28/21℃ 秋分の日
敬老の日の21日午前10時頃、所沢にいる次女家族から宅配便が届いたが開けてみると孫の通学している海城学院の学園文化祭の特製どら焼き(和菓子の大角玉屋)と「ごっつお便」の敬老の日のギフトカタログが入っていた。
21日の敬老の日の神戸の中心部の繁華街では「神戸ビエンナーレ2015」でイベントが彼方此方で開催され神戸の隣接する街町から人が押し寄せるだろうと憶測して明石の街を散策することに予定していた。三宮行きのバス停で待っていると停車するバスは満席で1台見合わせたが次のバスも混み合っていたが取りあえず乗車して立っていると小学生の高学年の女の子が「どうぞお掛け下い。」と席を譲ってくれたが敬老の日を意識しての行為だろうか、その行為に甘んじて礼を言い座らせていただいた。JR三宮の中央口の待ち合わせの名所「金の鈴」の廻りは待ち人で一杯である。姫路駅までは新快速で15分の時間の距離だが入ってくる下り新快速電車は満員でほとんどが下車しホームが溢れるほど下車した。更に歩いてハーバーランドへ行ける神戸駅ではガラガラの状態となった。明石駅ホームから阪神淡路大震災でほゞ崩壊した明石城が綺麗にみえる。JR明石駅で下車し徒歩5分ほどで明石公園の入り口に着いた。明石は現役時代に2度ほど訪れた事はあるが車なので素通りだけである。
入り口には銅像があったので立て看板を見ると「〇の囲み文字のは」の字の戦後の「鯨の缶詰め」でお馴染みの大洋漁業の創業者中部幾次郎翁の銅像で戦後のプロ野球二リーグ制の再編成で「大洋ホールズ(現横浜DeNAベイスターズ)」を大洋漁業の二代目の社長、中部長謙市氏がオナーになったことでも知られいる。
公園の入り口には明石で満腹「食三味市」のイベントの看板が有り公園内は人で賑やかである。とにかく、明石城目指して歩いた。
やはり、ここも人々で賑やかでお昼頃だったので美味しいのか人気のあるテントは行列状態で休憩所は満席で芝生でシートを敷き家族連れが食事を楽しんでいる。蛸天を食べ歩きしていた「このタコ天は明石で水揚げされたタコなのか、それともアフリカ産のタコか?」と思いながら歩いていたが巡回の警備員さんが来たので「明石場内へ入りたいのだが?」と聞くと「城内はイベント以外は一般公開しておりません。」との事だっだた。明石と云えば「播磨灘の鯛に蛸で、それに明石の‟さのさ節”」で全国に名が知れている。「さのさ節」は明治j代に都市部で流行った民謡、流行歌、俗曲だそうで昭和33年に江利チエミが現代風にアレンジして歌い爆発的に流行った唄である。 明石公園を出て瀬戸内の産物で知られる明石の台所として栄える「魚の棚商店街」市場へ歩いた。
将来が楽しみですね。
それにしても、シルバーウィーク歩いていますね。
余り無理なさらいようにして下さい。
最近は行っていません「、中部幾時郎像」も始めて見ました、世の中には、色々と貢献された方がいっぱいいらしゃるのですね、そのお陰で私達は平和で楽しく過ごせるのですね 勉強に成りました。 よくご活躍ですね又魚の棚商店街も楽しみにしております。歩数も教えて下さいね
我輩も初めて聞く私立の中学でした。
明治時代に海軍兵学校への海軍予備校として設立された私学校で戦後は校名が日比谷高校だった時代もあったようで、現在は中・高一貫の海城学院として有名大学の進学校として東京では名が通っているようです。
コメント
ボラぼらのヨタヨタ歩きですが休み休みで半日も歩けば1万歩前後となります。
マー、歩かないより足腰には調子が良いようです。
明石はあまり詳しく無いのですが城下町は好きです。
「魚の棚」は甲子園に住んで頃に同僚から「魚の棚」の事を聞き大きな一匹物の鯛を買いに行ったのを覚えています。