ムラ社会の因習か、貧しさゆえの必要悪か……長男長女以外は「奴隷化」する長野の奇習「おじろく」の驚くべき正体
10/31(土) 9:51配信
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サンデー毎日×週刊エコノミストOnline
「おじろく」の風習があった天竜川沿いの集落(筆者撮影)
家を継ぐ長男・長女だけが人間として扱われ、次男・次女以降は奴隷として非人間的な暮らしを強制される――。
そんな「奇習」がかつて存在したという。
日本の封建的ムラ社会における土着文化のダークサイドともいうべき「おじろく(おじさ)」とは一体どのようなものなのか。
消え去りゆく日本の習俗に魅せられ、現地を何度も取材した七尾和晃氏のルポをおとどけする。
◇天竜川沿いの集落住民はみな頑なに口を閉ざした……
「そんなことを突然、訊かれても、答えられん」
集落一帯を代々見守ってきた寺の住職は、「おじさ」のことを訊ねると、顔をこわばらせ、狼狽を隠さなかった。
言いにくいこと、タブーとなっていることを聞かれて動揺している、という雰囲気が明らかな住職の態度に、筆者は余計に疑いを深めたのだった。
この集落は、長野県南部から静岡県へと下り、太平洋へと注ぐ天竜川沿いにある。
冒頭の台詞は、この集落にかつて存在したと言われる、「おじさ」「おばさ」と呼ばれた者について、彼らがどのように生き、そして弔われてきたのかを訊ねたときのものだ。
実際に集落を訊ね歩いても、「おじさ(おじろく)」「おばさ」については「知っているが言いたくない」「どの家かは教えられない」と、一様にそんな返答ばかりである。
「おじさ(おじろく)」「おばさ」が一種のタブーとなっていることがうかがわれる。
集落では、跡取りとなる長男、長女だけが人間として扱われる風習がかつてあった。
長男長女ではない、次男次女以下の子供は、一種の奴隷として、人間以下の扱いを受けていたのである。
そうした子供のうち、男児は「おじさ(おじろく)」または「おじろく」、女児は「おばさ」と呼ばれている。
戦前、この地方には、「おじさ(おじろく)」「おばさ」が溢れていた。
決して多くはない集落の戸数のなかで、「この家だけ、あの家だけ、ということはなく、どの家にもたいてい、二、三人のおじさ(おじろく)、おばさがいたものだった」(天竜村古老)という。
それゆえ「おじさ(おじろく)」「おばさ」について語ることは、自分自身の家系について語ることにもなりうるため、沈黙を守らざるをえないのだろう。
◇生まれた瞬間に運命が決まってしまった
そもそも、「おじさ(おじろく)」「おばさ」とはどういう意味なのだろうか。
「でもそれは、いわゆる『おじさん』『おばさん』といった意味ではなくて、おじさは『おじろく』などとも呼ばれたけど、語源は地元の者でもよくわかっていない。生まれたときから次男、三男ではなく、男だったらまとめておじさ、女だったら、みんな、おばさ、だった」(飯田市の地元古老)。
かの地において、「おじさ」「おばさ」の運命は、産まれ落ちたときに定まってしまう。
「おじさ」「おばさ」がどのような人生を送ったか、飯田市で産まれ育ち、長く、天竜川沿いで林業を営んできた前出の古老が解説してくれた。
「昔から、長男が家督を継ぐという話は当然あったんだが、そこでは次男坊、三男坊が家を継げないだけではなくて、長男のために生涯を捧げるというか、長男のために尽くして生涯を終えていくっていうことで、まるで奴隷みたいだって言うひともいた」
おじさ、おばさの生涯を振り返れば、納得がいく。あくまでも典型的な例と念を押したうえで、古老が、一人のおじさの生涯をなぞらえてみせた。
◇「おじろく」の悲惨な生涯
大正時代、天竜川沿いの山村の農家にある男の子が生まれた。
次男坊だった。
村役場に届けられた戸籍には、現在とは異なり、二男や次男とは記載されず、ただ「おじ」や、ときには「厄介」とだけ記されたという。
おじさにも、もちろん名前は付けられる。
昭和に入り、尋常小学校を終えると、そのまま産まれた家にとどまり、昼間は農作業や雑用、夜は囲炉裏を囲むなどして過ごしていた。
子沢山の時代である。
だが、おじさやおばさは、産まれたときから、長男との関係において、決して兄弟姉妹としては扱われなかった。
「産まれたときから、家のもんであって、家のもんでないっていう、そういう風に扱われていると、人間はそういうもんだって考えるようになるから、別に、反抗するとか、抵抗するとか、そんなことはないんだ。可哀想といえば、今だからそう思うけど、それが当たり前のときには、そういうもんだから。家のもんも、おじさのほうも、納得しているわけよ」
おじさとおばさは長男一家と同居はしているが、食事をするのは、家長である長男や長男家族とは離れた場所である。
はたから見れば、使用人や家政婦のような扱いに見えるかもしれない。
おじさが、いわゆる「公」の場所に現れることはまずない。
村の祭りなど、公式行事やハレの場に姿を見せることは、暗黙のうちに禁忌とされ、おじさ達もまた、それに抗うことなく了承していた。
集落の誰もが、「そこにいる」ことは知りながら、口に出すことはない存在といったほうが正確かもしれない。
産まれ落ちた家で、長男家のためにただひたすらに農作業や雑務をこなす一方で、もとより現金収入の乏しい山村ゆえに、おじさ達に、労働対価としての現金が支払われることはほとんどなかったという。
ただ、おじさは、長男家に尽くしている限りにおいて衣食住が保証されていた。
おばさも同様である。
(七尾和晃 ライター、ジャーナリスト)
bte***** | 40分前
旗本でさえ次男三男それ以下は部屋住みで嫁無し、禄無し
返信0
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fbs***** | 26分前
このような閉鎖社会における悪しき因習は至る所にあった。中でもひどいのが「夜這い」である。今でも場所によっては出かける時や夜にも鍵をかけないとして治安の良さを自慢する地方があるが、実際は以前に「夜這い」が行われていた証拠である。昭和の初め頃に途絶えたところが多いのだが、戦争中に疎開してきた人を狙っての「夜這い」は凄まじいものがあった。それまで見たことが無い都会の垢ぬけた女性を老人から中学生に至るまで狙った。「夜這い」に応じた家は良い家として配給を貰え、応じなかったら悪い家として貰えなかった。戦後、一斉に引き上げたのも夜這いが一つの要因である。
Sinsin 12345 | 1時間前
江戸時代の、お侍の次男坊そっくりじゃね。笑。
mar***** | 1時間前
中途半端な記事の上、このような風習は長野県に限らず山間地域には大なり小なりあったことでしょうね。
返信0
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soi***** | 1時間前
要約すると
「産まれた家にとどまり、昼間は農作業や雑用、夜は囲炉裏を囲む」
「産まれ落ちた家で、長男家のためにただひたすらに農作業や雑務をこなす一方で、現金が支払われることはほとんどなかった」
とうことが「かつてあった」ということだけ。
いくなんでも記事としてひどいんじゃないのか。「奇習」なんかじゃない。
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gre***** |28分前
家庭内奴隷の話だから奇習以外の何ものでもないよね。これを当たり前みたいに言える感覚が凄い。
だから田舎から人が離れるんだよ。
逃れるなら逃げ出したいし関わりになりたくないでしょう。
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ジョマ |1分前
同じ事の繰り返しばかりで、よくこれでライターとしてやっていけますね。
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mon***** | 46分前
先祖代々の限られた農地で家族を養うしか方法がなければ農家の次男三男はこういう運命だったでしょう。明治以前は日本中どこにでもあった話です。明治後半以降は軍人や警察官になるとか都会で働くといった道も増えたのでこうしたことは徐々になくなりました。
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och***** |19分前
貧しい中で過酷な労働環境故に妥協した結論かもね。
妥協しなければ、赤子のうちに殺す、子供を売る、物見その他に丁稚に出す、遊女として売る等。
ただそれが現代まで続く差別の温床にあっているとかだったらひどい話だ。
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mon***** |26分前
まあ「投げ込み寺の記録を調べたら遊女の平均寿命は20代」という話には、「そもそも身請けなどで出ていって長生きした人はそこに埋まっていないのでは?」という疑問が残るんですけどね。
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gek***** |36分前
江戸時代後期に書かれた「世事見聞録」(文化13年)1817年に、「越中、越後、出羽辺りの娘が3~5両で多く売られている」とある
吉原では、女衒を通じて買い取った10歳前後の女の子を遊女としての訓練した。
江戸吉原の妓楼で働く遊女の平均寿命は、江戸東京博物館によると22歳
短命なのは劣悪な環境と性病(梅毒が多かった)が原因と思われる
そして死んだら裸にされ着物は回収され荒菰にくるまれて
投げ込み寺に投げ込まれる
江戸時代は、幕府は年貢上納のための娘の身売りは認めて
遊女奉公が広がった。
定免法で不作でも一定の年貢率だったから
米で年貢を払えないなら娘を売っていました。
これが200年前の日本ですからね。
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zen***** | 56分前
長野じゃなくて岐阜だけど、養蚕を営んでいる家ではそんな風習があったと聞いたことがある。山奥では働き手がいないから色んな所で多少はあったのかも。
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bak***** | 59分前
年寄のコメントが全てだな。
過去の風習を現在の基準で裁くことはできない。
タイトルにはもう少し気を付けた方がいい。
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umi***** | 31分前
驚くべきというか…まあ今から考えたら驚くけど、この地方というより結構あちこちにあったんじゃないかな?こういうの。
父は田舎の長男で60代だけど、家で一番美味しいものは必ず父のものになってたし、一番風呂も、何もかも父が一番だったらしい。今の60代でもそんなだから、もっと前ならこういうことは普通にありそう。
奉公にだされるか、家で奉公するかの違いかなぁ。
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gre***** |24分前
奉公だと人買いに売られたり悲惨なことも多いけど上手く逃げられればチャンスはまだあると思う。
万に一つのチャンスすらないのが「おじろく」という家庭内奴隷なんじゃないかな。
貧しい山林の農村で財産を分散したくないのは分かるが。
家に閉じ込めて公の場には出さずに労働させて自由になる金品も与えないのは古代エジプトの奴隷より酷いと思う。
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yuk***** | 1時間前
新潟でも長男は「あに」その下の男子は「おじ」、長女は「あね」で下の女子は「おば」と呼ばれたけど、この記事のようなことは聞いたことない。貴重な働き手であったことは間違いないし、跡取りが大事にされたのは昔はあたりまえだけど
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syo***** |48分前
>跡取りが大事にされたのは昔はあたりまえ
それが「あたりまえ」だったのなら
程度の差はあっても似たようなもんと思えるんですが?
私はその新潟で「おば」や「おばさ」と呼ばれて育ち
体調を崩しても「跡取りでもない子供が医者にかかるなんて贅沢」とのことでしたよ。
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vez***** | 18分前
北関東ですが、戦前は、素封家でもそうした習慣はあったと、亡き母に聞いたことがあります。跡取りだった嫡男が廃嫡され、農作業のリーダーとして、一生、結婚も認められず、土間を上がった板の間の一角が、廃嫡された長男(「おんじやん」と呼ばれていたとのこと)の人の寝間だったとのこと。当時、子供だった母も「納得できない」気持ちを抱いたものだと言ってました。当時の日本には、そこここに、こうしたことはあったのだと思います。長野県だけではなかったと思います。ただ、同県は、「超保守的」で、それ以外の人権蹂躙案件はあったとは、巷間、人口に膾炙されるネタではありますけどね。
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mas***** | 13分前
合掌造りで有名な白川郷も、家を継ぐ長子以外は結婚できない家族制度だったと民俗学では有名ですよね。次男以下の兄弟は一生実家を出ずに家のために働く。そこまでして、個人の幸せを犠牲にして家族全員が支え合わないと、厳しい山間の土地では生きていけなかったんですね。あの大きな屋根は、雪で潰れないためでもあり、その下に多くの家族を抱えて家から出さないためでもあったわけです。
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ncb***** | 49分前
昔と違って人手がいらない農作業の機械化
昔は貧乏だったから次男以降は婿に行くか町で自立しかない農業
そんな風習の名残りで長野だけが特別じゃない
xrw***** | 35分前
橋田壽賀子が書いた、「おしん」の世界ではないですか?
跡取り以外は、男の子は丁稚奉公、女の子なら女中とか言われて居るが色町へ売られる。言葉は悪いが情婦です。
奴隷化と言うが、子どもを出す事で、お金が動いているのは、戦前では当たり前です。
長野だけの話ではないです。母親の実家が愛知県でしたが、跡取り以外は身請けしてくれる所に奉公と言いながら、数年は実家に帰る事は許されない厳しい搾取が行われていたと聞いています。
戦前の日本は口減らしで出すのは、普通の因習ではないですか?
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gug***** | 32分前
なんというか、飢饉とかあったら、特に女子は売り飛ばされて当たり前、男子だって奉公に出されるのが当たり前の時代に、家に置いてもらって衣食住保障なので、どっちがいいかは難しいところですね。
今の価値観で、その時代の出来事を語ることはできないです。
もしかして、この記事には続きがあって、「実はいまも続く因習で……」というのであれば話は違ってくるのかもしれませんが。どうなんでしょうかね。
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qsh***** | 14分前
70代以上は8〜10人兄弟の人が多い…どの家にも2.3人のおじさ、おばさがいた…と書いてる時点で時代背景がわかってないのかな、と思った。
しかも、割と短命…。長男だけでお家安泰ではないし、長女も優遇された時代ではなく子守しながら赤子を背負って尋常小学校にいったり…行かなかったり…。子供は親の言うことが絶対で、親戚の家に、子守や農作業のために養子に出されたり。結婚も17.8で親や親戚が決めた家に嫁ぎ、いきなり顔も知らない人が夫になり、、、女としてむごいと思うし…可哀想。夫の幼い兄弟、祖父母の下の世話や農作業、家事、洗濯機は当然無く冷たい川の水で洗濯し干す…今の8.90代以上は言い表せないほどの苦労をしている時代
90近くなる叔母が、嫁いできた時は悲しくて毎晩帰りたいと思ってたと今でも言う
20位年下の私の母は恋愛結婚だから、その20年でも時代が違うのね。
返信0
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mat***** | 23分前
時代ですよ、時代。今となっては長男は結婚相手として避けられ次男のほうが結婚相手として喜ばれます。
長男が家長として尊ばれたのは、戦後まで。そこでお家制度は釘をさされ衰退の一途。
昔ながらの田舎はそれでも長男を大事にする風習があると思いますが、ことさらそれを奇習としてとりあげるのもどうかと。
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mom***** | 1分前
田分けと者いう言葉が有ります。
長男のみが田を受け継がなければ、子から子で田がどんどん減り最終的には飢える。そんな人を指した言葉です。
今は個人の時代ですが、家が個人の最終単位だった時代は有りました。(これは地方だと少し残ってる)
令和の世ならしれず、農業が機械化される前はそんな時代です。
奇習といいますが、子孫(家)を残す為仕方ない行為だったんでしょ
う。
これを奇習というのはライターが民俗学の知識がないと言えます
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aki***** | 1時間前
これが今でも一部地方で影を落としているかと思うと、驚くしかないね
LGBTへの差別どころの騒ぎではない話だからなあ……
こういう地方では児相なんて機能しないのかな?
それとも知ってて黙認していたりするのかな?
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qua***** | 10分前
現在相続は死亡によって開始されるが、昔は家督相続が原因としてあった。長男が家督を継ぐことが多く弟、妹が同じ戸籍に入っていた。
「おじろく」と似たようなことは各地にあったとしても特に驚くことではないと思う。
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ivk***** | 5分前
擁護の声ばかりのところ悪いけれど、長野に身内が嫁いだ。数年前。びっくりするほど向こうのお義父さんが、奧さんに威張っていて言葉を失った。ものすごく古い感覚でびっくり。人権とか意識が低い地域だと思ったよ。政府は、男女共同参画とかうたっているけれど、この地域じゃ無理だと感じた。長野にはこういう歴史があると聞いて納得した。
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haek | 14分前
長男に家督を継がせ、それ以外は坊さんになるしかなかったて聞いた事がある。織田信長はその才能ある次男三男を家来として積極的に雇ったから強かったと聞いた事がある。能力主義
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csx***** | 2分前
会社で考えると長男が社長で、その下の兄弟は従業員という感じかな。奴隷という表現がおかしい気もするが。家を絶やさない為、他に職業がなく農林業で家族全員が生きていく為なら、そういう仕組みになるだろうね。
勿論、結婚や養子として出ていく兄弟もいたんだろうに。
笑不動 | 35分前
姥捨山もあったし、娘を売ったりもしていた。
何処の地域でも存在したと思います。全ては貧しさ故に、人としての心まで貧しかった時代。その背景にあるのは、徹底的に「搾取」する側と「される側」の政治が招いた結果だと思います。今でも世界的に見ると同じような貧しい国々が存在するのは悲しい事です。
いつの時代も上「政治家」が馬鹿だと下「庶民」が苦労するのだ。思います。
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BOOMERANG | 34分前
人と会ってても、スマホがなると断りもなく平気で話し出す。
すごい奇習だと思うけどね。
時代に則した風習だったのでしょう。
家が重んじられた時代、限られた食料の中で、長男だけは生かさなくていけなかった。
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aga***** | 15分前
これはかつての日本の実話だろうが、今で現実の国もそれなりに存在している。
大概が友好国で無い為、話題にならないだけである。
今の日本に生まれたことは、人類上では幸運なのかもしれない。
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qnb***** | 20分前
8代将軍吉宗だって いろんな運命が重なった結果、
将軍になったけど、
本来なら 紀州家の4男だから 部屋住みで飼殺される運命だった。
まして貧しい農家の次男三男。
どこが驚くべきことなのか この記事ではわからない。
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poem | 27分前
多かれ少なかれ日本はそういう歴史があった。
話したくない人に取材しなくていいし、タブーを掘り下げる必要なし。
問題は、今現在の話。今はどうなってるのか?である。
返信0
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まむ | 41分前
昔はどこもかしこも家族のために娘息子が奉公に出たり、売られて行ったり、もっと言えば口減らしにあったりしてそれが当時は仕方のないことだったんだからなぁ…
返信0
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え | 41分前
長男、跡取りが大事にされるのは、今でもよくある事。
なんなら、兄弟達が助け合って、お兄ちゃんをリーダーとして支えて暮らす、という形にも見える。
その代わり、長男は表に出ても恥ずかしくないように、厳しく躾けられ、育てられた代わりに、精神的におかしく、非道な大人に成長する人もいたし、それを見た次男以下、気楽で良かったと思って過ごした人も居ると思う。(家の財産を食いつぶす働かない長男とか、よく聞きました。そういう家は下の子がしっかりしていた。)
その時代の習慣だし、だから何?と思います。
もちろん、八つ当たりやストレスの捌け口になり、虐待された次男以下の人もいたかもしれないけど、その人達はそれなりに賢く、強くなって生きていったと思います。
生い立ちだけ聞くと、可哀想に思うかもしれないけど、実際のところは本人達に聞かないと分からないし、そういう人達の子孫の方が、今は多いと思う。
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spc***** | たった今
武士の家でも、次男三男に他家への婿養子の口がなければ家を出ることなく生涯を終えるという史実があります。
山間部の農家なら特に珍しいことではないかと。
返信0
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iku***** | 38分前
タイトルの付け方に問題がある。
天竜・飯田地区に限らずこういうことは生産力が限られた山間部ではあったから全然驚くことじゃないし、奇習じゃない。高齢者の遺棄も同様の理由であったはず。
サンデー毎日は売れないからってこんな記事作るな
返信0
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yahhooya | 35分前
この生きかたしか教えられないし、最低限の衣食住しか与えられなかった。学校だって行けない。家畜と同じあつかい。彼らは納得していた、貧しかったから仕方ない、そういう時代だったから仕方ないと、彼らの立場にならずに済んだ人間とその子孫が言う。
a_t***** | 59分前
分け合えば猫の額ほどもない農地を
長男は家長として次いで、次男三男は維持するために一生居る
昔の家制度ってなあ…
返信0
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jf7***** | 1時間前
視聴率60%超えた「おしん」が正当化される社会。21世紀もトウェンティーだが,男女平等ともわれるがまだまだなんぼのもんじゃいが根付いている。
返信0
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ムードンコ | 1時間前
映画・楢山節考での左とん平さんの役がそんな感じだったような。
返信1
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hum***** | 33分前
論理的な文章を書くのが下手。
同じようなことを何度も繰り返して、まだるっこしい。
くどく盛り上げようとする感じがいきすぎているため、本当にこの人の言うとおり、おぞましい奇習なのかどうか、信じられない気がする。
残念な文章の見本みたい。
返信0
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asa***** | 10分前
長男長女よりも次男三女とかの方が人口多いんだから、次男以降で集まって団結したら勝てるのにな
戦前、うちの爺さん婆さんは末っ子だったけど兄弟が10人くらいいたから長男より強かったらしい
長男長女なんて弟達の子守要員なんだから
返信0
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t_o***** | 50分前
今なら会社に働きに行ってもらった方が金になるが当時働きに行く会社がなかったんだろう。
返信0
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gre***** | 36分前
親戚の集まりで、兄が弟の俺のことをおじろくと言ったらえらく怒られてたなあ。
意地悪な兄だから、普段から弟いじめをしてるのは放っておかれてるのに、おじろくと言った時だけ妙に怒られてた。
返信0
10/31(土) 9:51配信
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サンデー毎日×週刊エコノミストOnline
「おじろく」の風習があった天竜川沿いの集落(筆者撮影)
家を継ぐ長男・長女だけが人間として扱われ、次男・次女以降は奴隷として非人間的な暮らしを強制される――。
そんな「奇習」がかつて存在したという。
日本の封建的ムラ社会における土着文化のダークサイドともいうべき「おじろく(おじさ)」とは一体どのようなものなのか。
消え去りゆく日本の習俗に魅せられ、現地を何度も取材した七尾和晃氏のルポをおとどけする。
◇天竜川沿いの集落住民はみな頑なに口を閉ざした……
「そんなことを突然、訊かれても、答えられん」
集落一帯を代々見守ってきた寺の住職は、「おじさ」のことを訊ねると、顔をこわばらせ、狼狽を隠さなかった。
言いにくいこと、タブーとなっていることを聞かれて動揺している、という雰囲気が明らかな住職の態度に、筆者は余計に疑いを深めたのだった。
この集落は、長野県南部から静岡県へと下り、太平洋へと注ぐ天竜川沿いにある。
冒頭の台詞は、この集落にかつて存在したと言われる、「おじさ」「おばさ」と呼ばれた者について、彼らがどのように生き、そして弔われてきたのかを訊ねたときのものだ。
実際に集落を訊ね歩いても、「おじさ(おじろく)」「おばさ」については「知っているが言いたくない」「どの家かは教えられない」と、一様にそんな返答ばかりである。
「おじさ(おじろく)」「おばさ」が一種のタブーとなっていることがうかがわれる。
集落では、跡取りとなる長男、長女だけが人間として扱われる風習がかつてあった。
長男長女ではない、次男次女以下の子供は、一種の奴隷として、人間以下の扱いを受けていたのである。
そうした子供のうち、男児は「おじさ(おじろく)」または「おじろく」、女児は「おばさ」と呼ばれている。
戦前、この地方には、「おじさ(おじろく)」「おばさ」が溢れていた。
決して多くはない集落の戸数のなかで、「この家だけ、あの家だけ、ということはなく、どの家にもたいてい、二、三人のおじさ(おじろく)、おばさがいたものだった」(天竜村古老)という。
それゆえ「おじさ(おじろく)」「おばさ」について語ることは、自分自身の家系について語ることにもなりうるため、沈黙を守らざるをえないのだろう。
◇生まれた瞬間に運命が決まってしまった
そもそも、「おじさ(おじろく)」「おばさ」とはどういう意味なのだろうか。
「でもそれは、いわゆる『おじさん』『おばさん』といった意味ではなくて、おじさは『おじろく』などとも呼ばれたけど、語源は地元の者でもよくわかっていない。生まれたときから次男、三男ではなく、男だったらまとめておじさ、女だったら、みんな、おばさ、だった」(飯田市の地元古老)。
かの地において、「おじさ」「おばさ」の運命は、産まれ落ちたときに定まってしまう。
「おじさ」「おばさ」がどのような人生を送ったか、飯田市で産まれ育ち、長く、天竜川沿いで林業を営んできた前出の古老が解説してくれた。
「昔から、長男が家督を継ぐという話は当然あったんだが、そこでは次男坊、三男坊が家を継げないだけではなくて、長男のために生涯を捧げるというか、長男のために尽くして生涯を終えていくっていうことで、まるで奴隷みたいだって言うひともいた」
おじさ、おばさの生涯を振り返れば、納得がいく。あくまでも典型的な例と念を押したうえで、古老が、一人のおじさの生涯をなぞらえてみせた。
◇「おじろく」の悲惨な生涯
大正時代、天竜川沿いの山村の農家にある男の子が生まれた。
次男坊だった。
村役場に届けられた戸籍には、現在とは異なり、二男や次男とは記載されず、ただ「おじ」や、ときには「厄介」とだけ記されたという。
おじさにも、もちろん名前は付けられる。
昭和に入り、尋常小学校を終えると、そのまま産まれた家にとどまり、昼間は農作業や雑用、夜は囲炉裏を囲むなどして過ごしていた。
子沢山の時代である。
だが、おじさやおばさは、産まれたときから、長男との関係において、決して兄弟姉妹としては扱われなかった。
「産まれたときから、家のもんであって、家のもんでないっていう、そういう風に扱われていると、人間はそういうもんだって考えるようになるから、別に、反抗するとか、抵抗するとか、そんなことはないんだ。可哀想といえば、今だからそう思うけど、それが当たり前のときには、そういうもんだから。家のもんも、おじさのほうも、納得しているわけよ」
おじさとおばさは長男一家と同居はしているが、食事をするのは、家長である長男や長男家族とは離れた場所である。
はたから見れば、使用人や家政婦のような扱いに見えるかもしれない。
おじさが、いわゆる「公」の場所に現れることはまずない。
村の祭りなど、公式行事やハレの場に姿を見せることは、暗黙のうちに禁忌とされ、おじさ達もまた、それに抗うことなく了承していた。
集落の誰もが、「そこにいる」ことは知りながら、口に出すことはない存在といったほうが正確かもしれない。
産まれ落ちた家で、長男家のためにただひたすらに農作業や雑務をこなす一方で、もとより現金収入の乏しい山村ゆえに、おじさ達に、労働対価としての現金が支払われることはほとんどなかったという。
ただ、おじさは、長男家に尽くしている限りにおいて衣食住が保証されていた。
おばさも同様である。
(七尾和晃 ライター、ジャーナリスト)
bte***** | 40分前
旗本でさえ次男三男それ以下は部屋住みで嫁無し、禄無し
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fbs***** | 26分前
このような閉鎖社会における悪しき因習は至る所にあった。中でもひどいのが「夜這い」である。今でも場所によっては出かける時や夜にも鍵をかけないとして治安の良さを自慢する地方があるが、実際は以前に「夜這い」が行われていた証拠である。昭和の初め頃に途絶えたところが多いのだが、戦争中に疎開してきた人を狙っての「夜這い」は凄まじいものがあった。それまで見たことが無い都会の垢ぬけた女性を老人から中学生に至るまで狙った。「夜這い」に応じた家は良い家として配給を貰え、応じなかったら悪い家として貰えなかった。戦後、一斉に引き上げたのも夜這いが一つの要因である。
Sinsin 12345 | 1時間前
江戸時代の、お侍の次男坊そっくりじゃね。笑。
mar***** | 1時間前
中途半端な記事の上、このような風習は長野県に限らず山間地域には大なり小なりあったことでしょうね。
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soi***** | 1時間前
要約すると
「産まれた家にとどまり、昼間は農作業や雑用、夜は囲炉裏を囲む」
「産まれ落ちた家で、長男家のためにただひたすらに農作業や雑務をこなす一方で、現金が支払われることはほとんどなかった」
とうことが「かつてあった」ということだけ。
いくなんでも記事としてひどいんじゃないのか。「奇習」なんかじゃない。
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家庭内奴隷の話だから奇習以外の何ものでもないよね。これを当たり前みたいに言える感覚が凄い。
だから田舎から人が離れるんだよ。
逃れるなら逃げ出したいし関わりになりたくないでしょう。
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ジョマ |1分前
同じ事の繰り返しばかりで、よくこれでライターとしてやっていけますね。
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mon***** | 46分前
先祖代々の限られた農地で家族を養うしか方法がなければ農家の次男三男はこういう運命だったでしょう。明治以前は日本中どこにでもあった話です。明治後半以降は軍人や警察官になるとか都会で働くといった道も増えたのでこうしたことは徐々になくなりました。
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och***** |19分前
貧しい中で過酷な労働環境故に妥協した結論かもね。
妥協しなければ、赤子のうちに殺す、子供を売る、物見その他に丁稚に出す、遊女として売る等。
ただそれが現代まで続く差別の温床にあっているとかだったらひどい話だ。
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mon***** |26分前
まあ「投げ込み寺の記録を調べたら遊女の平均寿命は20代」という話には、「そもそも身請けなどで出ていって長生きした人はそこに埋まっていないのでは?」という疑問が残るんですけどね。
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gek***** |36分前
江戸時代後期に書かれた「世事見聞録」(文化13年)1817年に、「越中、越後、出羽辺りの娘が3~5両で多く売られている」とある
吉原では、女衒を通じて買い取った10歳前後の女の子を遊女としての訓練した。
江戸吉原の妓楼で働く遊女の平均寿命は、江戸東京博物館によると22歳
短命なのは劣悪な環境と性病(梅毒が多かった)が原因と思われる
そして死んだら裸にされ着物は回収され荒菰にくるまれて
投げ込み寺に投げ込まれる
江戸時代は、幕府は年貢上納のための娘の身売りは認めて
遊女奉公が広がった。
定免法で不作でも一定の年貢率だったから
米で年貢を払えないなら娘を売っていました。
これが200年前の日本ですからね。
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zen***** | 56分前
長野じゃなくて岐阜だけど、養蚕を営んでいる家ではそんな風習があったと聞いたことがある。山奥では働き手がいないから色んな所で多少はあったのかも。
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bak***** | 59分前
年寄のコメントが全てだな。
過去の風習を現在の基準で裁くことはできない。
タイトルにはもう少し気を付けた方がいい。
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umi***** | 31分前
驚くべきというか…まあ今から考えたら驚くけど、この地方というより結構あちこちにあったんじゃないかな?こういうの。
父は田舎の長男で60代だけど、家で一番美味しいものは必ず父のものになってたし、一番風呂も、何もかも父が一番だったらしい。今の60代でもそんなだから、もっと前ならこういうことは普通にありそう。
奉公にだされるか、家で奉公するかの違いかなぁ。
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gre***** |24分前
奉公だと人買いに売られたり悲惨なことも多いけど上手く逃げられればチャンスはまだあると思う。
万に一つのチャンスすらないのが「おじろく」という家庭内奴隷なんじゃないかな。
貧しい山林の農村で財産を分散したくないのは分かるが。
家に閉じ込めて公の場には出さずに労働させて自由になる金品も与えないのは古代エジプトの奴隷より酷いと思う。
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yuk***** | 1時間前
新潟でも長男は「あに」その下の男子は「おじ」、長女は「あね」で下の女子は「おば」と呼ばれたけど、この記事のようなことは聞いたことない。貴重な働き手であったことは間違いないし、跡取りが大事にされたのは昔はあたりまえだけど
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syo***** |48分前
>跡取りが大事にされたのは昔はあたりまえ
それが「あたりまえ」だったのなら
程度の差はあっても似たようなもんと思えるんですが?
私はその新潟で「おば」や「おばさ」と呼ばれて育ち
体調を崩しても「跡取りでもない子供が医者にかかるなんて贅沢」とのことでしたよ。
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vez***** | 18分前
北関東ですが、戦前は、素封家でもそうした習慣はあったと、亡き母に聞いたことがあります。跡取りだった嫡男が廃嫡され、農作業のリーダーとして、一生、結婚も認められず、土間を上がった板の間の一角が、廃嫡された長男(「おんじやん」と呼ばれていたとのこと)の人の寝間だったとのこと。当時、子供だった母も「納得できない」気持ちを抱いたものだと言ってました。当時の日本には、そこここに、こうしたことはあったのだと思います。長野県だけではなかったと思います。ただ、同県は、「超保守的」で、それ以外の人権蹂躙案件はあったとは、巷間、人口に膾炙されるネタではありますけどね。
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mas***** | 13分前
合掌造りで有名な白川郷も、家を継ぐ長子以外は結婚できない家族制度だったと民俗学では有名ですよね。次男以下の兄弟は一生実家を出ずに家のために働く。そこまでして、個人の幸せを犠牲にして家族全員が支え合わないと、厳しい山間の土地では生きていけなかったんですね。あの大きな屋根は、雪で潰れないためでもあり、その下に多くの家族を抱えて家から出さないためでもあったわけです。
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ncb***** | 49分前
昔と違って人手がいらない農作業の機械化
昔は貧乏だったから次男以降は婿に行くか町で自立しかない農業
そんな風習の名残りで長野だけが特別じゃない
xrw***** | 35分前
橋田壽賀子が書いた、「おしん」の世界ではないですか?
跡取り以外は、男の子は丁稚奉公、女の子なら女中とか言われて居るが色町へ売られる。言葉は悪いが情婦です。
奴隷化と言うが、子どもを出す事で、お金が動いているのは、戦前では当たり前です。
長野だけの話ではないです。母親の実家が愛知県でしたが、跡取り以外は身請けしてくれる所に奉公と言いながら、数年は実家に帰る事は許されない厳しい搾取が行われていたと聞いています。
戦前の日本は口減らしで出すのは、普通の因習ではないですか?
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gug***** | 32分前
なんというか、飢饉とかあったら、特に女子は売り飛ばされて当たり前、男子だって奉公に出されるのが当たり前の時代に、家に置いてもらって衣食住保障なので、どっちがいいかは難しいところですね。
今の価値観で、その時代の出来事を語ることはできないです。
もしかして、この記事には続きがあって、「実はいまも続く因習で……」というのであれば話は違ってくるのかもしれませんが。どうなんでしょうかね。
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qsh***** | 14分前
70代以上は8〜10人兄弟の人が多い…どの家にも2.3人のおじさ、おばさがいた…と書いてる時点で時代背景がわかってないのかな、と思った。
しかも、割と短命…。長男だけでお家安泰ではないし、長女も優遇された時代ではなく子守しながら赤子を背負って尋常小学校にいったり…行かなかったり…。子供は親の言うことが絶対で、親戚の家に、子守や農作業のために養子に出されたり。結婚も17.8で親や親戚が決めた家に嫁ぎ、いきなり顔も知らない人が夫になり、、、女としてむごいと思うし…可哀想。夫の幼い兄弟、祖父母の下の世話や農作業、家事、洗濯機は当然無く冷たい川の水で洗濯し干す…今の8.90代以上は言い表せないほどの苦労をしている時代
90近くなる叔母が、嫁いできた時は悲しくて毎晩帰りたいと思ってたと今でも言う
20位年下の私の母は恋愛結婚だから、その20年でも時代が違うのね。
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mat***** | 23分前
時代ですよ、時代。今となっては長男は結婚相手として避けられ次男のほうが結婚相手として喜ばれます。
長男が家長として尊ばれたのは、戦後まで。そこでお家制度は釘をさされ衰退の一途。
昔ながらの田舎はそれでも長男を大事にする風習があると思いますが、ことさらそれを奇習としてとりあげるのもどうかと。
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mom***** | 1分前
田分けと者いう言葉が有ります。
長男のみが田を受け継がなければ、子から子で田がどんどん減り最終的には飢える。そんな人を指した言葉です。
今は個人の時代ですが、家が個人の最終単位だった時代は有りました。(これは地方だと少し残ってる)
令和の世ならしれず、農業が機械化される前はそんな時代です。
奇習といいますが、子孫(家)を残す為仕方ない行為だったんでしょ
う。
これを奇習というのはライターが民俗学の知識がないと言えます
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aki***** | 1時間前
これが今でも一部地方で影を落としているかと思うと、驚くしかないね
LGBTへの差別どころの騒ぎではない話だからなあ……
こういう地方では児相なんて機能しないのかな?
それとも知ってて黙認していたりするのかな?
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qua***** | 10分前
現在相続は死亡によって開始されるが、昔は家督相続が原因としてあった。長男が家督を継ぐことが多く弟、妹が同じ戸籍に入っていた。
「おじろく」と似たようなことは各地にあったとしても特に驚くことではないと思う。
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ivk***** | 5分前
擁護の声ばかりのところ悪いけれど、長野に身内が嫁いだ。数年前。びっくりするほど向こうのお義父さんが、奧さんに威張っていて言葉を失った。ものすごく古い感覚でびっくり。人権とか意識が低い地域だと思ったよ。政府は、男女共同参画とかうたっているけれど、この地域じゃ無理だと感じた。長野にはこういう歴史があると聞いて納得した。
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haek | 14分前
長男に家督を継がせ、それ以外は坊さんになるしかなかったて聞いた事がある。織田信長はその才能ある次男三男を家来として積極的に雇ったから強かったと聞いた事がある。能力主義
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csx***** | 2分前
会社で考えると長男が社長で、その下の兄弟は従業員という感じかな。奴隷という表現がおかしい気もするが。家を絶やさない為、他に職業がなく農林業で家族全員が生きていく為なら、そういう仕組みになるだろうね。
勿論、結婚や養子として出ていく兄弟もいたんだろうに。
笑不動 | 35分前
姥捨山もあったし、娘を売ったりもしていた。
何処の地域でも存在したと思います。全ては貧しさ故に、人としての心まで貧しかった時代。その背景にあるのは、徹底的に「搾取」する側と「される側」の政治が招いた結果だと思います。今でも世界的に見ると同じような貧しい国々が存在するのは悲しい事です。
いつの時代も上「政治家」が馬鹿だと下「庶民」が苦労するのだ。思います。
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BOOMERANG | 34分前
人と会ってても、スマホがなると断りもなく平気で話し出す。
すごい奇習だと思うけどね。
時代に則した風習だったのでしょう。
家が重んじられた時代、限られた食料の中で、長男だけは生かさなくていけなかった。
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aga***** | 15分前
これはかつての日本の実話だろうが、今で現実の国もそれなりに存在している。
大概が友好国で無い為、話題にならないだけである。
今の日本に生まれたことは、人類上では幸運なのかもしれない。
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qnb***** | 20分前
8代将軍吉宗だって いろんな運命が重なった結果、
将軍になったけど、
本来なら 紀州家の4男だから 部屋住みで飼殺される運命だった。
まして貧しい農家の次男三男。
どこが驚くべきことなのか この記事ではわからない。
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poem | 27分前
多かれ少なかれ日本はそういう歴史があった。
話したくない人に取材しなくていいし、タブーを掘り下げる必要なし。
問題は、今現在の話。今はどうなってるのか?である。
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まむ | 41分前
昔はどこもかしこも家族のために娘息子が奉公に出たり、売られて行ったり、もっと言えば口減らしにあったりしてそれが当時は仕方のないことだったんだからなぁ…
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え | 41分前
長男、跡取りが大事にされるのは、今でもよくある事。
なんなら、兄弟達が助け合って、お兄ちゃんをリーダーとして支えて暮らす、という形にも見える。
その代わり、長男は表に出ても恥ずかしくないように、厳しく躾けられ、育てられた代わりに、精神的におかしく、非道な大人に成長する人もいたし、それを見た次男以下、気楽で良かったと思って過ごした人も居ると思う。(家の財産を食いつぶす働かない長男とか、よく聞きました。そういう家は下の子がしっかりしていた。)
その時代の習慣だし、だから何?と思います。
もちろん、八つ当たりやストレスの捌け口になり、虐待された次男以下の人もいたかもしれないけど、その人達はそれなりに賢く、強くなって生きていったと思います。
生い立ちだけ聞くと、可哀想に思うかもしれないけど、実際のところは本人達に聞かないと分からないし、そういう人達の子孫の方が、今は多いと思う。
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spc***** | たった今
武士の家でも、次男三男に他家への婿養子の口がなければ家を出ることなく生涯を終えるという史実があります。
山間部の農家なら特に珍しいことではないかと。
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iku***** | 38分前
タイトルの付け方に問題がある。
天竜・飯田地区に限らずこういうことは生産力が限られた山間部ではあったから全然驚くことじゃないし、奇習じゃない。高齢者の遺棄も同様の理由であったはず。
サンデー毎日は売れないからってこんな記事作るな
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yahhooya | 35分前
この生きかたしか教えられないし、最低限の衣食住しか与えられなかった。学校だって行けない。家畜と同じあつかい。彼らは納得していた、貧しかったから仕方ない、そういう時代だったから仕方ないと、彼らの立場にならずに済んだ人間とその子孫が言う。
a_t***** | 59分前
分け合えば猫の額ほどもない農地を
長男は家長として次いで、次男三男は維持するために一生居る
昔の家制度ってなあ…
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jf7***** | 1時間前
視聴率60%超えた「おしん」が正当化される社会。21世紀もトウェンティーだが,男女平等ともわれるがまだまだなんぼのもんじゃいが根付いている。
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ムードンコ | 1時間前
映画・楢山節考での左とん平さんの役がそんな感じだったような。
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hum***** | 33分前
論理的な文章を書くのが下手。
同じようなことを何度も繰り返して、まだるっこしい。
くどく盛り上げようとする感じがいきすぎているため、本当にこの人の言うとおり、おぞましい奇習なのかどうか、信じられない気がする。
残念な文章の見本みたい。
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asa***** | 10分前
長男長女よりも次男三女とかの方が人口多いんだから、次男以降で集まって団結したら勝てるのにな
戦前、うちの爺さん婆さんは末っ子だったけど兄弟が10人くらいいたから長男より強かったらしい
長男長女なんて弟達の子守要員なんだから
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t_o***** | 50分前
今なら会社に働きに行ってもらった方が金になるが当時働きに行く会社がなかったんだろう。
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gre***** | 36分前
親戚の集まりで、兄が弟の俺のことをおじろくと言ったらえらく怒られてたなあ。
意地悪な兄だから、普段から弟いじめをしてるのは放っておかれてるのに、おじろくと言った時だけ妙に怒られてた。
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