なおじい(HOBBY:カメラ・ビデオ撮影・DVDオーサリング/資格:ラジオ体操指導員・防災士・応急手当普及員)

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日本に根づいた? 日本で生まれた? ロシアの食べ物

2016年06月13日 08時29分00秒 | ブログ

日本に根づいた? 日本で生まれた? ロシアの食べ物

 

具がたっぷり入ったボルシチ。ビーツによる鮮やかな色あいも魅力

具がたっぷり入ったボルシチ。ビーツによる鮮やかな色あいも魅力

6月12日は「ロシアの日」。1990年のこの日に、ロシア共和国が主権宣言を採択したことから定められました。
ロシアは日本の隣国のひとつ。両国のさまざまな交流、互いに影響を与えあってきた歴史を、シリーズでご紹介しています。
今回、取り上げるのはロシアの「食べ物」です。
ロシアにとくに関心がない方でも、「ボルシチ」「ピロシキ」「ビーフストロガノフ」……など、聞いたことがある料理が多いのではないでしょうか。
いつ頃から日本に伝わり、これほど親しまれるようになったのでしょうか?
 

ロシア料理を日本に伝えたのは、あの有名な教会?

歴史の転換期に、ロシア料理が日本に伝わった
歴史の転換期に、ロシア料理が日本に伝わった
ロシア料理が日本に伝わった時期は、よくわかっていません。以下にご紹介するのは有力な一説です。

1858年、函館にロシア領事館が設置されます。
その数年後、領事館の敷地内に、有名な「ハリストス正教会」が建てられました。
ちなみに、この教会に迎えられたのが、東京・神田の「ニコライ堂」にその名を残すニコライ神父です。

このハリストス正教会で、ロシア料理を学んだ日本人がいました。
それが、函館の老舗レストラン「五島軒」の初代コック長である五島英吉です。
戊辰戦争で、旧幕府軍の一員だった英吉は、ニコライ神父に匿われ、やがて教会の従者として働くようになります。その中で、ロシア料理の作り方、パンの焼き方などを習い覚えたのだそうです。

もちろん、日本にロシア料理が伝わった時期は、これだけではありません。
20世紀初頭のロシア革命では、多くのロシア人が国外に脱出しました。
大多数のロシア人は欧米への移住を希望しましたが、一部の人びとは日本に住み続け、ロシア料理店を開業したり、日本人にロシア料理を教えたのです。

また、いったんは中国やアメリカに亡命したロシア人が、近代化が進む日本にビジネスチャンスがある、と来日したケースも多かったようです。

第二次世界大戦後には、日本人によるロシア料理店も増加しました。その担い手となったのは、戦前に中国東北部に移民していた人びと。現地で習い覚えたロシア料理を、帰国後に日本で再現したのです。
 

ボルシチは、盲目のロシア人作家が伝えた?

もともとウクライナの郷土料理だった「ボルシチ」。
地域によって、牛肉や豚肉、鶏肉、羊肉、野菜や豆などさまざまな具材が使われます。どこか素朴な味わいが、ほっとさせてくれる料理ですよね。

寒い時期に食べたくなるボルシチですが、夏向きのボルシチもあります。
それは、リトアニアで「ハラドニーク」と呼ばれる、冷たいボルシチ。ビーツやきゅうり、タマネギなどの具がたっぷり入った、夏によく作られる料理です。

このボルシチを日本に伝えたのは、ロシア人の作家だという話があります。
それは、1914年に来日したワシーリー・エロシェンコ氏。盲目だった彼が来日した理由は、「日本では(マッサージなどの仕事で)目の不自由な人が自活している」という噂を聞いたからでした。

エロシェンコ氏が身を寄せたのは、「新宿中村屋」。
創業者である相馬夫妻を中心に、国内外の作家やジャーナリスト、画家などが交流する、国際文化サロンのような場になっていました。
その交流の中で、インド独立の闘士ボース氏がカレーを、エロシェンコ氏がボルシチを伝えたのだそうです。
 

あの寿司ネタも、おつまみも、ロシア語由来の名前

日本でイクラを食べるようになったのは、意外と最近!?
日本でイクラを食べるようになったのは、意外と最近!?
寿司ネタでもおなじみ「イクラ」が、ロシア語で「魚の卵」を意味する、というのはご存じの方が多いかもしれませんね。
ロシア語では、鮭の卵に限らず、魚の卵ならすべて「イクラ」。
日本で言うイクラは「赤いイクラ」、チョウザメの卵(キャヴィア)は「黒いイクラ」と呼ばれます。

ちなみに、日本で現在のようにイクラが食べられるようになったのは、大正時代以降のこと。
それ以前の、保存技術が発達していなかった時代には、スジコをばらして乾燥させた加工食品などが出まわっていたようです。

コンビニでもおなじみのセミドライソーセージ「カルパス」。
このカルパスも、ロシア語でソーセージを意味する「カルバーサ」に由来しているそうですよ。
 

日本生まれの「ロシア料理」がある!?

最後にご紹介するのは、日本でしか知られていない(?)ロシア料理です。
それは「シャリアピン・ステーキ」。ロシア人の声楽家フョードル・シャリアピン氏のリクエストで生まれた料理です。

ロシア革命後の、日本に滞在するロシア人が増えていた時代のこと。
来日したシャリアピン氏は、宿泊先の帝国ホテルで、「私は歯が悪いので、何かやわらかい料理を」と注文しました。
その求めに応じて、帝国ホテル「ニューグリル」の料理長・高山(筒井)福夫氏が考案したのがシャリアピン・ステーキ。命名にあたっては、シャリアピン氏の了承も得たのだとか。

日本の「西洋風ホテル」とロシア人については、興味深い歴史があります。そのお話は、またあらためてご紹介します!
次回は、ロシアの「お菓子」についてのお話をお届けしたいと思います。

梅雨時の体調管理は食から! 冷えやだるさに効く食材とは⁉

2016年06月13日 07時31分27秒 | ブログ

梅雨時の体調管理は食から! 冷えやだるさに効く食材とは⁉

 

春から夏へ、梅雨はまさに季節の変わり目。私たちのからだのはたらきも、変化の只中にあります。この時期は湿度が高くじめっとした日が続くかと思えば、肌寒い日もあったりと日ごとに寒暖差が激しいのが特徴。体調管理がむずかしい季節といえます。冷えやだるさからくる不調の予防は、毎日の食事のちょっとした工夫から。楽しみながらおいしく体調を整える、梅雨時ならではの食材と食べ方をご紹介します。
 

お助け食材で、寒暖差を乗りきる!

気温や湿度が大きく変化する梅雨時。体温調節や発汗作用がうまくはたらかずに、風邪気味でだるさを感じたり、おなかをこわしやすくなりがちです。そんな時に、ぜひ食べたいのが梅干し。クエン酸などの豊富に含まれる有機酸が代謝をうながし、おなかの調子を整えて免疫力を高めてくれるほか、梅干しの塩分がからだをシャキッと引き締めてくれる効果もあります。

梅干しには強力な殺菌作用もあり、食中毒の起こりやすい梅雨の季節にはありがたい食材。お米に梅肉をまぜた梅ごはんや野菜の梅和え、いわしやごぼうの梅煮など、梅酢や梅干しを加えた料理を食卓に並べて、おなかの不調の予防、食欲増進、気力回復をはかり、梅雨時の不調を予防しましょう!
おなかの不調の予防、食欲増進、気力回復に。

おなかの不調の予防、食欲増進、気力回復に。

 

陰の季節には、乾物のパワーを取り入れて

やがてくる夏が陽の季節ならば、梅雨は陰の季節。からだもむくみや冷えなどの変化がおこりやすくなります。陰の季節を乗りきるのにぴったりなのが、太陽のエネルギーをたくさん浴びた乾物。この時季は旬の野菜や根菜類が少ないので、ビタミン・ミネラルや食物繊維が豊富な乾物が重宝します。切り干し大根や車麩、高野豆腐にごま、豆などがおすすめ。特に豆や豆腐の加工食品は良質なたんぱく質が豊富なので、陽のパワーの補給にぴったりです。

梅雨時は、ストックしてある乾物などの保存食品を使い切る時季でもあります。梅雨の湿気を含み夏の熱気を受けると、とたんに品質が劣化してしまうのです。保存食品の整理と梅雨時に不足しがちな栄養補給の両方を兼ねて、おいしくむだなく乾物を食べ切りましょう。
太陽のエネルギーをたくさん浴びた乾物。

太陽のエネルギーをたくさん浴びた乾物。

 

慎重に食べたい、梅雨時の夏野菜

この時季の夏野菜は、まだまだ旬は先。身体を冷やす作用が思いのほか強いので、慎重に食事に取り入れましょう。油断するとおなかをこわす原因に。梅雨が完全に明けきるまでは、火を通して食べるのがおすすめです。たっぷりの夏野菜でつくる揚げびたしやラタトゥイユ、ミネストローネなどの温かい汁物に。彩りのよい料理は、梅雨時の食卓をぱっと明るくしてくれそうですね。

季節に合わせた食材や食べ方を、ぜひ毎日の生活に取り入れて。からだのリズムをととのえ、ツライ梅雨時の不調を予防しましょう。
夏野菜は火を通して食卓に。

夏野菜は火を通して食卓に。