大徳寺塔頭特別公開の二ヶ所目、興臨院の門前に着きました。大仙院から引き返して中心伽藍の西を南へ進んで、右に曲がった突き当りに位置しています。御覧のように大きな立て看板が設置されていたので、分かり易かったです。
表門です。U氏が「これまた優雅な、軽快にして繊細な門建築だな」と感動していました。一間一戸の平唐門で、檜皮葺とします。室町末期頃の本堂(方丈)と同時期の建立とみられ、国重要文化財に指定されています。
表門の横の案内説明板です。例によって二度繰り返して読むU氏でした。この種の説明文はとにかく寺の歴史を古くに置きたがる傾向が強いので、公刊資料や文化財関連報告書類も読んで客観的な見解や中間考察類にも目を通しておくことが肝要です。私自身の研究経験からすると、この種の案内説明文の内容はおおむね戦前からの伝承類に重きがおかれているために、年次や由緒の類はそのまま鵜呑みには出来ないケースが多いです。U氏もそのことは心得ていて、参考程度に読んでいるそうです。
表門を横から見ました。最低限度のカーブを綺麗に表した破風が美しいです。懸魚の唐草文様の透かし彫りも丁寧に施されており、中世戦国期の宮大工の技術の巧みさが随所に示されます。貫が長く突き出るので、豪壮さの要素も加味されていますが、こうした趣向は戦国期の建築に多いように思います。
なので、寺では本堂とともに天文二年(1533)頃の建築としていますが、もう少し下げて永禄までの幅を見ておいたほうが良さそうに思います。
表門をくぐって中に進みました。ここでも紅葉が見事でした。右手に庫裏、奥に方丈の玄関が見えました。
庫裏は昭和五十年(1975)からの本堂、玄関、表門の解体復元修理に際して新たに建て直されたもので、規模も広げているそうです。特別公開期間の拝観窓口も庫裏にあって、庫裏から出入りしました。
奥の玄関の前まで行きました。この日は本堂で茶道の催しがあったようで、茶道関係者のみがこの玄関から出入りしていたようです。その受付担当の和装の娘さんが玄関前に控えていましたが、我々が近づくと静かに一礼して庫裏側に退いて、見学の邪魔にならないようにしていました。我々も恭しく一礼して謝意を伝えました。
檜皮葺の玄関口です。本堂(方丈)に付属する折玄関形式の出入口で、正統的な唐門の形式に造られます。正面は唐破風造、背面は切妻造となります。内部の客待(きゃくまち)と呼ばれる空間の花頭窓(かとうまど)が門口の奥に見えて折玄関の空間構成の妙を示しています。本堂の附けたりの建築として共に国の重要文化財に指定されています。
細部に至るまで丁寧な造りこみがなされた門建築です。大徳寺山内でも屈指の優美な玄関で、解体修理によって創建時の姿に復元されていますが、こうした玄関建築は大徳寺山内でもここぐらいなので、必見の価値があります。
U氏もこの玄関は念入りに見ていて、ずっと溜息をつきっ放しでした。古建築に興味があって京都の芸大でも論文のテーマによく取り上げていたU氏ですが、その情熱的な探究心ぶりは20年余りを経た現在でも変わっていませんでした。
U氏が特に感心して双眼鏡でじっくり鑑賞していた蟇股の装飾彫刻。雲紋の中央に植物をあしらって深く彫りこんで浮き上がらせる手法で立体的に仕上げています。
組物の木鼻(きばな)の雲紋装飾、小ぶりの斗拱(ときょう)の繊細な繰形(くりがた)、欄間のやや開き気味の波形連子(なみがたれんじ)の微妙な開放感、虹梁(こうりょう)下部隅の細やかな段差処理、いずれにも中世戦国期の建築意匠のこだわりの技巧が光ります。「素晴らしい・・・」を連発するU氏でした。
玄関口から中を見ました。典型的な折玄関の形式で桁行は三間、梁行は一間を測ります。客待の壁面に花頭窓が設けられ、その内側に腰掛棚がしつらえてあります。客がここで住僧の案内を待ちながら花頭窓より庭園を鑑賞出来るようになっています。
その花頭窓に近寄ってみました。御覧のとおり、本堂(方丈)と前庭の石庭が花頭窓を枠に見立てた一幅の絵画のように望まれます。禅刹の「静」にして「涼」の香りも潜ませた法境の世界観が凝縮されています。中世戦国期の人々が理想として描いていた「禅」の心の具象化、とも言えましょうか。 (続く)