私と二つ違いの妹の突然の悲報が昼頃届く、北海道の遠藤家は親父とおふくろ時代に北海道に移住して来ていた、私の生れ故郷は新潟だが私が三歳の時なのでもうその時はすぐ下の妹も生まれていたことになる、私の上には姉と兄貴がいたが体一つで北海道まで流れて来ていたので兄貴も姉も親元に預けて出て来ていた。
それから私が小学校に入学するころになり兄姉を親元から引き取った、すぐ下の妹とは年も近かったので自然と関係が深かったと思っている、妹の性格は親父に一番近かった、勘が鋭く高校時代は優等生総代にもなっていたくらいなので親父は良く男ならよかったのにと良く云っていたことを思い出す。
親父は大学に入れたかったらしいが、本人は其れに逆らって家でもしている、彼女の希望は今でいうデザイナー志願だったと思っている、それでも親が決めた銀行員の男性と結婚する、親は裁判官をするほどの秀才家系であったが、大和撫子のようにかしずく女性でなかった、間もなく離婚してしまったが何ともやりきれない歳月が過ぎ命を絶った夫、残された息子二人も次男は普通に結婚したが数年前旅立った、最後まで一緒に行動していた長男はもう50才になると思うが未婚だった。
その長男からの悲報で、今残っている兄弟が私と今同居している妹と沖縄に居る末の妹の3人の縁者だけになってしまった。
10年ほど前に札幌を切り上げ名古屋に住んでいた長男の近くに引っ越していった、矢張り乳がんが原因で先のことを考えての英断だったと思っている、私も昨年胃癌にならなかったら屹度元気の内にと訪ねて行こうと思い詰めていた、残念ながら元気な顔を見られないが連休明けの7日には札幌から駆けつけることにした。
77歳の古稀と思っている。
子供の日はお寿司で
それから私が小学校に入学するころになり兄姉を親元から引き取った、すぐ下の妹とは年も近かったので自然と関係が深かったと思っている、妹の性格は親父に一番近かった、勘が鋭く高校時代は優等生総代にもなっていたくらいなので親父は良く男ならよかったのにと良く云っていたことを思い出す。
親父は大学に入れたかったらしいが、本人は其れに逆らって家でもしている、彼女の希望は今でいうデザイナー志願だったと思っている、それでも親が決めた銀行員の男性と結婚する、親は裁判官をするほどの秀才家系であったが、大和撫子のようにかしずく女性でなかった、間もなく離婚してしまったが何ともやりきれない歳月が過ぎ命を絶った夫、残された息子二人も次男は普通に結婚したが数年前旅立った、最後まで一緒に行動していた長男はもう50才になると思うが未婚だった。
その長男からの悲報で、今残っている兄弟が私と今同居している妹と沖縄に居る末の妹の3人の縁者だけになってしまった。
10年ほど前に札幌を切り上げ名古屋に住んでいた長男の近くに引っ越していった、矢張り乳がんが原因で先のことを考えての英断だったと思っている、私も昨年胃癌にならなかったら屹度元気の内にと訪ねて行こうと思い詰めていた、残念ながら元気な顔を見られないが連休明けの7日には札幌から駆けつけることにした。
77歳の古稀と思っている。
子供の日はお寿司で
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