ネアンデルタール人の遺伝子がコロナ重症化の原因 リスク3倍、東アジアとアフリカはほとんどなし〈AERA〉
11/15(日) 7:02配信
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AERA dot.
4万年前に滅びたネアンデルタール人の遺伝子が、新型コロナ重症化の要因になるという仮説が有力になった/ドイツ・ニーダーザクセン州の洞窟に置かれた人形(gettyimages)
現在の人類と一時は共存し、4万年前に絶滅したネアンデルタール人。私たちの体内にある彼らの遺伝子が、新型コロナの重症化と深く関わっていた。AERA 2020年11月16日号で掲載された記事を紹介。
【新型コロナ重症化遺伝子を引き継ぐ人の割合の多い国はこちら】
* * *
日本を含む東アジアでなぜ、新型コロナウイルスの死者数が少ないのか。この「ファクターX」をめぐる謎に有力な仮説が浮かんだ。私たちの祖先が約6万年前、当時共生していたネアンデルタール人との交雑で受け取った遺伝子が、重症化のリスク要因だというのだ。
9月末にこの論文を英科学誌ネイチャーに発表したのは、独マックス・プランク進化人類学研究所のスバンテ・ペーボ進化遺伝学部門長らの研究グループだ。沖縄科学技術大学院大学教授も兼任するペーボ氏は、アエラの取材にこうコメントした。
「約4万年前に消滅した人類の絶滅形態が、今日の新たな感染症の流行の中で私たちに影響を与えていることは大変興味深いことです」
ネアンデルタール人は約4万年前に絶滅した、現在のヒト(ホモ・サピエンス)に最も近い旧人で、共通の祖先から約55万年前に枝分かれした。ペーボ教授は2010年の論文で、アフリカ人を除く現代のヒトの遺伝情報の1~4%がネアンデルタール人に由来すると報告。約4万~6万年前にホモ・サピエンスとネアンデルタール人が交雑し、その遺伝情報の一部が現在にまで受け継がれていることを明らかにした。
■遺伝子継ぐ割合と符合
ヒトには23対、計46本の染色体があり、ここに全てのDNAが収まっている。これまでの研究で、新型コロナの患者約3千人を調べたデータから、重症化の遺伝的要因として23対のうち3番目の染色体が関与している可能性が指摘されていた。
ペーボ教授らが今回この遺伝子領域を調べたところ、南欧で見つかった約5万年前のネアンデルタール人と類似していることが判明。さらなる解析で、この遺伝情報は約6万年前にネアンデルタール人との交配によって現代人の祖先に渡ったことも明らかになった。
このネアンデルタール人に由来する新型コロナの重症化に関係する遺伝子は、現代世界のどの地域に多く見られるのか。
研究グループが世界各地の遺伝情報と比較した結果、少なくとも両親のどちらかからこの遺伝子を受け継いだ人は欧州で16%、インドなど南アジアで50%。最も割合が高かったのはバングラデシュの63%だった。一方、東アジアとアフリカにはほとんどいなかった。
この分布は、新型コロナの死者数が東アジアで少ない半面、欧米やインドなどでケタ違いに多い実態と符合する。英国では、バングラデシュにルーツを持つ人の新型コロナの死亡リスクが英国白人より2倍高いとの報告もある。
研究グループによると、ネアンデルタール人の遺伝情報を持つ人は、新型コロナに感染した際に重症化するリスクが最大3倍になるという。
この研究報告を評価するのは、薬理学が専門の飯村忠浩・北海道大学教授(55)だ。
「異なる環境で暮らし、異なる免疫系を持っていた人たちの遺伝情報が作用し、特定の病気にかかりやすかったり、かかりにくかったりすることは人類の進化上、十分あり得ると思います」
ネアンデルタール人から受け継いだ遺伝子をめぐっては、C型肝炎ウイルスに対する免疫力を高めている、との研究報告もある。つまり良い面、悪い面の両方があるのだ。
■年齢に次ぐリスク要因
飯村教授も加わる日米の研究グループは8月、新型コロナへの感染のしやすさは、遺伝子レベルでは地域や民族間の差がないとの分析結果を発表した。一見、ペーボ教授らの研究結果と矛盾するように映るが、飯村教授はターゲットにした遺伝子がそもそも異なる、と説明する。
「私たちが調べたのは、ウイルスが細胞内に入るまでのくっつきやすさや、入りやすさといった『入り口』に関与する七つの遺伝子で、この範囲では差異がなかった、というものです」
新型コロナウイルスは表面にあるとげ状のたんぱく質が、ヒトの細胞表面にある受容体たんぱく質に結合して細胞内に侵入する。その後、体内にある免疫細胞がウイルスに反応するが、研究グループの李智媛(イジウォン)助教らが調べたのは、こうした免疫応答の手前までだ。これに対し、ネアンデルタール人の遺伝情報の関与が指摘されているのは免疫反応の段階というわけだ。
8月の研究報告では、重症化する比率の違いに「生活習慣の違いや医療格差といった環境因子が深く関与しているのではないか」との見方も示した。背景には、米国でアフリカ系の人たちに最も深刻な新型コロナのダメージがあるとのデータが、一部で人種差別問題と重ねて捉えられていたことがあった。
「早期に病院で最新治療を施してもらえるか、診察さえ受けられないか、という医療格差によって重症化リスクが大きく分かれるのは当然です。米国に住むアフリカ系の人たちの多くが重症化するのは、遺伝的要因より環境因子に由来すると考えるのが妥当でしょう」(飯村教授)
たしかにペーボ教授らの研究結果でも、アフリカでネアンデルタール人の遺伝情報はほとんど確認されていない。
ペーボ教授はアエラの取材に「(重症化における)一番の危険因子は年齢ですが、その次にくるのがおそらくこれ(ネアンデルタール人から受け継いだ遺伝子)だと考えられます。もし両親のどちらかから受け継いだ場合、感染によって重症化するリスクは年齢が10歳上であるのと同等に。両親の両方から受け継いだ場合には20歳上であるのと同等にまでなると考えられます」とコメントした。
■高まる新薬開発の期待
研究者が遺伝子レベルで病気の原因を探るのは、特定の遺伝子やその遺伝子が作るたんぱく質の情報が関与しているのを突き止めることで、そのたんぱく質に結合する分子や抗体から治療薬を開発するゲノム創薬につながるからだ。
ファクターXの候補としてはBCGワクチン接種の影響なども挙がっている。決め手はいつ見つかるのか。
「ネアンデルタール人の遺伝情報もBCGも、重症化や死亡率との相関関係から類推している段階です。治療薬の開発につなげるには、そこから掘り下げて体内でどう作用しているのか生体科学的に解明していく必要があります」(飯村教授)
ネアンデルタール人由来の遺伝子領域が、なぜ重症化リスクと関連しているかについてもわかっていないのが実情だ。また遺伝子から作られるたんぱく質の量は「生活環境や食べ物によって変わる」(同)といい、後天的要素も無視できない。
だが悲観する必要はない。ネアンデルタール人やBCGと新型コロナの関係のように、当該の病気とは何の接点もないように思われる要因との掛け合わせが治療薬開発のヒントになった例は実際にある。
飯村教授は17年、李助教らとともに、HIV治療薬の標的分子である「CCR5」という遺伝子が骨の代謝も調節していることを解明。これにより、HIV治療薬が、骨粗鬆症(こつそしょうしょう)を始めとする骨吸収性疾患に対してもメリットをもたらす可能性を明らかにした。
「HIVに感染した人は骨粗鬆症になりやすい、と1990年代から言われていたのですが、HIVと骨粗鬆症の研究は全く別の方向で進められていました。そんな中、私たちが相関関係に着目して研究を進めたことで、ポンとつながったんです」
新型コロナをめぐる「ファクターX」は一つではないかもしれない。だが、世界の研究者が多面的な切り口で相関関係を指摘するのは、治療薬の開発に欠かせない道程なのだ。
11/15(日) 7:02配信
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AERA dot.
4万年前に滅びたネアンデルタール人の遺伝子が、新型コロナ重症化の要因になるという仮説が有力になった/ドイツ・ニーダーザクセン州の洞窟に置かれた人形(gettyimages)
現在の人類と一時は共存し、4万年前に絶滅したネアンデルタール人。私たちの体内にある彼らの遺伝子が、新型コロナの重症化と深く関わっていた。AERA 2020年11月16日号で掲載された記事を紹介。
【新型コロナ重症化遺伝子を引き継ぐ人の割合の多い国はこちら】
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日本を含む東アジアでなぜ、新型コロナウイルスの死者数が少ないのか。この「ファクターX」をめぐる謎に有力な仮説が浮かんだ。私たちの祖先が約6万年前、当時共生していたネアンデルタール人との交雑で受け取った遺伝子が、重症化のリスク要因だというのだ。
9月末にこの論文を英科学誌ネイチャーに発表したのは、独マックス・プランク進化人類学研究所のスバンテ・ペーボ進化遺伝学部門長らの研究グループだ。沖縄科学技術大学院大学教授も兼任するペーボ氏は、アエラの取材にこうコメントした。
「約4万年前に消滅した人類の絶滅形態が、今日の新たな感染症の流行の中で私たちに影響を与えていることは大変興味深いことです」
ネアンデルタール人は約4万年前に絶滅した、現在のヒト(ホモ・サピエンス)に最も近い旧人で、共通の祖先から約55万年前に枝分かれした。ペーボ教授は2010年の論文で、アフリカ人を除く現代のヒトの遺伝情報の1~4%がネアンデルタール人に由来すると報告。約4万~6万年前にホモ・サピエンスとネアンデルタール人が交雑し、その遺伝情報の一部が現在にまで受け継がれていることを明らかにした。
■遺伝子継ぐ割合と符合
ヒトには23対、計46本の染色体があり、ここに全てのDNAが収まっている。これまでの研究で、新型コロナの患者約3千人を調べたデータから、重症化の遺伝的要因として23対のうち3番目の染色体が関与している可能性が指摘されていた。
ペーボ教授らが今回この遺伝子領域を調べたところ、南欧で見つかった約5万年前のネアンデルタール人と類似していることが判明。さらなる解析で、この遺伝情報は約6万年前にネアンデルタール人との交配によって現代人の祖先に渡ったことも明らかになった。
このネアンデルタール人に由来する新型コロナの重症化に関係する遺伝子は、現代世界のどの地域に多く見られるのか。
研究グループが世界各地の遺伝情報と比較した結果、少なくとも両親のどちらかからこの遺伝子を受け継いだ人は欧州で16%、インドなど南アジアで50%。最も割合が高かったのはバングラデシュの63%だった。一方、東アジアとアフリカにはほとんどいなかった。
この分布は、新型コロナの死者数が東アジアで少ない半面、欧米やインドなどでケタ違いに多い実態と符合する。英国では、バングラデシュにルーツを持つ人の新型コロナの死亡リスクが英国白人より2倍高いとの報告もある。
研究グループによると、ネアンデルタール人の遺伝情報を持つ人は、新型コロナに感染した際に重症化するリスクが最大3倍になるという。
この研究報告を評価するのは、薬理学が専門の飯村忠浩・北海道大学教授(55)だ。
「異なる環境で暮らし、異なる免疫系を持っていた人たちの遺伝情報が作用し、特定の病気にかかりやすかったり、かかりにくかったりすることは人類の進化上、十分あり得ると思います」
ネアンデルタール人から受け継いだ遺伝子をめぐっては、C型肝炎ウイルスに対する免疫力を高めている、との研究報告もある。つまり良い面、悪い面の両方があるのだ。
■年齢に次ぐリスク要因
飯村教授も加わる日米の研究グループは8月、新型コロナへの感染のしやすさは、遺伝子レベルでは地域や民族間の差がないとの分析結果を発表した。一見、ペーボ教授らの研究結果と矛盾するように映るが、飯村教授はターゲットにした遺伝子がそもそも異なる、と説明する。
「私たちが調べたのは、ウイルスが細胞内に入るまでのくっつきやすさや、入りやすさといった『入り口』に関与する七つの遺伝子で、この範囲では差異がなかった、というものです」
新型コロナウイルスは表面にあるとげ状のたんぱく質が、ヒトの細胞表面にある受容体たんぱく質に結合して細胞内に侵入する。その後、体内にある免疫細胞がウイルスに反応するが、研究グループの李智媛(イジウォン)助教らが調べたのは、こうした免疫応答の手前までだ。これに対し、ネアンデルタール人の遺伝情報の関与が指摘されているのは免疫反応の段階というわけだ。
8月の研究報告では、重症化する比率の違いに「生活習慣の違いや医療格差といった環境因子が深く関与しているのではないか」との見方も示した。背景には、米国でアフリカ系の人たちに最も深刻な新型コロナのダメージがあるとのデータが、一部で人種差別問題と重ねて捉えられていたことがあった。
「早期に病院で最新治療を施してもらえるか、診察さえ受けられないか、という医療格差によって重症化リスクが大きく分かれるのは当然です。米国に住むアフリカ系の人たちの多くが重症化するのは、遺伝的要因より環境因子に由来すると考えるのが妥当でしょう」(飯村教授)
たしかにペーボ教授らの研究結果でも、アフリカでネアンデルタール人の遺伝情報はほとんど確認されていない。
ペーボ教授はアエラの取材に「(重症化における)一番の危険因子は年齢ですが、その次にくるのがおそらくこれ(ネアンデルタール人から受け継いだ遺伝子)だと考えられます。もし両親のどちらかから受け継いだ場合、感染によって重症化するリスクは年齢が10歳上であるのと同等に。両親の両方から受け継いだ場合には20歳上であるのと同等にまでなると考えられます」とコメントした。
■高まる新薬開発の期待
研究者が遺伝子レベルで病気の原因を探るのは、特定の遺伝子やその遺伝子が作るたんぱく質の情報が関与しているのを突き止めることで、そのたんぱく質に結合する分子や抗体から治療薬を開発するゲノム創薬につながるからだ。
ファクターXの候補としてはBCGワクチン接種の影響なども挙がっている。決め手はいつ見つかるのか。
「ネアンデルタール人の遺伝情報もBCGも、重症化や死亡率との相関関係から類推している段階です。治療薬の開発につなげるには、そこから掘り下げて体内でどう作用しているのか生体科学的に解明していく必要があります」(飯村教授)
ネアンデルタール人由来の遺伝子領域が、なぜ重症化リスクと関連しているかについてもわかっていないのが実情だ。また遺伝子から作られるたんぱく質の量は「生活環境や食べ物によって変わる」(同)といい、後天的要素も無視できない。
だが悲観する必要はない。ネアンデルタール人やBCGと新型コロナの関係のように、当該の病気とは何の接点もないように思われる要因との掛け合わせが治療薬開発のヒントになった例は実際にある。
飯村教授は17年、李助教らとともに、HIV治療薬の標的分子である「CCR5」という遺伝子が骨の代謝も調節していることを解明。これにより、HIV治療薬が、骨粗鬆症(こつそしょうしょう)を始めとする骨吸収性疾患に対してもメリットをもたらす可能性を明らかにした。
「HIVに感染した人は骨粗鬆症になりやすい、と1990年代から言われていたのですが、HIVと骨粗鬆症の研究は全く別の方向で進められていました。そんな中、私たちが相関関係に着目して研究を進めたことで、ポンとつながったんです」
新型コロナをめぐる「ファクターX」は一つではないかもしれない。だが、世界の研究者が多面的な切り口で相関関係を指摘するのは、治療薬の開発に欠かせない道程なのだ。