楽学天真のWrap Up


一語一句・一期一会
知的遺産のピラミッド作り

山本義隆 私の1960年代

2017-02-10 20:21:07 | 社会
読み終えた。

東大紛争を東大全共闘の側から見てどうだったのか、分かった気がする。でも到底納得はできない。
少数意見の側は、自らは正しいと当然思っている。他の少数派と思いや要求は違っても、敵を明確にすれば、恨みで結合し、瞬間的に多数派になれる。
瞬間多数で感情を挑発すれば、暴力的行動は可能である。フランス革命のように。ナチスのように。
封鎖、占拠、団交。
安田講堂、封鎖校舎内での内なる解放区など、同族内パラダイスと変わらない。

大学側の”敵”は強大である。学生側の思いや要求の違いの隙をつく。
全共闘側はそれを押し返すために、さらに普遍性のない暴力、非合法手段に訴える。
と、多数派を形成する時に集まった他の少数派の人心は離れる。
老舗少数派中枢は、最後に負けが明白でも決戦暴力に及ぶ。かつての日本軍のように。
敗北後、最後はセクト内外仲間内での殺し合い。それがなれの果てだ。

そんな経緯、いくら弁を弄しても正義は見えず、説得的ではない。
東大紛争の頭目、東大医学部と東大理学部物理のスーパーエリートがリードしたことが日本を揺るがした。
自業自得の自分らの人生は、どうでもいいが、結果として、人生の潮目を変えざるを得なかった人がどれほどいたかなど、眼中にないかに読める。

軍事研究に絡み、近代以降の歴史において、個々の科学技術者まで総懺悔を求める論点は、到底受け入れられないであろう。
科学史に多くを記したとしても、そのことによっては東大紛争の負の側面への責任は免罪されないだろうし、彼も免罪など望んでいないだろう。




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