リュウ庵

尼崎市住む猫大好き人間。
駄文を書くのも好きです。

日常も楽しもう

2021-08-11 12:43:06 | 日記

東京オリンピックの熱気にどっぷり浸かっていたが、無事に終わって日常生活に戻った。

テレビをかけてもなんとなく物足りないのは、画面いっぱいに駆け回るアスリートたちの

眩しい笑顔がもう見られなくなったからだろうか。

 

さあ、これからは日常生活を大切にしなきゃ、と改めて思う。

気が付けば立秋(7日)は過ぎ、見上げた空の雲は高く青空も心なしか深く感じる。

庭の隅っこで、セミの亡骸が仰向けにひっそり・・・そういえば朝窓を開けた瞬間、耳を

弄するばかりに鳴いていたセミたちも、いつの間にか静かになっている。

再び鳴くことも飛ぶこともできない、落蝉(おちせみ)。

 仰向けに落ちて鳴きけり秋のせみ  一茶は詠んでいる。

真夏の太陽に負けじとばかりに黄色い光を放っていた元気印のヒマワリも、夏の名残を惜し

むように枯れ始めている。

秋は夏の草花や虫たちを巻き込みながら、忍足でやって来るのだ。

 

さて、その日常をいかに過ごそうか。

しばらく休んでいたプロ野球ペナントレースが再開する。

我がタイガースは前半快調に飛ばして、2位に2ゲーム差で首位に立っていので、後半戦もこ

のまま突っ走って、今年こそリーグ優勝そして日本一になって「冥途の土産」にしてほしい。

秋の夜長、ゆっくり読書にも浸りたい。

読みたい本も何冊かアマゾンから取り寄せたので、ページを開くのが楽しみだ。

特別な日々じゃなくても日常を丁寧に過ごす、それも貴重な生き方と思う。

 

   📚 心に響いた名文 📚

 諦めと惰性と使命感とほんの少しのあたたかさ。こまごまと毎日働き、自分の

 役目を果たすときの心情と同じ感覚で、細く結びついている。そんな関係を、一

 言で表す言葉はない。ないから戸惑う。あいかわらず「妻と夫」ですませて安穏

 としていられる夫に、苛立ちを覚える。でも一緒にいるのををやめたくない。

 その理由を「愛」と言えたなら、すごく簡単なのだけど。

                  三浦しをん「まほろば駅前番外地」(文春文庫)

 

    蝉の亡骸が目につくようになった

   ヒマワリも夏にサヨナラ

   青空もなんとなく深くなって・・・


東京オリンピック「ARIGATO」

2021-08-09 12:37:54 | 日記

東京2020オリンピックが閉幕した。

コロナ禍の下でオリンピック開催に反対していたけど、いざ始まってみると、日本選手の

活躍に熱狂、いつの間にかのめり込んでしまった。

これがスポーツのチカラというのだろうか。

 

開催中にコロナ感染者が爆発的に広がり、このままではいつ中止になるかとハラハラしな

がらテレビにかじりつく始末。

ごく一部の外国選手による不快な嫌がらせニュースを知って腹が立ったけど、そんな重箱

の隅をほじくるような姑息で卑怯な言いがかりなど些末で「勝手にほざいておれ」と無視

できるほど、今度の日本をはじめアスリートたちの活躍、大会運営は素晴らしかった。

毎日、テレビの前で大声で応援、日本選手がメダルでも獲るものなら誰はばかることなく

拍手喝采、歓声を上げたものだ。

毎日毎夜のことだから、とても疲れはてたけど。

結果は金メダル27個を含む58個のメダル数は史上最高、国別でもアメリカ、中国に次

いで3位(メダルの数では5位)という素晴らしい成績。

東京で開催という地の利はあったにしても・・・日本の若い力が着実に伸びているのだろ

う、と頼もしく思い、次のパリ大会でもきっと活躍してくれるだろう。

参加した選手、外国メディアの人たちの評価も、「コロナまん延の最悪条件の中でよくや

った」と高い評価をしてくれたのは、ボランティアを含め一致して大会を支えたからで、

いつもながら日本人のまじめな底力は大したもんだ。

 

閉幕式の最後に電光掲示に「ARIGATO 」の大文字。

そうだね、心から「ありがとう」だね。

 

さて、次のパラリンピックは8月24日~9月3日まで11日間。

コロナがどうなっているんだろう。

今回のように無観客化はやむを得ないとしても、「中止」だけは避けてほしい。

それまでにコロナまん延を何としても抑え込み、必死に練習してきたアスリートたちの希

望を奪わず、ぜひとも開催てもらいたい。

とはいえ、東京オリンピック大成功の裏で広がった、コロナ・パンデミックがある。

この重い「負の遺産」をどうするか、世界が見つめていることを忘れてはいけない。

 

台風崩れの低気圧が通過、久しぶりにやや激しい「恵みの雨」となった。


どえりゃあ市長さん

2021-08-07 12:01:50 | 日記

何ともはや、ひどい市長さんがいたもので・・・

オリンピックで金メダル取った選手が出身地の名古屋の市長室へ表敬訪問した時、

市長さんが金メダルを手に取っていきなりガキっと噛みついたというのだ。

優勝した選手が自分の金メダルを噛むしぐさをする風景をよく見かける(これだっ

てあまり感心したことじゃないと思っている)が、それを真似たのだろうが、赤の

他人の口の中に入れられたメダルはさぞびっくりしただろうし、あまりにもバカ過

ぎてメダリストの選手が一瞬何が起こったのか、理解できなかったのではないか。

コロナ感染の対策で飛沫予防のマスクを要請している昨今、なんとも不潔でおぞま

しいことではある。

メダルを汚された選手は泣きたい気分だろう。

 

その市長は以前から何かと話題豊富な人で、今回の奇行もその延長線にあるにして

も・・・

ニュースに報じられたところ「そんなことしたらワヤだがね」と非難ごうごう、当

然のことだ。

ご本人は「フレンドリーなつもりで・・・」と言い訳したというが、許されること

ではない。

金メダルが薄汚い中年の男の口に入れられ、あろうことが噛まれたのは、汚された

とには間違いない。

この市長の謝り方が、極めて無責任なことも触れておかなくてはならない。

「迷惑をかけたのならごめんなさい」という謝り方。

迷惑をかけたのなら・・・というのは、不正を追及された無責任な政治家の言い逃れ

の常套句だ。

「かけたのなら」というのは「人々が思うのなら」という意味を含む条件付きの認め

方で、本人の心は別、ということ。

心から反省しているのならストレートのに「迷惑をおかけしました、ごめんなさい」

と潔く言うべきだろう。つまり心からの「ごめんなさい」ではないのだ。

 

汗と涙の思い出が詰まった大切なメダルとは、不潔で触る気も起きないのではないか。

心も深く傷ついたことだろう。

「交換してあげて」という声に、オリンピック組織委員はメダルが初めから傷物などの

場合には交換するが、この場合はこれに当たらない、と認めない方針とか。

事実ならここにもまた事態の深刻さを認識せず、「他人事」と思っている人たちがいる。

今回の出来事は異常な原因でメダルを傷がつけられ汚されたはずで、さっさと交換して

あげるべきだ。

コロナ禍で開催反対の世論を押し切って強行した組織委の、せめてもの度量というもの

だろう。

それにしても粗野な「どえりゃあ市長さんが」がいたものである。

 

  🌸猛暑でさすがにぐったりしたペチュニア🌸


お里が知れる

2021-08-05 15:52:49 | 日記

「お里が知れる」という言葉があります。

その人の言動が粗野だったりしたら、出自や出身地まで低く見られる時に使われ

るが、良い意味ではない。

「差別的」な意味が含まれており、この日記で触れるのはふさわしくないだろう。

よく似た言葉に、ある日本の保守系大物政治家が、昨年春に日本のコロナ感染者

が欧米各国に比べて少ない理由を外国要人から聞かれた時「民度が違うから」と

答えて大いに顰蹙をかった。

「お前たちの低い衛生事情の国とはとは違い、日本はしっかり衛生管理をしてい

る」と言いたかったのだろうけど、この「民度」も「お里」と同様、相手を見下

す態度がうかがえる。

その「民度」の高い国が今、未曽有のコロナ・パンデミックで恐怖の日々を送っ

ている。

ご本人は「そんなこと言ったっけ」と、ケロッとしているだるだろうけど。

 

さて、連日、熱戦を繰り広げているオリンピックで、外国選手たちの競技以外の

動向も、メディアを通じてにぎやかに報じられていて、それぞれのお国柄を反映

していて、興味深い。

でもなかには、とても残念な話もあり、思わず声を荒げたくなるものもある。

その最たるものにメダル授与の時の与えられるビクトリーブーケのヒマワリが福

島産ということで、否定的に見る国がごく一部にあることだ。

今回のオリンピックは、東北の復興を記念して催されたこともあって、ビクリー

ブーケは被災地の花で揃え、復興への祈りが込められている。

ヒマワリへのネガティブな反応は勿論原発事故の放射能に絡んだことだが、事故

から10年以上も経っているのに、まだこだわっている国があるということだ。

原発事故を理由にいわれなき嫌がらせしている、としか勘ぐれないひどい仕打ち。

何より、大震災と原発事故の惨害から立ち直ろうと必死に努力している被災地の人

たちの心を深く傷つける仕打ち、許せないね。

その国の選手(関係者も)は選手村の食事に、東北の食材が含まれていることにも

クレームをつけたとか。

そんな国の人には、使いたくないが「あなたたちのお里が知れる」と、つい言いた

くなる。

 

    🌸 挿し木から育ったデュランタ、猛暑にめげず咲いてくれた🌸

  

 


素敵な言葉の贈り物

2021-08-03 12:04:27 | 日記

ブログ日記の末尾に、時々作家の素敵な言葉を添えるようにしている。

小説やエッセーの中で感銘した言葉に出会うと、メモして保存している。

先日、神戸新聞の文化欄に、直木賞作家の澤田瞳子さんのエッセーが掲載されてた。

澤田さんは全国の新聞社が主催する「高校生のための文化講演会」で、オンライン形

式の講演をしたことに触れた内容だ。

その時の質問時間に、一人の高校生が「僕は小説を書いていて将来は直木賞を目指し

ます」と発言した。

澤田さんは、次のような返事をしたという。

「嬉しいな。じゃあライバルだ。おたがい頑張りましょう。いつかご一緒できますよ

うに」

澤田さんは「彼とのしのぎを削る前に、今回、私は直木賞をいただくことになったが、

以来、頻繁にあの時のやり取りを思い出す。今回も落選して、将来的にあの彼と一緒

に候補入りできるなら、さぞ楽しかっただろうなとも妄想する」と彼とのやり取りし

た時の気持ちを、同じエッセーで吐露している。

何という素敵な言葉を高校生に贈ったのだろうと、感動した。

ありきたりの言葉で高校生を励ますのではなく、「嬉しいな。じゃあライバルだ」と、

「何を考えるより先に、こんな言葉が出た」(同エッセーから)というところがすごい。

高校生は、一生大事な宝物として心の中にしまい、直木賞作家を目指して精進するで

しょう。

 

「文学とは本来、平等であるべきだ。物語を紡ぐこと、読むこと、そして楽しむこと。

それは誰にも奪われるべきではなく、すべての人が平等に手にできてしかるべき権利

だ。当然、高校生も40代の女性作家も同じ賞の候補になったとて、何の不思議もない。

性差も年齢差も国籍の違いも、そこにはありはしないのだから」

                     (「直木賞に決まって」 澤田瞳子)

澤田さんの文学に対する真骨頂が、この一文に凝縮されてるように思う。

 

その澤田さんの小説から…

   📚心に響いた名文📚

どんな教養も、飢えや貧困の前には一粒の麦ほどの価値もない。薄汚れた画幅

を名品と判じられたところで、病み衰えた男一人、救えはしないのだ。

        澤田瞳子「泣くな道真―大宰府の詩(うた)―」(集英社文庫)

 

   ☂ 何日ぶりの雨だろうか、水滴が瑞々しい(3日朝) ☂