ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

オールドブラックジョーの世界

2014年02月06日 19時14分03秒 | ペタンク爺さんの一日
若く陽気な日々は過ぎ去り 友人らも逝ってしまった 僕もすぐに逝くよ

アメリカ民謡の父ステーブン・フォスターが誕生したのは1826年で今から200年近い昔で1861年の彼の85歳の時の発表されたオールドブラックジョーが遺作と思っているが、彼の生きた年齢に限りなく近づきつつある今、この歌のメロデーと歌詞は身につまされる歌となって迫って来ている。
1848年22歳で「おおスザンナ」から始まり「草競馬」「故郷の人々」「主人は冷たい土の中」「ケンタッキーの我が家」「金髪のジョニー」と死後発表された「夢路より」の曲のメロデーを正確ではないが全部覚えていることに少し驚きを感じている、学校唱歌にもなっている曲もあるがどの曲も心を揺さぶる名曲と音楽が判らない私でも感じているが、彼の生い立ちなどは調べたことも無い、ただ曲の魅力に取りつかれていると思っている。

つい最近悪友6勇士顛末で述べているが、高校時代私を含めて6人の仲良しグループがいて何かにつけて一緒に遊んでいたことを思い出す、今年の正月には音信がすべてが途絶えた、昨年まで生き残っていた親友のひとり菅野君が旅立って行き明後日一周忌を迎える、昔話を語る友達がとうとう途絶えてしまった、寂しいの極みだ、一番親しかった工藤君が亡くなって3年になるが、彼の突然と他界には驚くばかりで心の準備も無い内に去って行ったと思っている。
菅野君と工藤君は早くから札幌の住人になっていて、最初に菅野君にペタンクの世界に誘い込んだ良く池田や美幌大会に誘って出かけいいた。
工藤君は少し遅れてペタンク界に勧誘し最後まで行動を共にしてくれた、手稲地域にペタンクを根付かしたのも彼の力が無かったら出来なかった。

1990年に創設した札幌協会を離脱し北海道ペタンクリーグを立ち上げ立ち上げた時に、工藤君は行動を共にしてくれたが菅野君は協会に残った、菅野君とは暫くは交流が途絶えていたが5年ほど前連れ添いが旅立ったのを機会に会の代表を退くと共に札幌協会に復帰した、菅野君とは再会は出来たが何となく蟠りが出来ていた、彼の持病の糖尿病で苦しみながらそれでもペタンク大会などには夫婦で出ていたので、陰ながら頑張ってほしいと密かに思いつめていた。

久しぶりに独りで友人菅野君と昔物語をして偲ぶか。
トップ写真は輪西駅前で左から工藤君、佐々木君、五十嵐君、菅野君で、磯釣りで小幌岬に出かける所のスナップ写真で、高校卒業間もないころです。

病院内の喫茶コーナーで
久しぶりの珈琲でした

今年も早々お出まし