大徳寺塔頭の瑞峯院の本堂(方丈)内陣です。中央の襖が開かれた奥に開祖の徹岫宗九(てつしゅうそうきゅう)の木像を祀っていますが、暗くてよく見えませんでした。襖絵は、江戸期までは狩野元信や土佐光信の筆になるものが残されていましたが、残念ながら明治期の廃仏毀釈の頃に売却されて流出しました。現在は日本画家の野添平米(のぞえ へいべい)の襖絵がはめこまれています。
本堂(方丈)前縁より折玄関部を見ました。外観や雰囲気が興臨院の折玄関部によく似ていますが、こちらのほうは客待の花頭窓が無いので地味に見えます。ですが、前後とも唐破風を造っていますから、贅沢さはこちらが上です。
本堂の前縁にてしばらく座ってまったりしました。
本堂裏手、北側の石庭「閑眠庭」です。作庭家の重森三玲(しげもり みれい)の設計、造営であるそうです。こちらでは古い時期の庭園は残っていなかったのでしょうか。
中庭です。本堂の東側にあり、庫裏書院との間に細長い空間があって、北の「閑眠庭」から続いて一つの庭園になっています。個人的には上図左のいわくありげな礎石が気になりましたが、寺の受付で訊ねても分からないとの事でした。
茶室の安勝軒は非公開でした。
中庭にある、キリシタン灯籠と呼ばれる変わった形状の灯籠です。開基の大友義鎮(宗麟)ゆかりの品と寺では伝えているようですが、真偽のほどは定かではありません。大友義鎮がこの寺に関与したことは、寺号が彼の法号「瑞峯院殿瑞峰宗麟居士」より命名されている点に明らかです。
この中庭を、U氏が気に入っていて、ウチにもこういう庭あったらな、と三度ほど繰り返していました。
「おい星野、あそこにも釣瓶の野井戸があるぞ」
「ああ、あるな。覆い屋をかけてあるね。玄関廊の横だから来客の足水とかに使ったのかもな」
「あ、なるほどね・・・、足水か・・・」
玄関廊に戻って本堂を振り返りました。
いい雰囲気の方丈でした。U氏が受付で貰ったパンフレットを再読し、「これの建立年次が天文四年(1535)になってるけど、なんか確証あるのかな」と訊いてくるので、受付でそのことも訊いてみましたが、受付の初老の男性は「分かりません」の一点張りでした。瑞峯院の関係者ではないのかもしれません。
表門まで引き返し、内側からその綺麗な建築の姿をしばらく眺めた後、門外へ出ました。 (続く)