なんかあまりにあっけなくて実感わかないんですけど、亡くなりました。
闘病記録も思い出の一つだと思うので、いつか自分で読み返す時のために日記に書く。
病院嫌い薬嫌いのポテが半年以上の間通院して、毎日お薬を飲んで頑張ってた。
えらいねー、頑張ったね!ありがとう。花丸!
以下記録、というか日記。
いつも以上に回らない頭で書いてるので文章おかしいかもしれない。
***
11月末からの下痢は治ったもののご飯をほとんど食べず、食べないせいか便もなかなか出ない。
12/07
体重 3.9kg
薬: ラプロス(1日2回)
プレドニン5mg(1日1回)
体重が前回の4.3キロから一気に減って3.9キロに。
この頃から後ろ足にも力が入らなくなってきたのか、床の上だと足が後ろに滑って体勢を崩すようになった。
「(食欲がないことは)腎臓も悪化してるので打開策はない、それこそ無理に口に入れるしか」と言われここから強制給餌開始。
まあ嫌がってました。シリンジを口に入れようとすると首を大きく横に振って嫌がり、ペーストを口にいれたら
くっちゃくっちゃくっちゃ…でろん (口の横から落とす)
意地でも食べたくないという意思を感じた。でも
「わあー、ポテは餌を口から出すのが上手だねえー舌が器用だねえ才能だねぇー!でもご飯食べるのも上手だもんね!」
って言いながら食べさせてました。缶詰もちゅーるやおやつも食べてくれないし、肝リピドーシスが発症しててもおかしくないのではと不安でなんとか少しでも食べてもらおうと必死だった。
どのみち強制給餌するんだったらとりあえずカロリーを取らせようって1日にドライフード20g~30gくらい食べさせようとしてたけど、口に入れてもペッ!て出しちゃう分も多かったので20g食べさせられたかどうかくらい?
前に3日間便をしなくて病院に連れて行った時は「ご飯をあまり食べてないからだと思いますよ」って言われたので、給餌を始めた頃は便が出なくても「まあ今まで全然食べてなかったしな」でスルーしていたのが、数日給餌を続けた後も便が少ししか出ないままだったので『おかしいな…?』と思いはじめた。ドライフード20gって便になるとどのくらいの量になるのかがわからないのでこんなもんなのか?とも思ったり。
13日の給餌では食べさせてる途中で吐きそうな(エクッエクッていうあれ)動作をしたので給餌中止。
14日の夜に仕事から帰ると部屋に吐いた跡があって、その後は夜中にトイレに入ってふんばるものの何も出なくてトイレから出るのを繰り返して、寝床にしていたソファにも座布団にも乗らず床の上で横になるように。その前までソファに上ろうとして力が入らないのか失敗してずり落ちたりもしていたので、抱っこしてソファの上に乗せて寝かせた。
早朝にも数回吐いた。
病院が開く時間を待って病院へ。
触診で「硬い便はあるけどいっぱい溜まってる感じはしない、腎臓が悪化してるから吐き気もそっちから来てると思う」と言われ、ふんばって何も出なくてトイレから出ていくのを繰り返していたことを伝えたら浣腸しておきますかと言われたのでお願いした。注射を1本(輸液?)と浣腸をし、キャリーバッグに入れられ診察室を出たところですぐ浣腸された液を出すポテさん。お尻に液体入れられたら我慢できないよね。
帰宅途中の車の中でも嘔吐したし、家に着いてキャリーバッグを開けても横になったままなかなか出てこない。
間をおいて出てきたと思ったら座布団の上で排便(茶色い液体だけ出た)。
その後トイレに行って前足だけをトイレの中に入れた状態(後ろ足はトイレの外)でまた液体だけ出して、その後トイレの中に入って座りこんでた。
抱っこしてソファの上に寝かせたらしばらくして起きだして、一人で階段を下りて居間の座布団の上(居間でのポテさんの定位置)へ。
そうしてるうちに出勤しなければいけない時間になったので、薬を飲ませて撫でたあと出勤。
そして仕事が終わって帰宅している途中で父親から電話がきた。
父親は耳が遠いので電話は相手の声が全然聞こえない、って嫌っているので父から電話が来ること自体ほとんどなく。
そんな父から電話が来たっていうことはポテに何かあったとしか考えられなくて「ポテどうしたの、どういう状態?」って聞いても
「うるさい、大変なことになってるから寄り道しないで早く帰ってこい!」
としか言わない。もしかして死んでるのでは?という考えが頭をよぎりつつ、でも早く帰ってこいって急かしているってことは今帰ったら死に際に間に合うのでは!?って急いで帰った(電話が来た時点で自宅付近だった)
でももう死後硬直で硬くなってた。
まあ腎臓病って診断された時点でもう長くないのはわかってたし、体調を崩す度に覚悟を決めなければと思ったし、足腰が一気に弱ったのを見て寿命がそろそろなのかもしれないと予想もしてたし、今日の病院のあとも「ポテはこんなに頑張って長生きしてくれた」って割と悟った気でいたし、実際に目の前でもう動かないところをみても「ああ、そっか。ポテがこれ以上苦しまなくてよくなったんだな」って冷静だったはずなんですけど、撫でたらもうダメですね。
頑張った頑張った、えらかったねー。って声かけて撫でたらそこから号泣。無理。
ふわふわすべすべの毛の撫で心地は変わらないのに硬いし、でもストーブの前に置かれてたから温かくて生きてるみたいだし。
やわらかくてかわいくて、優しくて人を傷つけたりしないほんとに良い子でした。
他の誰にも抱っこさせないのに私にだけ抱っこを許してくれてて、私に一番懐いてくれた子でした。
給餌を始めてから添い寝とかナデナデを要求しには来なくなってたけど、自分から近づいてこなくなったけど、それでも同じ部屋で寝てくれてた。
18年間私なんかの相手をしてくれてありがとう。
仕事から帰ってくるまでドアの前で待っててくれてありがとう。
ポテが私を好きでいてくれるということでどれだけ救われたことか。
ポテが待っててくれるってだけで家に帰るのがどれほど楽しみだったか。
ポテを看取るまでは自分も死ねない、と思っていたので、ある意味人生の目標が達成されたということでもあります。
最期に一緒にいられなかったのだけは本当に悔しいけれども。
父がいうには「19時頃に廊下の真ん中で横になっていたので、そんなとこにいたら寒いだろうとポテをストーブの前のまで連れてきて座布団に寝かせてやった。その後はしばらくは目をパチパチして起きてたから声をかけて撫でようとしたらシャー!って怒られたから、ポテの体に布をかけてあげた。そのあとしばらくして気づいたら死んでた」だそうで。
廊下でも鳴いてたらしいので私を呼んでたのかなあと思わなくもなかったり。
11月30日くらいからポテが大きな声で話しかけてくるようになって、なんか訴えてる?今までの「撫でて~(お願い)」が「撫でろ!(命令)」になってるとかなのかなあ、とか不思議に思ってたんだけど、一生懸命何か伝えようとしてたのかもしれない。
強制給餌を始めてからは甘えてこなくなったので、その大きな声も聞けなくなったんですがこんなに早く虹の橋を渡ってしまうならしない方がよかったと思ってしまう…けれど、結局こういう結果になった今だから言えることですしね…
そういえば私今日仕事が休みなんです。
セレ(フッサーラ様)さんといいポテさんといい、虹の橋を渡る日をうちの休みの日にかぶせてくるの気を使いすぎじゃない?
次の出勤までにメンタルを整える猶予与えてくれてるとしか思えない(接客業)
買いだめしてたポテさん用の猫砂も、手付かずのままの腎臓病用のフードもいっぱい残ってるよー。
なんかもうポテに飲ませるはずだった薬を見るだけで泣いてしまう
出勤前と出勤後の毎日の日課だったので。
無印のソファを寝床にしてたポテと枕にしてた自分。
右手を上げればすぐポテを撫でられる幸せのソファでした。
振り向いて目が合うだけでゴロゴロいってくれてたの…
もういないのについ何回も振り向いちゃう。
見えないだけで実は寝てたりする?
立ち耳のスコティッシュフォールド。
人見知り猫見知り犬見知り。
しつこくちょっかいをかけてくる犬には教育パンチがとぶけど
人を攻撃することのない、とても優しく我慢強い子でした。
2002年11月6日生
2020年12月15日 永眠。
( ,_,)
( ;ω;)! ...!! (喋れ(語彙貧
お二方とも、ひとまずごゆっくりでございます…
世界一かわいいねこ(おやばか)旅立ちました。
いつか私がそっちに行く日までのんびり待っててもらおう('ω')