健康自由メモ(高齢者の健康メモ)

高齢者の健康自由日記

雛飾り

2014年03月03日 | weblog

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 今日は新暦の「桃の節句」で本来は桃の花咲く頃の陰暦の「 上巳の節句」3月3日だった。生まれ故郷の越後新発田では1ヶ月、遅れの4月3日に女の子の健康と成長を願う女の節句だった。 我輩の幼少、少年期は日中戦争・第2次大戦の真っ最中で、生活の諸物が物資統制管理で日々質素倹約で「贅沢は敵だ」などと言われていて殆ど記憶が無く、戦後の経済の高度成長期頃から一般家庭でも桃の節句や端午の節句として子供の成長を願う行事となった。 昭和40年当初初めて京都へ転勤したが幼少時からの旧友が京都の大学に進学し10数年京都に住んでいる。 旧友を訪ねると当時は京の人は東日本地方から出てきた人を口には出さないが「お上さん」扱いだから、自分から前もって「お上りさん」だから「よろしう」と言っておいた方がえゝでと教えてくれた。 京都の生活も1年近くなり京の地理のも慣れて2月中旬になると室町筋の商家やお店のウインドーには立派な雛人形が飾られている。 会社の事務所へ戻り中年のご婦人に雛人形のことを話すと京都は皆、「京ひな飾り」でお内裏様の関東飾りと違いますと教えてくれた。 当時は若かったので人形には興味は無かったがその違いを教えてくれた。 お内裏様は天子様のことでお雛様はお后のことだった。

 京雛飾りと関東風雛飾りの違いをネットで調べてみた。「京雛飾り」は京都御所は北にあり御所から南向けて右が日の出の東で東が上席で朝廷の左大臣は右大臣より上位とされている。 よって、お内裏様は向かって右側に飾るのが正当とされていた。


明治大帝と皇后(以下画像は検索引用)

 ところが、明治維新で天皇は江戸に遷都され、大正天皇の即位の礼で外交上の国際儀礼方式から天皇の位置が逆になり雛飾りも、お内裏も向かって左に飾られるようになったのが関東風だとされている。


大正天皇と皇后陛下

(同じ関西でも神戸労災院の雛壇飾りは京雛飾りと思っていたが関東風だった。)


昭和天皇・皇后陛下と今上天皇・皇后陛下

 「桃の節句」平安時代の貴族階級の子女の成長を願う行事であったが江戸時代は武士階級から裕福な一般庶民 家庭にまで普及した。 現在では皇室にこだわらず、雛人形の飾りつけはどちらでも良いとされている。 飾りつけが自分流にどちらでも良いが「京雛飾り」は亭主関白、関東風飾りは「かかァー天下」型のご家庭だとネットにあった。 女性は年齢を問わず、何歳になってもお人形を眺め楽しめるのである。



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4 コメント

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綺麗なお雛様ですね (もこ)
2014-03-04 21:24:30
私なんか、今年初めてお雛様のことを忘れていました、毎年は、お雛さケ-キを孫達に配ります、すっかり忘れていました。
年ですね、孫に言われて、はっと気が付きました。

労災病院の見事な雛壇飾り綺麗ですね、久し振りにじっくり見せて頂きました。懐かしい気がします・

京風と違うのですね、勉強しました。

天皇陛下、皇后陛下 昔よく何処かで張って有る写真を見た事が有る気がします。。お召し物がとっても綺麗で規律正しいって印象を受けました。
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天皇陛下・皇后陛下の写真 (Uchan)
2014-03-05 12:22:42
<もこサンへ>
幼少時の戦中は家には古びた小さな雛飾りがあったようにも思いますが飾られた記憶はありません。
 国民小学校の門の右側に「奉安殿」があり、登・下校には最敬礼させられました。
 そして教室には二重橋の写真があり、朝礼は東方に向かって最敬礼して学校授業の始まりです。
 奉安殿には天皇陛下・皇后の御真影や教育勅語が奉安されている事を教えられました。
 今でも神社へ行くと鳥居の前には一礼して神社を参拝する人をよく見かけますが神道による「封建日本帝国」の名残でしょうか。
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ひな祭り (もとまちぎんざ)
2014-03-05 12:26:57
貴重なしきたり、勉強になりました。
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雛壇飾り (Uchan)
2014-03-06 11:01:19
<もとまちぎんざサンへ>
コメント
勉強になるほどの書き込みではありません。
 雛人形の飾り方に京風と関東風があると聞いたもので調べたものです。
 若しかしたら間違いがあるかも知れません。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/59/2c6d72de0eb543a55b8933fd99749b5d.jpg

「もとまちぎんざん」の家の雛壇飾り、さすが金沢、立派ですねー
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