昨日、医者に結構驚かされた。
「かなりまずいですぞ」
しかし、仕事が山のように降ってくる。全部やりたい!
学会も山場。こちらは2つ、ほとんど戦略的つぼにのみ目を配るが責任が重い。
今日は夕刻までその会議で、最終便で北海道へ、明日講演をして夜、交流を深めて帰京。
来週からはいよいよ連合の大会。こちらも学界の生き残り発展の戦略的つぼを考えねばならない。
とくに、地球惑星科学、地球環境科学の戦略的つぼとそれを推進するためのaction item提案。
とくに国際戦略は鍵だ。
去った学生代理の発表もあたっけ?大局部分をくっつけて後は代読といおう。
プロジェクト!
どんどん近づいてくる実行段階!まずいぞ!
雑誌のレビュー。
こんな時に限って、論文の査読2件がまだ未了。3本目も舞い込んだ。
最近は、レビューの締め切りが短く、あっという間に期限が来る。しかも国際的にインパクトのある雑誌は締め切りにうるさい。日本と向こうの時差を利用しても、月曜日のこちらの朝が限界だ。
なんせ査読は細かい検討が必要である。きちんと読んでサイエンスのコメントとテクニカルなコメントに分けて、報告しなければならない。斜め読みではまずい。この仕事は研究の未だ世に出ていない前線を理解するのに重要。でも時間がかかる。
うう。データの確認に時間がかかる!
学生の面倒。
問題はこの冬だ。12月中盤から2ヶ月、プロジェクトのため不在となる。最後の追い込みの時にめんどうを見ることができない!この時間を逆算して叱咤激励しなければならない。ピンチはチャンスだと思ってくれ!子供は大人の背中を見て育つ!
あと6ヶ月すなわち180日だ!時間を制する者が世界を制す!
自立の証しは筆頭論文を自力で書くことだ!
学生の進路。
昨今のポスドク問題などは深刻だ。人ごとではない。せっかくいい仕事をしよう!といってもその激励の先までないと頑張れないのは明らか。なんとかせねばならない。しかし、それが彼らにとって、媚を売る鼻先の人参であってはならない。自立し、人と渡り合える人となって自由に羽ばたけ!だ。しかし、その進路を自分だけで見つけるにはこの日本の世の中、まだそうなってはいない。
自立している、しかし、「自分の利益だけではなく、バランスを考えるすばらしい人材だ!この人は座敷わらしですぞ!お買い得!」となってはじめて売れる。学生・院生は我々にとって世に売り出す商品である。
教育これが一番むずかしい!だってこちらの人間も出来ていないのに!
研究。これを一番したい!
しかし、結局いつも後回しになる。歳を取るということは悲しい。ほかの仕事が多すぎる。
でもやりたいこと、知りたいことが湧き出てくる。残された時間がない、記憶がとどまらないので最も大事そうなことに絞るが、それでも時間がない。
そこで一層、人に託したくなる。
10年ほど前に退官したある相当高名な先生が暴言とも思えることをはいて驚いたことがある。
「私はアイディアの湧き出る泉。学生はそれを実現する道具だ!」。
さる友人も同じようなことを言い続けていて、いつも不愉快な気分になった。
「人は道具か!」と。
でも今は分かる気がする。そのあせり。
自分の思いと学生の敏ではない反応にいらだちを隠せない時の表現であった。
でも今はこのことをアカデミックハラスメントという。
元気のある学生は反発する。道具と見られていい思いをするはずがない。
では、真理への思いを如何に継承するのか?
我らの時代と同じく、師弟の間で反逆反逆の下克上の歴史を繰り返すのも手ではある。
でもそれは一代限りの瞬間風速。必ずまた下克上を受ける。大きな樹木には育たない。
それはだいたい戦国時代であり世の中前へ進まない。
膨大な無駄な繰り返しと精神と時間を浪費し、進歩が遅い。
うまい思いの継承がサイエンスフロントの条件であろう。我らは政治をやっている訳ではない。
いまだ日本では団塊世代の「造反有理」的価値観を推奨することをもって合理とする無駄がある。
それを挑発する機運もある。
サイエンスの思いに曖昧さや妥協を残さず詰め切らなければならないのである。唯一の解決策は徹底討論のみである。
むむ!時間を要する。
原稿締め切り!
まずい!4月末締め切り未了!5月締め切り(自分で設定)本の原稿、いまだ執筆開始せず!出版社編集者が怖い!
そういえば昨日、病院帰りにすれ違ってしまった!ニコニコ顔。まずい!
論文原稿まずい。
3本も平行で書きながら中断したまま。
学生に「早くせい!」などと言えた義理ではないが。でも君らにはほとんど無限の体力と時間があるだろう、と居直ることとする。我らの学生時代、目的貫徹のためには帰宅せず2ヶ月や3ヶ月、大学に詰めっぱなしなどというのは当たり前であった、と。
結局、4月から休みもなく5月となり、どうも5月も休みが取れそうもない。
医者に怒られるはずだわいな。
こうやって、仕事がおおすぎ、結局やりきれず、信用を失っていくのだね。
断る!拒否する!「No!といえる楽学」へと人間改造が必要だな。
「喫煙No!飲酒No!」
そんな馬鹿な。
なんか楽しくないぞ?これって変だぞ?
といいつつ、流されていく楽学天真。
おっと出かける時間だ。
「かなりまずいですぞ」
しかし、仕事が山のように降ってくる。全部やりたい!
学会も山場。こちらは2つ、ほとんど戦略的つぼにのみ目を配るが責任が重い。
今日は夕刻までその会議で、最終便で北海道へ、明日講演をして夜、交流を深めて帰京。
来週からはいよいよ連合の大会。こちらも学界の生き残り発展の戦略的つぼを考えねばならない。
とくに、地球惑星科学、地球環境科学の戦略的つぼとそれを推進するためのaction item提案。
とくに国際戦略は鍵だ。
去った学生代理の発表もあたっけ?大局部分をくっつけて後は代読といおう。
プロジェクト!
どんどん近づいてくる実行段階!まずいぞ!
雑誌のレビュー。
こんな時に限って、論文の査読2件がまだ未了。3本目も舞い込んだ。
最近は、レビューの締め切りが短く、あっという間に期限が来る。しかも国際的にインパクトのある雑誌は締め切りにうるさい。日本と向こうの時差を利用しても、月曜日のこちらの朝が限界だ。
なんせ査読は細かい検討が必要である。きちんと読んでサイエンスのコメントとテクニカルなコメントに分けて、報告しなければならない。斜め読みではまずい。この仕事は研究の未だ世に出ていない前線を理解するのに重要。でも時間がかかる。
うう。データの確認に時間がかかる!
学生の面倒。
問題はこの冬だ。12月中盤から2ヶ月、プロジェクトのため不在となる。最後の追い込みの時にめんどうを見ることができない!この時間を逆算して叱咤激励しなければならない。ピンチはチャンスだと思ってくれ!子供は大人の背中を見て育つ!
あと6ヶ月すなわち180日だ!時間を制する者が世界を制す!
自立の証しは筆頭論文を自力で書くことだ!
学生の進路。
昨今のポスドク問題などは深刻だ。人ごとではない。せっかくいい仕事をしよう!といってもその激励の先までないと頑張れないのは明らか。なんとかせねばならない。しかし、それが彼らにとって、媚を売る鼻先の人参であってはならない。自立し、人と渡り合える人となって自由に羽ばたけ!だ。しかし、その進路を自分だけで見つけるにはこの日本の世の中、まだそうなってはいない。
自立している、しかし、「自分の利益だけではなく、バランスを考えるすばらしい人材だ!この人は座敷わらしですぞ!お買い得!」となってはじめて売れる。学生・院生は我々にとって世に売り出す商品である。
教育これが一番むずかしい!だってこちらの人間も出来ていないのに!
研究。これを一番したい!
しかし、結局いつも後回しになる。歳を取るということは悲しい。ほかの仕事が多すぎる。
でもやりたいこと、知りたいことが湧き出てくる。残された時間がない、記憶がとどまらないので最も大事そうなことに絞るが、それでも時間がない。
そこで一層、人に託したくなる。
10年ほど前に退官したある相当高名な先生が暴言とも思えることをはいて驚いたことがある。
「私はアイディアの湧き出る泉。学生はそれを実現する道具だ!」。
さる友人も同じようなことを言い続けていて、いつも不愉快な気分になった。
「人は道具か!」と。
でも今は分かる気がする。そのあせり。
自分の思いと学生の敏ではない反応にいらだちを隠せない時の表現であった。
でも今はこのことをアカデミックハラスメントという。
元気のある学生は反発する。道具と見られていい思いをするはずがない。
では、真理への思いを如何に継承するのか?
我らの時代と同じく、師弟の間で反逆反逆の下克上の歴史を繰り返すのも手ではある。
でもそれは一代限りの瞬間風速。必ずまた下克上を受ける。大きな樹木には育たない。
それはだいたい戦国時代であり世の中前へ進まない。
膨大な無駄な繰り返しと精神と時間を浪費し、進歩が遅い。
うまい思いの継承がサイエンスフロントの条件であろう。我らは政治をやっている訳ではない。
いまだ日本では団塊世代の「造反有理」的価値観を推奨することをもって合理とする無駄がある。
それを挑発する機運もある。
サイエンスの思いに曖昧さや妥協を残さず詰め切らなければならないのである。唯一の解決策は徹底討論のみである。
むむ!時間を要する。
原稿締め切り!
まずい!4月末締め切り未了!5月締め切り(自分で設定)本の原稿、いまだ執筆開始せず!出版社編集者が怖い!
そういえば昨日、病院帰りにすれ違ってしまった!ニコニコ顔。まずい!
論文原稿まずい。
3本も平行で書きながら中断したまま。
学生に「早くせい!」などと言えた義理ではないが。でも君らにはほとんど無限の体力と時間があるだろう、と居直ることとする。我らの学生時代、目的貫徹のためには帰宅せず2ヶ月や3ヶ月、大学に詰めっぱなしなどというのは当たり前であった、と。
結局、4月から休みもなく5月となり、どうも5月も休みが取れそうもない。
医者に怒られるはずだわいな。
こうやって、仕事がおおすぎ、結局やりきれず、信用を失っていくのだね。
断る!拒否する!「No!といえる楽学」へと人間改造が必要だな。
「喫煙No!飲酒No!」
そんな馬鹿な。
なんか楽しくないぞ?これって変だぞ?
といいつつ、流されていく楽学天真。
おっと出かける時間だ。
空海の風景〈下〉中央公論社このアイテムの詳細を見る |
この下巻は先週九州でひょんなことからよった古本屋で手に入れた。100円!
上巻が680円もしたのであるから大もうけ!
さて、上巻は忙しく1ヶ月もかけて少しずつしか読めなかったのに下巻は一気に読んだ。
下巻の焦点はほとんど最澄との確執模様。
権力も得て絶頂であるはずの最澄、しかし最先端の密教がない。
いまだ権力に届かず、しかし今最先端の密教、しかもその正嫡のお墨付きまでもっている空海。
なにやら、明治時代に西洋から最先端の科学を輸入する競争にも似ている。
しかしスケールは全く異なる。なにしろこの平安初期は国家の中枢事項である。
真っ正直であるが故に、最高の地位まで上り詰めた最澄。しかし、その地位を維持するためには最先端でなければならない。
真っ正直に空海に密教を学ぼうとする最澄。しかし、透けて見える最澄の意図に頑として、かつ人間関係を壊さずにすり抜ける空海。そこに天皇と藤原家の確執がかぶさる。
平安初期の日本の中枢も確かに広がる壮大なアジアの国際社会の最先端と切り結んでいたのである。
この小説の描く空海も最澄も人間として生臭くひびく。
私は、司馬がこの小説を書いた70年代前半という時代を見ている。
私らの世代が大学紛争をくぐり抜けた時代である。司馬にはそのようなことは小事であるかのようだ。
この中にそこから抜けて来て修行にかかずる学生らしい若者が登場し、司馬が質問をする場面がある。
「空海以降、この宗教に偉大な僧があらわれたか?」
「○○」
しかし、司馬のそのことに対する評価は低い。
第2次大戦を生き抜けた司馬のスケールには遠く及ばない。
空海VS最澄。
最澄は結果として密教に圧倒されるが、その後、平安時代を抜けて鎌倉へつながるとき、圧倒的な鎌倉仏教として発展する土壌となる。すなわち瞬間風速ではわからないのが歴史である。
科学の発展も似ている。その時代の瞬間風速だけでは計り知れないのが歴史の醍醐味でもある。
空海が高野山を作り始めるのは40歳を超えてからであることも面白い。
この高野山の地はかつて調査でうろうろしたこともあり、なつかしい。
それを40を超えてそこで空海が死ぬまでの20年足らずのうちにいわば都にしてしまったのである。
かつて調査でうろうろしたこともある、うっそうとした高野の森を思いながら、読み終えた。
確かに、たった60年という短い人生を目一杯駆け抜けたミレニアムスケールの天才であったのだな、と思いつつ。
<短く一回しかない人生、一所懸命生きているか?>
と迫ってくる。
今日も暑い!
空海の風景〈上〉中央公論社このアイテムの詳細を見る |
この間、忙しくも隙間時間で読んだ(今読んでいる)一冊。
私は、四国にしかも香川に12年も住んだのに、そしてせっかく今も頻繁に四国や九州に出張するのに、この弘法大師についてはほとんど知らない。
そこでこの本を読み始めている。
司馬流の独自の解釈と思いが散りばめられているが、彼の見る歴史上の人物観は一貫している。
歴史を揺るがしたスーパースターとはどのような人間であったか、その人物をとりまく人間模様と世界の中での位置を主観的に描き出すのである。
この空海観もそのような一冊。日本と中国の中央を巻き込み、かつそれまでの常識に挑戦する姿は本当におもしろい。
彼の一貫した興味は、下から這い上がる人物の熱さと、それを押し上げる時代と人の取り巻きの絡み合いである。
同じ時代、天台の最澄との激しいライバル模様、ついにつかみ取る真言密教の全貌と中国人を超えて得た、正当な密教の嫡の地位、遣唐使中国滞在20年の義務を犯し、たった2年で帰国する背景となった世界観、人生観。
全てが大きなドラマを見ているようだ。
天下を目指す諸君!おもしろいですぞ。
連休も終わり、さ!今日から日常だ。
2日続いた雨も上がった。今日は暑いらしい。