・上杉謙信(1530~78)もまた、宗教心が人一倍強かった。
禅を修め、有髪の僧として戒律を守る清廉な生き方を貫いた謙信は、出陣にあたって
神仏像を伴い、また、武の神・毘沙門天の「毘」の字を軍旗に採用している。
しかし仏教は、戦いに生きることを教えるものではない。
また、神道の教義が形成されたのは室町時代のことで、神道の武士道への影響は
限定的なものに過ぎなかったと考えられる。
実際、「君主への忠誠心と愛国心」が語られるようになるのは、明治以降、国家神道が
体系化されたことによる。
さらに儒教も、武士が為政者(いせいしゃ)としての役割を果たすために必要な教えで
あったが、武士のための教えではない。
武士の生き方として、「武士の一分(いちぶん)」と呼ばれる武士特有の名誉意識がある。
「生命よりも名を重んじる」といった生き方だ。
こうした精神が前提としてあり、新渡戸が挙げた三つの源泉が影響を与え、武士道が
成立した。
しかしこれを英語で説明することは難しかったため、新渡戸は武士道を儒教学的色彩の
濃い道徳思想として解説を試みたのである。
○神仏の加護を仰いだ戦国武将たち
・徳川家康 厭離穢土欣求浄土 この世という穢れた世界から離れ、極楽浄土への往生
を願う信仰心が込められている。
・島 左近 鬼子母善神十羅刹女 法華経の守護神
八幡大菩薩 武の神
鎮宅霊符神 妙見信仰
・筒井順慶 春日大明神 春日大社の祭神 武神として信仰されていた。