楽学天真のWrap Up


一語一句・一期一会
知的遺産のピラミッド作り

ポスドク地獄(1)

2007-03-03 04:44:01 | 科学
いま、ちまたにあふれるポスドク達。
この知的財産をこの国はどうするのか?
極めて、極めて深刻である。

私の時代にもポスドク問題はあった。オーバードクター問題といった。
しかし、今のポスドク問題の深刻さは、その時と比べるべくもない。はるかな広がりとシステムとしての困難を持っている。

私たちの時は何をやったか。
 私はある学会で院生の代表をしてものをいう役割りを引き受けていた。そこで全国の院生に呼びかけて、研究者の定年予定リスト専門分野一覧表を作成するとともに、院生の側から全国学位取得者一覧リストを作成、いわば人の売りと買いのための、公開リスト回しを行った。学会に院生会費を設けさせるためのキャンペーンも張った。

学会の長老に怒られた。「甘えるな!一人前の研究者と認められたければ、一人前払え!」
<な、なんと理不尽な>と思いつつ、生活実態データを取り、粘り強く攻めた。

定年リストは院生・オーバドクターの側からすると、自分の専門分野のポストの売れる見通しである。そして、極めて優秀な仲間なのに売れていないポスドク支援の大キャンペーンを張ったのである。自主的なサイエンスシンポも若手が主催で開き、おもしろく、かつ頑張っているポスドクの講演会を開催するのである。そのような場は同時に自由な情報交換の場でもあった。それぞれの大学の教授達のポスドク問題への対応もしっかりと把握され、使い捨て教授は誰か、「えさ」でしばりサイエンスの自由を抑圧するのは誰か、自分のことしか考えないのは誰か、など筒抜けであった。ポスドク支援の輪は、やがて理解ある教員も含めたネットワークへと拡大し、1つ、また1つと解決へ向かった。

 私はラッキーなほうで、学位取得まで2年オーバー、その後ポスドク1年で職をえることができた。
 しかし、私の4つ上の先輩が職を得たのはそれから5年後、歳は40になっていた。当時としては群を抜いていた、この分野で日本最長老のポスドクであった。彼が決まった時は心から喜んだ。

 私は院生そしてポスドク諸君にいいたい。
1。まず、自分のサイエンスを磨きなさい。しっかりとした自己主張を持ちなさい。その人の独創と主張が見えなければ誰も買いに来ません。人の手の平の上では、その人の手の平の上にしか可能性はありません。手の平の人を買いにくる人が欲しいのは、あなたではありません。その手です。大きな手なら、と思うかもしれません。しかし、今はどの人の手のひらでも追いつかないくらいポスドク問題は深刻です。だから自立なのです。自立して自己主張をし、人の輪を重んじる人はどこへでも売れます。皆、買いたがります。それを金の卵といいます。

2。そして、「競争社会において最も強いことは共同である」ことを信じて、ポスドクあるいは院生で連携をしなさい。全国ネット、世界ネットであればあるほどいい。サイエンスの基軸を絶対に外さす、大いに活躍しなさい。その輪は必ず広がります。理解ある研究者たちは大々的支援するでしょう。

3。そして、その仲間達が職を得た時に皆で喜びなさい。その仲間の連携は、その後の人生の一生の宝となるでしょう。

なんてね、ちょっと説教臭いな~やっぱり。
でもポスドク支援のキャンペーンを私は大々的に支援したいと思う。 

たとえば、おじさん、おばさん達が飲むと「今時の若いもんはーー」の議論に似て、以下のような無理解は横行している。
「今の院生、ポスドクは結構金持ち、なんで優遇しなければならんのだ!そんなことをするから甘えて、贅沢に走る」
「俺たちの時は苦しかったから良かった。ハングリー精神を養うためには苦しい方がいいんだ。苦労させろ!」
「自分たちが飲むためには1万2万、平気で払うじゃないか!なのになんで学会の時だけケチる!アメリカの学会に比べたら破格の値段だ!」などなど。
これらを突破するには、「待ち」の姿勢では変わらない。「攻め」である。
このシリーズは続けます。だからまず(1)



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする