西野了ブログ テキトーでいいんじゃない?

日々浮かんでくる言葉をエッセイにして・・・・・・。小説は「小説を読もう 西野了」で掲載中です。

「暴力は親に向かう 二神能基著」の衝撃 その1 

2008-01-31 08:57:37 | Weblog
 この本の著者はあのレンタルお姉さんで話題になった、NPO法人ニュースタート事務局の代表者である。彼は40年以上教育現場でこどもや若者たちと接してきて、現在はひきこもり、不登校、ニートの若者たちの再出発を支援するニュースタートの代表として活動している。
 この本を読んでまず驚くのは、家庭内暴力の凄まじさだ。肉体的物理的な暴力の激しさにも唖然とするが、それにも増して精神的な暴力に「正直ここまでやるのか」と息をのんだ。たとえばある若者は自分の母親の髪の毛をバリカンで刈り上げ、モヒカンカット(鶏のとさかのような格好)にし片方の眉毛をそり落とし、なおかつその姿でスーパーに買い物に行かせたというのである。またある母親は日常的に息子に12年間も激しい暴力を振るわれ続けたということだ。そして二神氏はこのような家庭内暴力が現在、日本全国で約20万件存在しているのではないかと推測している。親による子殺し、子による親殺しが日常的に報道されるが、それは上記のような暴力が蔓延して、殺人が発生するその下地がつくられているからなのだ。
 二神氏は家庭内暴力が発生するその原因を大きく二つあげている。
そのひとつが「友達親子」である。これはいわゆる「親」と「子」の縦の関係ではなく、親子なのに「友達同士」という横の関係だと僕は解釈している。一見子供を尊重しているようなこの「友達親子」は実は大変危険だという。親が子供に自分の価値観を押し付けて、子供が乗り越える壁となることを回避しているのだ。親の最も重要な役割として子供を自立させることがあげられるが、この「友達親子」は親が自分の指針を示すことをせず、子供に反抗期をつくらせず、その役割を放棄している。
 以前僕がテレビを見てびっくりしたことがある。ある高校の男子シンクロの全国大会の模様が放映されていた。まあ、全国大会という舞台なら親も喜んで応援に行くだろうと思う。しかし、この放映された親子は練習中も同じなのである。子供のシンクロの練習に母親は日参しているのだ。そしておやつとかを差し入れして母は喜々としているのだ。今思えば、これは二神氏の指摘している「友達親子」の一例だと思われるが、僕はこの場面を見て異常な違和感を感じたものだ。(その2へ続く)
コメント
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