先週のこと。
お花見客で賑わう四条大橋周辺。
小雨が降り始めて、仕事の打ち合わせ場所へ急ぐ途中。
「出雲阿国」の像
が、目に入った。
1603年、出雲大社の巫女と称する阿国は、京都で念仏踊りを踊ったといわれる。
以来、このあたり、四条河原で歌舞伎踊りが盛んになった。
元和年間に四条通の南側に三座、北側にニ座、大和大路にニ座、計七つの櫓が公許された。
説教師、女浄瑠璃、操り人形などの芝居や見世物も賑い、
人が集まった・・・。
そして、今も人が集まる地だ。
着るものも、食べ物も、住居も、
社会のしくみも、経済状況も・・・
今とは大きく異なった当時、
人々は何を望み、何を幸せとし、
何に悩み、どんな気持ちで毎日を過ごしていたのだろうか。
思わず、想像してみたくなる。
ちなみに、出雲阿国(1572年生誕)と、シェイクスピア(1564年生誕)は、ほぼ同時代の人だ。
お花見客で賑わう四条大橋周辺。
小雨が降り始めて、仕事の打ち合わせ場所へ急ぐ途中。
「出雲阿国」の像
が、目に入った。
1603年、出雲大社の巫女と称する阿国は、京都で念仏踊りを踊ったといわれる。
以来、このあたり、四条河原で歌舞伎踊りが盛んになった。
元和年間に四条通の南側に三座、北側にニ座、大和大路にニ座、計七つの櫓が公許された。
説教師、女浄瑠璃、操り人形などの芝居や見世物も賑い、
人が集まった・・・。
そして、今も人が集まる地だ。
着るものも、食べ物も、住居も、
社会のしくみも、経済状況も・・・
今とは大きく異なった当時、
人々は何を望み、何を幸せとし、
何に悩み、どんな気持ちで毎日を過ごしていたのだろうか。
思わず、想像してみたくなる。
ちなみに、出雲阿国(1572年生誕)と、シェイクスピア(1564年生誕)は、ほぼ同時代の人だ。