午後20/14℃
小用を済ませ戻ると幾つかの行列が通り過ぎたようで、「吉野時代列」が近づいてきたが、吉野時代とは何時頃年代だろうと思い家へ帰ってから調べると「南北朝時代(1336年~)」で朝臣の楠木正成が活躍した時代だった。
楠正成を祀られている「神戸の湊川神社」は神戸市民は「楠公さん」で親しまれている武将だ。続いては中世の「鎌倉・室町時代の婦人列」
列は時代を溯ると、感心が薄れてくるが、プログラムは「城南流鏑馬列」・「藤原公卿参朝列」が続く。
行列の写真も疎かになり脚の調子も怪しくなり、家内に引き上げようと云うと、後の「平安時代の婦人列」をみてからだと言うので列を待った。明日26日は午前中から所用がありJR京都駅へ出向くので「京都時代祭」の書き込みアップはお休みにするかもしれない。
それにしましても、何と活動しにくいお召し物だな-って
思いました。男性は動くのが大変だし、余程の体力が無いと戦えないだろうな-て思ったし、女性はおしとやかにするしか無いな-って色々想像しました。
沢山楽しみました。
コメント
原始時代の衣食住は寒さ暑さを防ぐものだったでしょうが、時代の文化が進むにつれ、武具や衣装が変わります。
行列は時の権力者階級の行列ですから、優雅な衣装です。庶民(農民)はお粗末な衣服だったのでしょう。
このブログで概要が理解できました。
さすが1200年の歴史の重みを感じる祭り・時代行列ですが、
主催する方も見物する方も大変なエネルギーがいりますね。
時代順に行列するのかと思っていましたが、時々額戻りもあって面白い。
吉野時代というのは初めて聞きました。
長時間の取材・報道ご苦労様でした。
コメント
30数年ぶりに観る「京都時代祭」当時とは列の内容や時代衣装、武具、牛馬、等々が充実し見ごたえがあり、これらは名のある有名神社の講社の氏子衆が保存して伝統を守り続けているものと思われ、京都ならではの祭りだと感じました。見物客は観光客はもとより、外人や若い女性に人気があったようです。
時々見物を離れましたが鎌倉時代と室町時代(応仁の乱)がカメラに写っていませんでした。
吉野時代と延暦寺時代は教科書にはあったか、どうか全く記憶に無く初めて聞く時代区分でした。