妻との約束守った 琴奨菊
■青山愛 戦士のほっとタイム
初土俵から丸14年。大相撲初場所で、日本出身力士としては10年ぶりとなる優勝を遂げた琴奨菊関(32)に、相撲人生を振り返ってもらいました。
――初優勝おめでとうございます。
場所中、記者の皆さんには「充実してます」と言っていたのですが、実は、自分との葛藤で寝られない日が続いていました。緊張と気持ちの高ぶりもあって。特に14日目に白鵬関が負け、私が勝った後、「これで優勝だ」という周囲の盛り上がりは肌で感じました。ここで冷静になれ、まだ何が起きるかわからないって自分に言い聞かせて、千秋楽に向けて準備しました。すべて報われて本当によかった。優勝の翌朝、若い衆に「新聞は全紙買っておいて」と頼みました。
――優勝を果たした今、気持ちに変化はありますか。
もっと相撲道と向き合って、新たな目標を自分で立てないといけないと思っています。あの賜杯の重さ。また、体験したいですね。
――日本出身力士として10年ぶりの優勝です。
どの会場でも「日本人、頑張れ」って声援をもらっていました。たまたま私の初優勝がそうなりましたが、恩返しができたのかなと思います。
■ルーティン守る
――大関といえば、取組前に体を反らす動作が注目されました。あの動きの意味は?
自分にスイッチを入れ、迷いを消すためです。ラグビーの五郎丸選手も「ルーティン」をやってますが、自分も同じ。余計な力を抜き、やるべきことに意識を集中させるためにやっています。
それ以外も、場所中は一日中がルーティンなんです。朝7時半に起きて、8時10分に稽古場でまわしをつける。四股を30回踏んで、というように。ちょっとした体の異変も感じ取るためなんです。夜も同じ時間に寝て、翌朝、体調が良いか悪いかを自分なりに判断します。
■亡祖父が導いた
――相撲を始めたきっかけは何なのでしょう?
亡くなったおじいちゃんが相撲が好きで。小学3年の時、「お前が相撲を選ぶなら、家の横に土俵をつくってやる」って言われたんです。その土俵で毎日のように稽古をしてました。相撲の大会に出た時、「これグレープジュースだから飲め」って渡されたのが、実はスッポンの血だった。「おなかすいたら食え」ってポケットににぼしを突っ込まれるのも毎日でした。そのおじいちゃんの存在が、ここまで私を導いてくれたのだと思います。
――優勝が決まった瞬間、ご両親は泣いていました。
泣き過ぎだろって思いました。けど、いつも一緒に戦ってくれているなあって。小学3年で始めた相撲も、家族が敷いてくれた一本のレールを私が走っただけなんです。成績を残せず、けがも多くて、両親にはつらい思いをさせてきました。この優勝で少し親孝行できたかな。
――昨年、結婚された奥様の存在は?
私に癒やしを与えてくれています。土俵上はすごく孤独なんです。勝つも負けるも、全て自分に跳ね返る。体力よりも気力が消耗するんです。自宅に帰って奥さんに会うと、全てを忘れさせてくれて、次の日への気力をためることができます。付き合った当初、「賜杯を抱いて、一緒に座って写真を撮ろうね」と約束しました。実現できてよかったです。
――プロポーズで大関から奥様に贈ったという絵本をお父様に見せてもらいました。その最後に〈かわいいお嫁さんがいたら安心だ。あとは、日本人横綱の誕生を祈るばかり〉と書いてありました。
素直な気持ちで書きました。
――かわいいお嫁さんは手にされて、次は日本人横綱ですね。
今回の優勝を経験して、本当に手にできると確信できた部分もあります。でも、足りないこともいっぱいある。やるべきことは明確に見えてきたので、しっかり努力していきたいと思っています。
■温かな笑顔のヒーロー
包み込んでくれるような温かな笑顔に、思わずこちらも頰が緩んでしまいます。アンパンマンのように、自分がケガをしてでも周りを幸せにしたいと話す琴奨菊関。優しくて力持ちなお相撲さんは、もうすでにたくさんの方のヒーローですね。帰り際、「ありがとうございます」と深々とお辞儀をされた姿が心に残りました。(テレビ朝日アナウンサー)
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ことしょうぎく 本名・菊次一弘。1984年1月、福岡県柳川市生まれ。小学校時代に相撲を始め、相撲の強豪の高知・明徳義塾中学、高校に進学し、佐渡ケ嶽部屋へ。2002年初場所で初土俵。11年秋場所後に大関に昇進した。殊勲賞3度、技能賞4度。身長179センチ、体重180キロ。