大徳寺方丈の解体修理現場見学の続きです。今回の解体修理は、戦前の昭和七年(1932)に行われた根本的な修理以来の半解体修理で、約90年振りの解体事業となっています。建物全体の傾き、南側正面の柱の傾斜などの修理とあわせて耐震補強、経年劣化の部材の補修が行われています。方丈と合わせて玄関、廊下、庫裏や仏殿の修理も行われることになっており、修理事業期間は令和2年11月から令和8年10月までの6年間となっています。
つまり、今回の令和4年11月の解体修理現場公開というのは、修理事業の2年目が過ぎた節目のタイミングにあたっていたわけです。おそらく、次のタイミングでは仏殿か玄関廊下、庫裏の解体修理現場が公開されるのでは、と予想しています。
方丈の天井を見上げました。このように屋根がほぼ解体されて小屋組みだけの状態になっており、このように建物にかかっている重量を極力減らしてから、建物の傾きを建て起こしで是正したわけです。
方丈の左側の空間、「礼之間」と「函丈之間」の修理前の図版パネルです。函丈とは、本来の意味が「師から1丈離れて座る」ですので、ここでは住職や高僧の位置から離れて控えることを意味します。つまりは武家屋敷でいう「控えの間」にあたるのでしょうか。
「礼之間」から「函丈之間」を見たところです。建物の主な構造材が柱と梁であることがよく分かります。壁の柱も、梁方向では建物の柱と同じですが、桁方向では御覧のように左端から二本目と三本目が単なる壁の支持材であるのが分かります。
大徳寺方丈の畳は、国宝の一部ですから、古くなったからと言って新品に交換するわけにはいきません。可能な限り現状維持を目指して内部材の修理や補強、部材の交換がなされて根本的に修理されます。いまの建物が建てられた寛永十二年(1635)以来ずっと敷かれている畳なので、一部の交換された分を除けば、既に約400年の歳月を経ていることになります。
方丈南側の見学路の様子です。これは一階部分のルートです。建物の写真ばかり撮っていて、見学路のそれはあまり撮る機会が少ないので、見学者が減ったこのタイミングで撮りました。床面は保護シートの上にビニールカーペットを敷いて文化財保護への配慮がなされていました。
東端の庫裏との連結部分を見ました。庫裏はまだ解体作業に入っていませんが、たぶん方丈の建物が一段落してから庫裏に取り掛かるのでしょう。一部の壁が芯材のみになっているのが見えましたが、これは壁自体の保存状況の検証が目的であったのでしょうか。
こちらでも畳が展示されていました。よく見ると、うっすらと墨書が浮かび上がって見えました。
案内パネルの赤外線撮影図にて、墨書がはっきりと示されていました。御覧のように現在の建物が竣工なった頃の畳であるようです。現役の畳としては日本最古のものと考えられていますが、大徳寺方丈よりも古い時期の江戸期方丈建築は他にもありますから、そちらで解体修理を行なえば、より古い時期の畳が見つかる可能性があります。
方丈東側の玄関廊に戻りました。ここで見学路を一巡して起点に戻ったことになります。この玄関廊も国宝であり、今回の解体事業範囲に含まれていずれは解体される予定だそうです。
なので、今回のタイミングが、修理前の玄関廊の現状を観察する最後の機会でありました。
それで、周囲に見学者が居ないのを幸いとして、かなり長い間玄関廊の内側に立ち止まって破風などをじっくりと観察するホシノでした。それで嫁さんが、そのうちに待ちくたびれて私の横顔を撮ったりしたようでした。(嫁さん撮影)
出口を出てからは、屋外の修理技術関連の公開展示や実演展示のテントを回りました。嫁さんはこういった伝統技術関連にものすごく興味があるそうで、待ってましたとばかりにテント内へ嬉々として入っていって色々見学していました。
上図は、柱材の装飾文様の復元例です。宇治平等院鳳凰堂の平安時代当時の彩色蓮華文様です。現在では退色剥落していますから、この鮮やかな色あいをイメージして鳳凰堂内部を見ると、また違った印象と感動があるでしょう。
嫁さんは「こういう模様とかをガンプラに塗ってみたいわあー」とか話していましたが、これは平安時代を中心に流行した繧繝彩色(うんげんさいしょく)の技法で、色の濃淡順に塗り重ねて一種のグラデーションをあらわすものですから、簡単に出来るでしょう。
というか、ガンプラに繧繝彩色を施したモデラーさんは日本でも世界でも皆無だろうと思うので、じゃあチャレンジしてオンリーワンを目指してみたら、とけしかけておきました。
嫁さんが特に感動してじっと観察し、スマホで何枚も撮っていた蓮弁(れんべん)の彩色文様です。左が開き蓮華、右が唐草紋のモチーフです。宇治平等院鳳凰堂の定朝作の本尊阿弥陀如来坐像の蓮弁の復元レプリカですから、定朝を研究対象として宇治平等院に何十回も通った私にとっては、若い頃からの懐かしい思い出が一杯甦ってくる品です。
そのことを話すと、嫁さんは微笑して「美亜さんの記憶もこれみたいに美しくて鮮やかなままなんですよね」と言いました。遠い昔に若くして逝った前妻との出会いも宇治平等院鳳凰堂でのことでしたから、「そうやな」と返しておきました。 (続く)