いろいろ家の中の事を済まして、ボーと考えたのだが、私何のために生きているのかなぁ。
子供が小さい頃は、とにかく勉強に遅れを取らないように、病気しないように、ケガしないように、事故に遭わないように、など常に子供が生活の中心で、自分の事は後回しで必死に生きてきた。ついでに夫の面倒も見ながら。
しかし、子供達はすっかり婚期を逃し、勝手気ままに好きな事をしてるし、私どうしたら良いんだろう。
今はただ、家のローン返済のために夫婦必死で働いているが、何かむなしい。
昼間から飲んでいるビールのせいか、何かセンチメンタル。
あっ、決してアル中ではありませんよ。草取りして喉乾いたし。(言い訳がましいです)
二連水車です。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/9c/a69a364e109c4a911959587ba05e7cc2.jpg)
元気よく回っていました。
そばに行くと水しぶきがかかってすごく涼しく感じられ、気持ち良かったです。
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元気よく回っていました。
そばに行くと水しぶきがかかってすごく涼しく感じられ、気持ち良かったです。
これは5歳上の姉が西日本新聞の紅皿と云う投稿のコーナーに投稿した文である。ちょっと拝借した。
『小学校6年のころ、フレアースカートが流行った。私たちは円形スカートと呼んでいたが、その名の通りクルッと回ると円形に広がる。
歩くとすそが大きく揺れるのである。
エレガントに見えて、着ている友達が羨ましかったが、我が家の経済状態では買えないとあきらめていた。
ある日、壊れた傘を見てひらめいた。これをスカートにしてみようと。
当時の傘は黒かエンジ色しかなかったと思うが、エンジ色の傘の布を骨から外し、ウエストに当たる部分を円形に切り抜いてベルトを作り裾をまつった。
布地がゴワゴワと硬く、一針一針苦心したことを覚えている。
なかなかの出来栄えだったが、縫い代が意外に大きく必要となり、思ったよりも丈が短くなってしまった。
仕方なく、妹に着せて満足した。
妹は最初は喜んでいたが、雨の日に友達からからかわれたとかで、はかなくなってしまった。』
と言う文を目にして私も当時を思い出した。
この文章の中の妹とは私のことである。
確かに雨の日クラスの男子生徒に囲まれて、「傘はいちょる、わーい傘はいちょる。」とはやし立てられ、いじめにあってしまった。
私は恥ずかしく、泣いて帰った記憶がある。
貧しく、5歳上の姉はよく私に服をつくってくれた。
お金を出せば何でもすぐに手に入る今の時代には考えられないだろうが、昔の子供は知恵もあり、たくましかったなーと思う。
今もフレアースカートに似たような長いスカートが流行っている。
今の傘はとてもカラフルで綺麗な柄物が沢山あるので、傘でスカート作ってもそれとはわからないかも知れない。