健康自由メモ(高齢者の健康メモ)

高齢者の健康自由日記

ぶらり京都洛中の繁華街へ(四條通)

2013年10月27日 | 5.Weblog

時々19/13℃
 台風27・28号は神戸には大した被害も無く、太平洋上の東に去り温帯低気圧となった。 西本願寺で乗ったタクシーは基本料金で四條烏丸で降車した。京都勤務時代の昭和40年台は四條烏丸西上ルにあったが昭和40年前半ころの烏丸四條の四つ角には旧大手都銀の京都支店があったが都銀の再編/統合合併で2店舗だけとなり、この界隈のビズネスビル街も様変わりしている。 ビルの地下はビズネスマン向きの飲食店があるが昼休み時で満席状態で地下から歩いて京都大丸から高倉通に上がり錦市場商店街へ足を向けた。 京都勤務時代は昼食は殆んどこの錦通り界隈で食べたが当時のお店は殆んど姿を消して様変わりしている。

 錦市場に近づくと漁師居酒屋「井川丸」の店があり昼は日替わりランチの看板があり「鯛のカマ定食」と「ハマチかま定食」で13時を過ぎているので席が空いている。 「ハマチかま定食」は甘醤油で焚いてあり美味しく、蟹味噌とグラスビールを注文しゆっくりと、ランチを食べてた。 昼食を済ませ錦市場をぶらつき京漬物を物色し、富小路の組合事務所で小用を済ませ、四條通へ出て東方向へぶらついた。 錦市場も四條通もいつもと違い人は少なく外人観光客が神戸より多い。 阪急電車河原町駅に着いたが、鴨川の四條大橋すぐそこで更に東へ行った。 四條河原町の東南角は阪急河原町店があったが数年前撤退したが跡地は丸井百貨店となっていた。

 昭和40年ごろ大ヒットした「富士の高嶺に 降る雪も京都先斗町に 降る雪も雪に変わりはあるじゃし・・・」の「お座敷小唄」は先斗町(ぽんとちょう)木屋町のみならず、京都市内の居酒屋、スナックでまだ、カラオケの無い時代「チャンチキおけさ」に代わり手拍子の歌声が流れていたのが懐かしい。 四條大橋の北の三条大橋は旧東海道の終点(江戸日本橋~京三条大橋)で幕末の勤皇の志士高山彦九郎の皇居を拝する座像があり、当時の修学旅行のメッカ京極筋に通じて賑やかだったが高山彦九郎の名を知っているのは70歳後半の世代だろう。 鴨川の南は五条大橋で義経伝説の「牛若丸(義経)と弁慶の五条大橋の決闘」の童謡で知られているが現代の子どもは知らない時代となっている。 三条河原は安土桃山時代の大盗賊、石川五右衛門(釜茹の刑)や石田三成の処刑場、豊臣秀次の晒し首されたとされる刑場の地でもある。 四條~五条大橋は京の都の芝居小屋や芸妓街の歓楽街で江戸歌舞伎もこの地で形成されたとされている。

 四條大橋を渡ると南座の前を通ると東西歌舞伎役者の年末「吉例顔見世興行」の看板が出ていた。 土産に「西尾の八ッ橋」思い北側歩道に渡ると 日本一と言われる京都祇園の老舗茶屋「一力亭」が見える。

 京都には、舞妓さんと芸妓さんがいるという花街がある。それは、祇園(甲部)、先斗町、宮川町、上七軒、祇園東{昔は乙部と言っていたに思う}の5花街がある。 戦前まではお公家さんが利用していた格式の高い島原遊郭があったが京都勤務の時、島原遊郭へ物珍しさに行った事あるが大正か昭和の時代の住宅街の中に島原大門があり、かの有名な角屋も1階部分は出入りがフリーだったように思う。 島原の花街は京都市が管理しているようで、現存する唯一の揚屋の遺構として国の重要文化財に指定されていることが帰って調べで解かった。
 京都は平安時代から明治維新までの都で文明が超発達した現代でも歴史的建造物、地名、景観や風習・・・などを残した「温故知新」の街で季節を問わず人気があるのだ。 ブラリ散策も16時近く阪急河原駅から電車に乗り六甲駅で降車し家に着いたのが17時過ぎだったが、OB会の日取りを間違たお蔭で、久しぶりに京の入り口だけだが、京の街をブラリ散策した半日であった。



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4 コメント

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懐かしい! (もこ)
2013-10-28 15:44:07
南座の当たりは、昔娘が嫁ぐ前に、都踊りを、見に連れて行った
た事が有ります、しっとりとした町並みが、良く伝わって来ました
今も昔も、雰囲気は変わっていませんね。
                         
ランチに、ビ-ル 気持ちが、よく解ります、日日にちを、間違えられたので、私は得を、しました。
                     

楽しかったです
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京都 (しゅうちゃん)
2013-10-28 22:54:40
京都は修学旅行の他に、若い時2度程訪ねた記憶があります。
しかし、どこを歩いたか思いだせません。
ゆっくりと訪ねてみたいですね。
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都踊り、歌舞練場 (Uchan)
2013-10-29 10:47:14
<もこサンへ>
毎年4月、桜の咲くころ祇園の芸妓の「都踊り」が花見小路の南へ10分程歩いた「歌舞練場」で公演されます。
 昭和41年京都へ赴任したばかりの頃、祇園の代理店さんから都踊りのチケットを1枚「奥さんにどうぞ」と頂き、長女がまだ4、5歳頃家内は観に行きましたが我輩は行った事がありません。
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京都観光 (Uchan)
2013-10-30 09:00:27
<しゅうちゃんへ>
お早うございます。
 我輩も、お上りさんの若い頃の京都観光は物珍しさに京の祭を観るのに右往左往ばかりでしたが、小説やTVドラマなど観ていると京都が舞台の物が多く、格式ある寺社仏閣の歴史など調べたり、日本の古い生活文化に関わりにあるものが沢山あります。
 京を知るには長時間の年月が必要だとされています。 京都観光にはある程度の事前の知識武装しての観光が楽しさがあります。
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