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西宮の私の実家は無事でしたが100m先のS叔母さんの家は全壊し10ヶ月ほど実家に避難し、甲東園のH伯母さんと従姉の家も全壊して実家の50m先の家(マタ従兄弟)に避難していました。
S叔母さんの息子たちは、長男は岡山に住み、次男は東京に住んでいましたが、全壊の家は一年以内に解体すると解体費用は無料になることが決まり、すぐに解体しました。
そして兄弟(従兄弟)は更地になったところに半分づつ費用を出し合って叔母さんのために家を建てました。
甲東園のH伯母さんと従姉(従姉)は10ヶ月後、従姉の勤務している武中工務店で設計の仕事をしている関係上すぐに家を建てました。
2年後西宮市は全壊した家を建て換えると100万円の補助が出ることが決まり従兄弟・従姉たちに連絡しました。
そして西宮市役所に請求に行くと「なんと」一年以内に建てた方は出ないと言う返事でした。
これを聞いて行政の対応に「呆れて」ものも言えません。
親が家が無く困っているから、まだ子供たちが大学や高校に通っていて、さらに家のローンもあるのに無理をして家を建てて上げたら「あなた達は恵まれているので出せない。」と言う理屈だそうです。
「早く親孝行しすぎた。」と悔やみました。
一番に褒めるべき人たちに行政はなにを考えているのか?
明治以来若い日本が行政指導できたのは間違いではないが、その制度が今日に適用する訳が無く、その末期的症状が出てきているところに、このような阪神・淡路大震災の非常事態に直面したところに不幸があったとおもう。
当時の村山政権の初期対応のまずさ、自衛隊の出動の遅れ、末端の行政の鈍さ、それはマニュアルがなければ又過去の経験がなければ臨機応変に動かれない、そして指示が出なければ自分の判断で動けない体質が又保身のみで例外的な事はしない・・・・例えば伊丹の自衛隊は近くにいたわけで回りの状況が一番わかるはずで、そこから指示を出すのが的確な行動ができるはずで、指示を待つのは本末転倒している。
これはほんの一例、このような事態こそ行政の力を最大限発揮するところである。
いかに早く現場から情報の発信し指示出せるかが今後の課題になると思う。
西宮の私の実家は無事でしたが100m先のS叔母さんの家は全壊し10ヶ月ほど実家に避難し、甲東園のH伯母さんと従姉の家も全壊して実家の50m先の家(マタ従兄弟)に避難していました。
S叔母さんの息子たちは、長男は岡山に住み、次男は東京に住んでいましたが、全壊の家は一年以内に解体すると解体費用は無料になることが決まり、すぐに解体しました。
そして兄弟(従兄弟)は更地になったところに半分づつ費用を出し合って叔母さんのために家を建てました。
甲東園のH伯母さんと従姉(従姉)は10ヶ月後、従姉の勤務している武中工務店で設計の仕事をしている関係上すぐに家を建てました。
2年後西宮市は全壊した家を建て換えると100万円の補助が出ることが決まり従兄弟・従姉たちに連絡しました。
そして西宮市役所に請求に行くと「なんと」一年以内に建てた方は出ないと言う返事でした。
これを聞いて行政の対応に「呆れて」ものも言えません。
親が家が無く困っているから、まだ子供たちが大学や高校に通っていて、さらに家のローンもあるのに無理をして家を建てて上げたら「あなた達は恵まれているので出せない。」と言う理屈だそうです。
「早く親孝行しすぎた。」と悔やみました。
一番に褒めるべき人たちに行政はなにを考えているのか?
明治以来若い日本が行政指導できたのは間違いではないが、その制度が今日に適用する訳が無く、その末期的症状が出てきているところに、このような阪神・淡路大震災の非常事態に直面したところに不幸があったとおもう。
当時の村山政権の初期対応のまずさ、自衛隊の出動の遅れ、末端の行政の鈍さ、それはマニュアルがなければ又過去の経験がなければ臨機応変に動かれない、そして指示が出なければ自分の判断で動けない体質が又保身のみで例外的な事はしない・・・・例えば伊丹の自衛隊は近くにいたわけで回りの状況が一番わかるはずで、そこから指示を出すのが的確な行動ができるはずで、指示を待つのは本末転倒している。
これはほんの一例、このような事態こそ行政の力を最大限発揮するところである。
いかに早く現場から情報の発信し指示出せるかが今後の課題になると思う。