楽学天真のWrap Up


一語一句・一期一会
知的遺産のピラミッド作り

前の記事で、なぜ「帝国」と呼んだか

2017-02-09 00:58:11 | 社会
前回、現在の世界の情勢を記す記事で、括りを、なぜ「帝国」と揶揄して呼んだのか、と思うかもしれない。
多くの論者が指摘するように、19世紀から20世紀初頭があまりにも今と似ているからである。
「我が帝国はーー」などと言うと、ギョッとするかもしれない。当時、識者はそう自らの国を呼んで考えたのではないかという夢想がそう書かせたのである。ただ大きく違うことのは、中華帝国。当時「眠れる獅子」と言われた清帝国は眠ったまま殺されてしまった。

私は右傾化したのかと自問してみる。外から見たらそうレッテルを貼られるかもしれないなとも思うが、そうではないと心の中で首を振る。
人は言うに任せるが、私の価値観の中で、人が生きていくために最も重要な理念は「自由」だと相変わらず思っている。自分で自分にあえてレッテルを貼るとすると「リベラリスト」だと思ってる。それは別な人に言わせると左派と括られるかもしれない。でも「自由主義者」と日本語にすると右派に感ずるから不思議なものだ、とも思う。

だから「人は言うに任せる」しかないのである。

そんな中、「学問の自由を巡って揺れている」という、議論がある。

本当にそうなのであろうか。私は60年代末から70年代前半までの大学紛争を経験した世代。
山本義隆を読んでいる。彼の時代は、私の時代とはちょっと違うが、当時を思い出す。
当時も似た議論があったが、私はしがない新入生。何のことかさっぱりわからずに、突然全学スト。
学問をしたいと言う青春の新鮮な思いが、「学問の自由」を叫ぶ一群の先輩たちによって踏みにじられた。

一世代上、全共闘のカリスマは何を思い、何を行動したかを考えている。
(続く)

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