彼岸とは
先祖・忘れがたき人との再会の日
亡き父と母、あなたの墓前で
これからもしっかり生きていくことを決意した
もう
あなたがいつも作ってくれていた
こしあんと粒あん、きなこの牡丹餅は食べられないけど・・・
和菓子屋さんで買ってきたから
皆で食べてね
彼岸とは
先祖・忘れがたき人との再会の日
亡き父と母、あなたの墓前で
これからもしっかり生きていくことを決意した
もう
あなたがいつも作ってくれていた
こしあんと粒あん、きなこの牡丹餅は食べられないけど・・・
和菓子屋さんで買ってきたから
皆で食べてね
九州は大変だったね
関東は今夜から明日の朝が
最も影響がでる
列島縦断コースから外れて一安心じゃな
今日は雨が降ったり陽が差したりと
変な天気だ
明日は彼岸の入りだ
曼珠沙華も咲き出した
台風でやられちゃわないかと気がかりだ
お墓参りにいけるといいな
ここからは
淳さん(秋山眞之)が
歩いた道のりと同じように歩いてきた
子規没後3年
日露戦争凱旋観艦式の2日後
早朝家を出て子規庵に着く
結局八重さん、りーさんには声を掛けずに歩き出す
朝飯を食べてないので
近くの団子屋やで団子を注文する
焼き団子は最初の一口をあっしが食べちゃったけん
芋坂をのぼりきると
そこは谷中霊園の真っ只中
鶯谷から日暮里、西日暮里へ
じゅんさんとのぼさんが大学予備門に入るために
松山中学から出てきて最初に学んだ共立学校(現開成中・高)
文化祭で賑わう校舎脇を抜け
田端駅前へ
子規庵から約3キロ
坂を下った先に子規のお墓があった
右に母八重さんの墓 左に正岡氏累世墓 りーさんはこの中
子規自筆の墓碑
お墓を出たのがちょうど12時
駒込まで歩いて山手線で新宿へ
新宿で軽くランチを食べて
小田急で帰る 13時40分着
淳さんの結婚後の新居は
芝高輪だったような
いくら海軍さんでも片道4時間ぐらいはかかるはず
ほーじゃろか?
お寺からの帰り道は飛鳥山から
旧川越街道とある
気になって後で調べたら
既に山手線の前身の品川ー赤羽線が開業してる
一日4往復だけんどね
品川まで鉄道が使えれば高輪までは歩いてもすぐだ
青山墓地の信さん(秋山好古)のお墓にも
行かないとだめだぞなもし
完
今日から25日まで
根岸子規庵にて糸瓜忌特別開庵
19日が命日である
結核から脊椎カリエスにより
母八重 妹律の手厚い看病が
あつたが永眠 享年34歳11ヵ月
我に20坪の小園あり
子規の葬儀に際して
庭の真っ赤な鶏頭の花を伐って
棺の中にひきつめられた
糸瓜は蔓からとれる水が咳き止めや痰切り効果がある
鶏頭の十四五本もありぬべし
黄色い花は咲いてたが実は一つも生っていない
公開時間は10時半
10時過ぎに5~6人が待っていて
僕の後から10数人の団体も入ってきた
庭の景色さえ目に焼き付ければ
長居は無用
根岸・子規庵~田端・大龍寺に続く
朝は半袖じゃあ寒いぐらいだった
2時間ばかり草むしり
爪の中が泥で真っ黒になる
手つかずの
南の庭に10輪ほど咲き出してた
周りの草をむしって写真撮影
草に覆われてても
この時季になればちゃんと咲いてくれた
なんか得した気分だ
曼珠沙華
朝は久々に涼しい
布団カバーやシーツ、枕カバーを洗濯
2回目は普段のシャツやタオル類
その後 半年ぶりに洗濯漕の洗浄
風呂掃除もして序に風呂釜の洗浄もやった
庭の草むしりも再開しないと
今日は15日でポイント2倍
買い物にも行かなくちゃ
なんだかなぁ・・・
信さん(秋山好古)の名言が心に刺さる
男子は生涯,一事をなせば足る。
身辺は単純明快でいい
お彼岸が近いし
また、心の旅にも出かけたいし・・・・・
ハナトラノオ
さあ、ラストスパートだ
文庫から再度京急で南太田駅に
急な坂道を登ること30分
久保山墓地にヘトヘトになって到着
でも
市営墓地以外にも寺院の墓地が10か所以上もあって
広すぎるずら
こぴっと探してくりょう
ここが花ちゃんのお墓け~
文字が薄くて見えにくいけど
左から4番目 花子 75才とある
あなたが大好きな花子とアン
Anne of Green Gables
腹心の友の蓮さまのお墓は
相模湖近くの石老山の麓にある
何年か前に山登りの時に寄ってきた
村岡花子が翻訳した本は
ジャックと豆の木
ふしぎな国のアリス
王子と乞食
フランダースの犬
小公子
あしながおじさん
ブレーメンの音楽隊
などなど
小学生の時図書館で読んだ本が並ぶ
曲がり角を曲がった先には
何があるか分からないけど・・・
とりあえず
坂道をどんどん下って相鉄線の西横浜駅に
無事帰って来た PM 5:00
長い一日であったけど
でも
心は久々に晴々とした
心の旅 完
カレーを食べて
元気が出る
次に向かったのは
横須賀中央から京急で金沢文庫駅に
ここはあなたが小学生のころ
2年間暮らした街だ
父親が自動車会社の追浜工場に勤務
二度目のお母さんと妹との4人暮らし
東口
おそらく踏切を渡った先の右側あたりにあったアパートだ
風呂はなく銭湯だったから冬の帰り道は寒かったと言ってたね
もう50年ちかい昔のことだ
休みには家族でハイキングをしたとも言ってたね
そうか、ここからも鎌倉アルプスに行けるんだ
朝に行った鎌倉霊園からの登山道もあったから
どこかで合流して天園まで縦走できるんだ
どう
満足しましたか?
スマホの中の遺影に話しかけた
時は3時が近づいてる
最後の目的地に急いで向かわないと
心の旅 その4に続く
鎌倉霊園から11時の
京急バスで金沢八景へ
八景から京急で横須賀中央へ
三笠公園
淳さんは東郷司令長官の右隣 右から3人目
猿島と奥には房総半島が霞む
下段の右端
船首に菊の御紋 皇居に向かって埋められている
秋山眞之 名言
皇国の荒廃この一戦にあり。各員一層奮闘努力せよ。
天気晴朗ナレドモ波高シ
聯合艦隊解散ノ辞
東郷が読んだが起草は秋山眞之
故人曰く、勝って兜の緒を締めよ、と
横須賀中央に戻ってきたのが13時半
腹が減ってきたぞなもし
海軍カレーじゃないけど
心の旅 その3 に続く
朝9時の電車に飛び乗り
鎌倉駅下車 ~ 京急バスで鎌倉霊園に
淳さん(秋山眞之 幼名 淳五郎)のお墓へ
東郷平八郎率いる連合艦隊の参謀として全ての作戦を立て
勝てる見込みの少なかった帝国ロシアのバルチック艦隊を撃破
一歩間違えてたら
今のウクライナのように明治の日本は侵略されてたかもしれない
最終階級の海軍中将にしては誠に質素なお墓だ
なんか国葬とか騒いでるけど
あなたは国や国民のためになんかやったのかね
それとオリンピック関連で胸像が作られるとか言われてるあなたも
いいこと一つもやってないじゃん
まあ
そんなことはどうでもいいか
きょうは
のぼさん(正岡子規 幼名 升)とりーさん(子規の妹律)
一緒にお墓参りに来たつもりだからね だんだん
心の旅 その2 につづく