Serendipity…喜怒哀楽ヒトリゴト ♪

日々の徒然なる喜怒哀楽な出来事を私的に記しています
☆Serendipity 幸せな偶然がたくさんありますように☆

TV「英雄マルディーニの素顔に迫る」

2009-10-24 | Football&F1
『大杉漣が行くイタリアサッカーの世界・英雄マルディーニの素顔に迫る』
永久保存版です
すっごいミラノに行きたくなったよ。
BSジャパンの上のどなたかに、パオロファンがいるのかな。
日本の番組にOKしてくれたパオロにも嬉しい。
は~~~、かっこいい
そ~言えば、番組中に出てたイタリア人のイタ語は、
日本語訳された声に変えられてたんだけど、
もしやパオロもそれだったら最悪、要クレーム!と思ったんだけど、
パオロの時だけは声が被せられず、きちんと下に字幕がありました。
パオロのイタ語も含めて聞きたいんだからさ。
誰だか知らない日本人の声に被せられなくて良かったわ。

大杉漣氏のインタを抜粋してみました↓
むか~し出版されたパオロのビデオで、パオロの字幕の表現が、
『俺は~』とかそんな調子でワタシ的にはちょっと微妙だったんだけど、
今回の字幕の方がきっとパオロをきちんと訳してくれた感じではないか、
と思われます。


Q:サッカーは自分がやりたいと思ったんですか?

P:別に父から強制されたわけじゃない。
  自分が凄く好きで教会の横にある運動場で
  いつもサッカーを遊びでやっていたんです。
  その時、父に「じゃあやってみるか?」って聞かれて、
  ミランのジュニアユースに入ったんです。
  でも、父の本音は部屋でサッカーをやっていると、
  色んな物を壊すから勧めたんじゃないかな(笑)


Q:25年間、選手としてもモチベーションをどう維持したか?

P:25年間、同じチームでよくモチベーションを保てるね。
  って聞きますけど、僕にとっては別に不思議な事ではなかった。
  プレッシャーと楽しみは違うけど、辛い練習をする、
  辛い思いをするのが好きだったからでもあるんです。
  もう一歩上を目指すには努力をすることが必要。
  辞めようかなと思った事もあったけど、頑張る気持ちが大切なんです。
  だから、最後の10年間は自分との戦いだった。
  例えば、40歳になって18歳の選手と一緒に試合をするということは、
  自分との戦いだからね。


Q:25年間、ACミラン一筋でやってきたこだわりは?

P:父もミランでプレーしていたし、家族がミランとすごい繋がりがあるんだ。
  10歳から31年間ずっとやってるし、僕が生まれ育った街のチームだし。
  ミラン以外の街のチームとの繋がりは考えられない。
  他のチームからのオファーの話はあったけど、納得できるものはなかった。
  それに、僕とミランとの関係が強いことをみんな、
  分かっていたからだと思います。


Q:引退を決意した理由は?

P:41歳まで続けたけど肉体的に限界です。
  高いレベルでプレーできれば引退はしなかった。
  選手として恥ずかしい姿を見せてまでも続けるつもりはない。
  常に最高のプレーが出来る状態でピッチにたちたいから。
  引退を決意したのは身体の回復力なんです。
  20代の頃は1日で身体が元に戻ったんですが、
  年齢と共に2日になり、今はそれ以上になったんです。
  サッカーを辞めた後の人生でも、子供達と楽しくサッカーを
  続けられる身体を残しておきたかった。


Q:子供達にサッカーを教えますか?

P:コーチや監督はやりたくない。
  だけど、僕の子供達にはサッカーを教えたいな。


Q:(大杉漣が)1ファンとして、クリスチャンが3代に渡って
  ミランでプレーする姿を見たいと思ったりするんですが。


P:(パオロ笑いながら)チェーザレおじいちゃんも見たいと思うよ。
  息子達が選手になっても、「背番号3番はいらない。
  他の選手の番号がいい」って言うかも知れないけど。


インタビューを終えて、『男が見てなんか男が惚れるってあれですけど、
ほんとに・・・素敵な人間っていうか、ホントにいかした男でした』

いいな~、大杉漣になりた~~~い

パオロ右手首のジャラジャラアクセが欲しい。
未だに、サンシーロ最終戦でローマ選手が着てた「Grazie Paolo」シャツと、
パオロ現役最終戦vsフィオレンティーナの映像を見ると涙腺が緩む

今後の去就についての結論は、まだ達してないようです。
ドナテッラ姉さんが、『小さい犬がいるから』と言ってたから、
どのワンコを飼ってるのか見たかったのに、結局インタの間も
現れなかったのがざ~んねん。
パオロ宅のワンコにもなりたい
ありがとう、BSジャパン!