ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

半日仕事三日目

2014年02月13日 19時51分01秒 | 橇爺(そりじい)モード
還暦で生まれ故郷に足を入れてから、もう20年も経っているのに少し驚いている、生れは新潟の弥彦さんの裏側に位置する小さな海岸の村で昔は海岸線道路は無く、峠を越えて村に入っていた、生まれて故郷の記憶がない3歳頃に親と共に故郷を後にして、6歳の夏に兄と二人で帰省した少年の記憶がその後の故郷の記憶が故郷の思いでの全てだった、今思い出しても胸が締め付けられる思いが蘇えってきて美しく故郷を美化し夢まで出てくる。
この後、55年後の還暦に故郷に入ったときは峠にはトンネルが開通していたり、海岸線はバイパス道路が貫通していて夏の海水浴時期は賑わいを見せているらしい。
と云っても、このころ民宿が数件ありその一軒にお世話になっている、その時感じたことは兎に角村が狭いと云う事だった何もない村で必然的に出稼ぎの村だとも聞いていたが実感させられた事を思い出している。
嬉しい事に、父の妹が存命でお会いできたことだった、父は長男で家督を継ぐ位置にいたのだが親と折り合いが悪く、次男に家督をゆずり北海道に移住した。

この時でも次男は村を出ていて、古いお墓だけ残っていたが数年後訪ねた時はお墓が新しく建て直されていた。
それ故、遠藤家は本家の屋敷だけは残っているが今どうなっているか判らないし、調べようともしていない。
私の系統の縁者も、もう故郷には誰も居なくなっている、だだ隣同士だった父と母の実家の跡が何処かの畑になって残っていて微かに遠藤家の足跡を感じさせてくれる。
その後、古稀、喜寿、も通り過ぎ傘寿なった、予定は米寿と卒寿が残るだけ、もう一度くらい生れ故郷に行ってみたいと思いを新たにしている。

半日仕事3日目、生憎雪が降りしきる現場になったが子供は風の子と近くの幼稚園生が大挙して月寒公園に来てくれた、手に手に米袋に座布団を入れた手作りそりを持ちそり山に遊びに来てくれた、良く見ると3歳~4歳くらいの可愛い子供達で寒さにも負けないで遊びこけているのを見て遠い昔の私と重ね合わせて見ていた、今日も本間氏が同伴しお昼は蒸かしさっま芋を作り其れを食べ終わった途端公園を引き揚げてくる。(正味2時間のさぎ)

近くの幼稚園児そり山に遊びに来てくれる




嬉しい贈り物戴く

直ぐ近くに嬉しい業務スパー出来る

年寄り半日仕事

2014年02月12日 16時42分29秒 | ペタンク爺さんの一日
久しぶりに朝から晴れ上がっていた、昨日から週末に開催する「第8回とよひらおもしろスノーパーク」の前出が始まっていた、若いころからイベントに関わり前でも数多く経験してきたがこの齢になると気持ちがあるが体が付いて行かなくなっていた、其処で今回は病み上がりのこともあり5日前から前出のスケジュールを組んだ、そして昨日から1日2時間を作業時間にして始まっていた、今日は本間氏が一人加わったので作業はスピードが加わった、10時頃に現地入りし現場を引き揚げ帰宅したが午後1時にはなっていなかった。
効率よい作業で正味2時間、後は用意していった即席ラーメンを携帯バーナーで作り簡易仮設手テント本部でお昼にした、食べ終わって其のあとは作業に戻らず二日目も引き上げて来た。
この後三日間の前で日があるので、年寄り半日仕事で準備が整うと計算している、明日も本間氏が加わるので半分くらいの作業工程がおわるかと思っている。

昨日から二日間雪踏みが続き、久しぶりに汗をかいた午後2時の開店を待って銭湯月見湯に行ってくる、内風呂もあるが大きな湯船にゆったりと入ることとサウナ風呂が魅力のひとつで通っているが真冬は露天風呂は滅多に入ることは無い、市内の銭湯料金は420円なのだが私も月見湯の常連の仲間入りしているのか何時も380円にしてくれている。

今日の公園でのお昼は、いまテレビで宣伝中のサンヨウ食品のサッポロ一番・頂のラーメンを作って食べたが、明日は目先を変えて蒸かしさつま芋を考えている、飲み物は珈琲を落とそうと思っている。
コールマンの簡単組立テントを持ち込んでいるが、ワンタッチで組み立てが出来仕舞い込むのも早々と出来てしまうので便利なテントとして使っている。

七つ道具

銭湯・月見湯




男の料理(茶わん蒸し)

2014年02月11日 18時02分26秒 | ペタンク爺さんの一日
料理の情報は殆んどテレビがらだが、今回もNHKか民放だったか忘れたが、難しいと思っていた茶わん蒸しが簡単に出来てしまうのを見て、又もや男の料理モードに火がついっしまった、少し前から蒸し料理に興味を持ち簡単なものを実践して来ていた、短時間で出来る事や食べても美味しい料理が出来き難しさが無いのが男の料理に向いていると思っていた。
今回テレビで見たものは、蒸し器を使わないで丼で作るのが気に入った、余りの簡単な作り方にメモも取らずに見入ってしまった、忘れないうちにと今日の夕食の一品に考えていた。

午前中朝から降り出していた雪が11時過ぎまで降り続いていた、予報では昼から太陽が覗くと放送していたので、早めに簡単蒸し料理で男爵イモを蒸したもので腹ごしらえしてた、今日から月寒公園のそり山コース整備に入ることにしていた、祭日だったが午前中は雪が降り続いいたので人影は少なかったと思っている。
12時少し過ぎにはそり山に着いていた、公園の裏側から入りギリギリの所に駐車場スペースがあるが雪除けしなければ車を置けず10分ほど駐車場作りに手間取る、明日からは平日なので朝10時には現地入りすることにしているので、多分専用駐車場として使えると思っている。
明日明後日は、本間氏が協力してくれることになっているので仕事も2倍はかどると思っている、今日は一人で2時間近く、コース内の雪踏みをしてくる朝から降った雪はスノーシューを穿いて入っても足首位の新雪になっていた、兎に角コース作りは圧雪から始まるのだが、スキー場であれば圧雪車であっという間に出来上がるコース整備も、札幌オリンピック並の人海戦術で人間がツボ足でコースを踏み固めなければならない重要な作業工程なのだが、普通の人には理解できない作業工程なので説明するには難しい所だ。
明日から16日まで中4日間あるのだが、折角整備しても大雪が降ると一気に作業が増えてくる、週間予報では当日は曇り時々雪となっているが、前日まで大雪の情報が入っていないので少し安心している所だが、明日から一日2時間ほどの整備とコース作りを続けることにしている。

今日の作業も正味2時間ほどで切り上げ、朝から用意していた茶わん蒸し料理に取りかかる、ダイナミックで丼に作る茶わん蒸しは初めてにしては完璧の出来具合と思った。
問題は、シニアには量が多すぎた、次回から材料を半分にすれば良いということも判り又レパートリーが増えたと思っている。

丼茶わん蒸しに挑戦
材料は二人分
簡易蒸し器
今夜は豚肉の生姜焼きと男の料理茶わん蒸し
2時間ほどの雪踏みでした
グランドは雪捨て場に

我が家も時々南極料理

2014年02月10日 20時06分57秒 | ペタンク爺さんの一日
限られた条件の中で毎日美味しい食事の用意することは、本当に難しいと思う、其れなりの勉強をして実践経験を重ねて身に付いて行くことで、現在NHK朝ドラで「ごちそうさん」でも日本の食の文化を真剣に取り組んでいる、戦時中の代用食時代をどんな描き方で表現するのか楽しみに見つめている、我が家の食の責任者は妹で札幌市立病院の賄いを長い事やって来ているのでレストランの料理長とか和食の料理人とまで行かなくても、普通の主婦よりはいろいろ経験を積んで来ていると思っている、実際特別美味しい料理のレパートリーは持ち合わせていない、しかし病院の賄いだったこともあり、私の病気発生から退院後の食の管理は体調に合わせ完璧に近いと思っている。
そんな中私はまんねりを嫌って時々男の料理シリーズをやっている、一番新しいものは、キャンプで使う鍋を利用し蒸かし鍋に改良する、此れから雪の中の野外活動が増えてくると思っているので、携帯コンロを利用して使うことを想定した鍋で、数日前から実際に使ってみている。
今日の昼食は、蒸かしさつま芋にする、兎に角簡単なので料理と云えるかどうか。
16日の本番には、即席ラーメンを作ることにしている、寒いので熱々ラーメンは受けると思っている。

今日月曜は、ワンレッスンダンスがあった、帰り道ホーマックに立ち寄り橇のスタート地点に使うビニカンを買ってくる、橇コースが2コース増えたので備品を揃える。

夕食は、南極料理になっていたテレビて南極料理人の西村淳さんの料理を拝見した時に40年も前夏山スキー合宿で料理長をやったことを思い出していた、限られた環境の中と限られた材料で20名くらいの食事の支度で朝早くから夜遅くまで取り組んでいた。
西村さんの、料理で余った材料で新しい料理に変身させる方法は参考になった。
妹も時々真似て前日の料理を目先を変えて出すこともある、今日はその一例だった。
昨夜は久しぶりに豚肉の白菜鍋だった、味付けは水炊きで小丼に取ると鍋つゆを取りそれに擦ったニンニクをいれ後は正油で戴く、此れは美味いの一言に尽きる。
その余った豚肉の白菜鍋に豆腐と長ネギを足して味には味噌を使った鍋たった。

橇大会のスタート台備品

脂化が無くなってきた手足に使うため馬油を

スケート再開する

2014年02月09日 18時38分28秒 | ペタンク爺さんの一日
先日「きたえ~る」のトレーニング室へ行って来た食べ合わせが悪くトレーニング中に体調を崩してしまい途中で中断して帰ってきた経緯があった。
家を出て地下鉄駅二つ先が豊平公園「きたえ~る」のあるところだが、我が家から地下鉄駅まで結構距離があり夏の間は左程負担を感じないが、冬道のテカテカ道路とか大雪の後などでは大変だ、齢のせいと云ってしまえばそれまでだが、齢と共に生活範囲が狭まるのはどうしようもないとおもっている。
厳寒の冬でも体を鍛える事が良いのは判っていても、トレーニングなしでは一気に野外活動はまだ無理と判断している、近くで室内で運動の出来る所と云えば今利用しているカーリング場があるが個人トレの場所は無い、背中合わせに月寒体育館(スケート場)を思いだし2年くらい通っていなかったスケート場に向った、スケートは10年以上も前に少しサイズの大きいホッケースケートを手に入れ指先に綿を詰めて履いて滑っていた、珍しくプラスチックの外国製で大きいが立派なスケート靴だった。
今日は、ソノスケート靴を持って体育館に出かける。いざ履こうとして袋から引っ張り出したらプラスチック靴の一部がバリバリと壊れてしまった、そう、劣化していたのだ、もう諦めて帰ろうかと思ったが折角来たのだからと貸スケート250円を出して滑って見る、スケートが変わったのと久しぶりのスケート滑りだったので、初心者並に壁に掴まりながら滑りの感覚を取り戻そうと足掻いている自分にいじらしさを感じた。

オリンピック開催中と日曜日のせいもあって狭いスケートリンクは、人でいっぱいだった日本人の活躍でスケート人口も増えてくるのでソチの情報が気になるところです。
スケート再開初日は30分ほどで終了する、終わるころには少しぎごちないが何時もの滑りが出来るようになっていた。

帰宅後、壊れたスケート靴を再生し何とか滑れそうな状態にする、次回はスノーパークが終わってからの18日から週4回くらいスケート日にすることにした。
兎に角歩いて行ける所なので、1時間も行って来ればトレーニングになり体力も付いてくると考えている。
数年前は、スケートをバカにしていたが今の体力には最良なトレーニング方法と再認識させられた。

劣化したスケート靴
再生し何とか滑れるか?

久しぶりのスケートに苦戦する

16日に使うそりが当たる抽選ポスター

ペタンク爺さんの寿命はあと10年

2014年02月08日 17時18分35秒 | ペタンク爺さんの一日
表題の「ペタンク爺さんの寿命はあと10年」はあくまでも本人の希望でしかない、実際に予定している年齢までたどり着く保障度何処にもない、現在親父の生きた年齢に重なった、此れからは親父が経験したことがない老境の世界に入ってくる、今振り返ると50歳で人生の転機で一変した遊びの世界からスポーツ界に起業して新しい仕事に挑戦していった、60歳でそれまでの仕事関係から脱皮し、仕事関係からも抜け出し年金と時々のアルバイトと春の山菜採り秋のきのこ採りで臨時収入を得て札幌にペタンクの組織作り(協会)、運営、大会遠征費に当てていた、此のころから連れ添いを伴って本州の全国大会にも毎年のように遠征し続けた、北海道以外の土地でもペタンクで出会いがあり友達も増えた、70歳の変わり目に協会を離脱し北海道ペタンクリーグを立ち上げたのは70歳になってからだった。
70歳前半と70歳後半になって、初めて肉体的に老境になったと感じるようになっていた、数年前息子のサポートを受け富士登山してみて自分の体力の実力を感じ取れるきっかけになった。

16歳から付き合いが始まっていた、最後の友人の菅野君の一周忌が今日あった周りを見渡すと60年前の悪友6勇士も私一人になってしまった、もう周りで比較する相手が居なくなってしまった、浦島太郎を自で行ってる感じで空恐ろしく不安になり乙姫さんから貰った玉手箱を明けようとしている状態が今かなと思っているが、一番心配していた胃癌も手遅れにならないで手当てが出来ているので此のまま玉手箱を開けないで90歳まで頑張ろうと思っている。

直ぐ近くに、亡妻の従妹の竹内夫妻が90歳と88歳で元気で暮らしいいるので此れが一番の心の支えになっているように思っている。
竹内氏も車を手放したのが85歳頃なのだが、車だけは私は生涯現役を目標に立てている。

個人のひ孫の宴会デビューをアップ
デジブック 『僕も一人前』

デジブック 『豊平緑のセンター2月』

2014年02月07日 21時26分09秒 | ペタンク爺さんの一日
豊平緑のセンターは、少し昔になるがここら全体が豊平墓地であった此のころでも街のど真ん中に取り残された公の空間でもあった、此処の古いお墓群も里塚霊園などに移って行った経緯がある、何年もかかったと思っている、其のあとに北海道立総合体育センター 北海きたえーるが出来豊平警察署も此処へ移って来た、そして墓地全体が樹木が多い公園になり公園の中心辺りに緑のセンターが出来大きなガラス張りの温室も建てられた、専用の駐車場もあり豊平区民としては大いに活用させてもらっている施設のひとつになっている。
今日雪の中久しぶりに「きたえ~る」のトレーニングセンターに出かける、お昼近くになっていたので昨日妹が赤飯を炊いていたので、おにぎりをひとつ作りそれを持って出かける、いまひとつ体力の復活が遅くトレーニングセンター通いも気乗りがしなかった、忙しさに託けてサボっていたと思ってる、今日はそれを乗り越えて出て行ったがセンターに到着後腹ごしらえと持って行ったおにぎりを食べる、後で分るが飲み物の選択が間違っていて普通のお茶を買わずスイトコーンのポタージュをお茶代わりに飲む、其のあとセンターに入りトレーニングを始めると俄かに腹痛が始まる早々に切り上げ隣の豊平緑のセンターに行く、此処で出すものを出してすっきりする。
最初から予定に入れていた、センター内の春の花の写真を撮る、素朴な雛人形展も開かれていて心温まるひと時を過ごす。


デジブック 『豊平緑のセンター2月』

オールドブラックジョーの世界

2014年02月06日 19時14分03秒 | ペタンク爺さんの一日
若く陽気な日々は過ぎ去り 友人らも逝ってしまった 僕もすぐに逝くよ

アメリカ民謡の父ステーブン・フォスターが誕生したのは1826年で今から200年近い昔で1861年の彼の85歳の時の発表されたオールドブラックジョーが遺作と思っているが、彼の生きた年齢に限りなく近づきつつある今、この歌のメロデーと歌詞は身につまされる歌となって迫って来ている。
1848年22歳で「おおスザンナ」から始まり「草競馬」「故郷の人々」「主人は冷たい土の中」「ケンタッキーの我が家」「金髪のジョニー」と死後発表された「夢路より」の曲のメロデーを正確ではないが全部覚えていることに少し驚きを感じている、学校唱歌にもなっている曲もあるがどの曲も心を揺さぶる名曲と音楽が判らない私でも感じているが、彼の生い立ちなどは調べたことも無い、ただ曲の魅力に取りつかれていると思っている。

つい最近悪友6勇士顛末で述べているが、高校時代私を含めて6人の仲良しグループがいて何かにつけて一緒に遊んでいたことを思い出す、今年の正月には音信がすべてが途絶えた、昨年まで生き残っていた親友のひとり菅野君が旅立って行き明後日一周忌を迎える、昔話を語る友達がとうとう途絶えてしまった、寂しいの極みだ、一番親しかった工藤君が亡くなって3年になるが、彼の突然と他界には驚くばかりで心の準備も無い内に去って行ったと思っている。
菅野君と工藤君は早くから札幌の住人になっていて、最初に菅野君にペタンクの世界に誘い込んだ良く池田や美幌大会に誘って出かけいいた。
工藤君は少し遅れてペタンク界に勧誘し最後まで行動を共にしてくれた、手稲地域にペタンクを根付かしたのも彼の力が無かったら出来なかった。

1990年に創設した札幌協会を離脱し北海道ペタンクリーグを立ち上げ立ち上げた時に、工藤君は行動を共にしてくれたが菅野君は協会に残った、菅野君とは暫くは交流が途絶えていたが5年ほど前連れ添いが旅立ったのを機会に会の代表を退くと共に札幌協会に復帰した、菅野君とは再会は出来たが何となく蟠りが出来ていた、彼の持病の糖尿病で苦しみながらそれでもペタンク大会などには夫婦で出ていたので、陰ながら頑張ってほしいと密かに思いつめていた。

久しぶりに独りで友人菅野君と昔物語をして偲ぶか。
トップ写真は輪西駅前で左から工藤君、佐々木君、五十嵐君、菅野君で、磯釣りで小幌岬に出かける所のスナップ写真で、高校卒業間もないころです。

病院内の喫茶コーナーで
久しぶりの珈琲でした

今年も早々お出まし

「とよひらおもしろスノーパーク」もあと10日

2014年02月05日 19時18分15秒 | ペタンク爺さんの一日
札幌雪まつりが始り、ソチのオリンピックも明後日から開幕する、寒さも本番の真っ只中での屋外のイベント札幌市の豊平区主催で担当は市民部地域振興課まちづくり調整係が窓口となって準備を進めて来ていた、今日午後から当日のイベントの中心となって活動してもらう札幌大学と学園大学の総勢20名を超えるボランティアグループと数名のリダーと月寒公園の現場に出向く、今年は新たに1年生が半数以上しめているので仕事と仕事の流れを確認してもらうために実際現場で当日と同じことをやってもらい、その上子供達が滑る橇コースを滑ってもらうことを今年もやった。

今日は、30mコース一本を作るだけだったので参加人数が多かったのであっという間に完成し持ち込んだ橇で試走する、橇に乗ったことが無いので子供達より下手だが何本か滑るうちにお手本になる橇滑りの達人に成長すると思っている。

昨年の「とよひらおもしろスノーパーク」の動画をインターネットにアップしているので良く分るが橇作り教室と競技大会に参加して来ていた子供達の低年齢層の多いのに驚いている、今年も同様で推移すると思っているが、今日現場でレイアウトなどを検討してきたがコースの全長は40m程で、橇コースのーを今年は6コースに増やすこととし、対抗橇大会は同じだが競技志向をゲーム的に代えて一工夫したらしい、兎に角当日の運営は学生さん達に託すところが多くイベントが盛り上がることを期待している。

フアンクラブの女性部は、当日だけ参加してもらい橇の貸し出しと昼食の支度、それに私が持ち込んだエコソリ35台を大会終了後に参加した子供他全員にくじ引きをしてもらう役を頼むことにしている、前日の15日はフアンクラブ男子組3人が朝から前出に加わる一人半人前には計算出来ると思っている、ギリギリで大雪が降らないことを祈っている。

ソチのオリンピックにそり種目(ボブスレー、スケルトン、リュージュ)の日本選手7名が参加している残念ながらレベル的には下位で低迷している、スパースターが現われる事を願う。
そり部門の選手層が薄いのと環境が整っていないのが現状です。

手製ポスター完成


昨年の青空エコ手作り教室



カーリング娘月寒からソチへ

2014年02月04日 21時24分07秒 | ペタンク爺さんの一日
寒気団がやってきた、今年一番の寒さと思うが病み上がりには堪える、何時ものように今日のスケジュール表を見ると10時からサニーリーグのリーグ戦が入っていた、メンバー表を見ると今日出席する選手は5名になっていて一人欠けても試合には影響なかったが、勝敗よりトレーニングのためのカーリングになっているので何時ものように防寒具をまといスパイク長靴を履いて出かける。
今日の相手は若い男女のチームだったがチーム力には差は無いと見ていた、一人多いチームなのでトップとセカンドで1エンドづつ交替して行くローテンションで試合は始まった、基本的な作戦はペタンクと同じでカーリングのトップセカンドは中心までストーンを持ち込まないでセンター近くの前を斜めに並べてゲームを作る役目なのだが、もう初めてかなりの経験を積んでいると思うがここ一番で距離のコントロールが出来ず、目的地を通り過ぎて試合には何の役割を果たせないストーンを2回とも投球してしまうことが今でもあり、怒鳴りたくなることもあるが遊びが主体でトレーニングをさせてもらっていると直ぐ気持ちを切り替え、ただ楽しむことに徹している。

2エンドで3点リードして始まったが、個人プレーで無いのでチームの中で一人くらい調子の出ない選手がいてもかんとか引っ張って試合を互角に持ち込めるがチーム内の二人が足を引っ張るともうどうしょうもなくなる。
今日は、3エンドで大量4点を取られ其の侭逆転できず5エンドで終わってしまった、まだ時間があるのにと思ったら月寒からソチオリンピックに向う道銀カーリング娘たちの出発式が有った、表にパスを待機させテレビ局も2社ほど取材に駆けつけていて雪の降る中賑やかに送り出した。

何か初戦は今まで一度も勝手いない韓国戦と聞いているので、余り気負わず試合に臨んでほしいと親心が先立つ。

月寒カーリング場で出発式






今日は節分

2014年02月03日 19時03分58秒 | ペタンク爺さんの一日
節分は季節の変わり目で冬の最後の日であり、春を迎える行事でもある。
と云っても本州の暖かい所を基準にしているので。北国の北海道では季節はそれからひと月以上もも遅れて来る、矢張り三月の末あたりまで待たなければならないのが現実で、北国でも一気に春めいてきて春山でスノーシューでのトレッキング中、白樺の周りが雪がひと足先に融け出してきてポッコリ黒い穴が開いている、白樺の木に耳をあてると樹が水を吸い上げる音が聞こえて来てい長い冬から寝覚めて活動しだした事を知ることが出来る。
此のころ白樺の樹液を採取している所もあるが、私が実行したのはイタヤの樹で樹液を採取したことがあるがホンノリと甘さがあり貴重なドリンクだった。
小学生時代友達が近所の山のイタヤから毎年樹液を取って飲んでいると聞かされていたが、誘われたことが無かった、大人になって思いだし実践してみたが、昔と違って安価でドリンクが幾らでも買える時代では昔の時代とは価値観が違うのは仕方がない事と思っている。

週末辺りから冬期オリンピックのニュースで新聞もテレビも氾濫してくる、日本選手もそれぞれ大きな目標を胸に秘めて時の来るのを待っている、この緊張した限られた時間はプレッシャーで押しつぶされないよう自分をコントロールしてほしいと心から願っている。

豆まきは、我が家では小学生頃から私がの役目になっていた、前日あたり大豆をフライパンで豆に亀裂が入るほど焼き上げる、一晩神棚にお供えして翌日の節分の夜家じゅう撒いて歩いた記憶が今でも残っている、それから今日に至るまで私の役目は終わることは無い、今は大豆の煎ったものは使わなくなって落花生がしばらく続いたが、今年はとうとう豆の直撒きを止めて小袋に入った豆を撒いた、時代と年齢で様変わりするのも仕方がないと思っている。

節分に後から参加してきた恵方巻きも我が家でも定着するのかな?
大豆は甘酢づけで蕗のピクルスと一緒に戴くことに。

今日も男爵焼いも

私のダンスの先生の若かりし頃

出番を待つエコ手作り橇達

2014年02月02日 16時29分20秒 | ペタンク爺さんの一日
一度完成していたエコ手作り橇の補修作業も終って、何時でも持ち出せる処まで準備が出来た。
内容は、2013モデルが20台、2014モデルが15台の35台が今シーズンになって作った橇で、そのほかに橇爺モデルの橇が10台加わるので私が持ち込む橇の総数は45台になる。
此のそりの他に、当日学生さん達が指導して橇作り教室の中で20台作り出すので。子供用エコ手作り橇は全部で55台になるが、イベントが終わるまで壊れないで残っている橇をイベントに参加した子供達に持ち帰りが出来るようにしたいと考えた。

午後から二つの大学チームに分かれて橇大会を開催して勝った方にだけ橇を上げると云うと少し考えてしまったが、参加人数が昨年の様子から見て6.70人と予想している、考えた挙句参加選手全員に昔よく使った紙縒りでの抽選方法を思いだし当りくじに赤と青のインクを点した。
此れなら、当日になって参加人数さえ判れば咄嗟に抽選出来るので、此れはフアンクラブの女性部に任せようかと思っている。

橇の手当てが出来たので、コース作りに必要な小道具の調達にホーマックに出向く出来るだけ有るものを利用したり出金を極力抑えるように考えているので、買い物に時間が掛かる。
取りあえず5日の午後から橇部門のワークショップが有るので、この日でほぼ今年の段取りが決まってくると思っている。
ただ、昨年も前日に少しまとまった雪が降り当日の朝一苦労したこともあり、ここの所毎日の様にダルマ模様が付いている天気予報を見ていると不安はなかなか無くならない。

2月の中頃は、比較的安定した気候が続くことが多いのに期待してただ待つだけだ。☀☀☀

紙縒りの抽選が復活する
今夜は和食で宗八カレー、フロフキ大根、カボチャの天ぷら、味噌汁
ホーマックの駐車場から展望する藻岩山

フリーソフト活用

2014年02月01日 21時24分55秒 | ペタンク爺さんの一日
PCを始めてから一番先に入れたソフトは、ホームページビルダーで市販のソフトの8が始まりと思っているが3年ほど前私のPC先生の前田氏の推薦でビルダー15と入れ替えた、其の入れ替えの時先生の所に数日通って個人レッスンを受け操作が出来るようになった。
何れもホームページ関係は市販のソフトを買って使っているが、少しパソコン操作が慣れてくると簡単なフリーソフトを利用し出したが様々な落とし穴もありパソコン操作の支障原因にもつながった、フリーソフトをインストールする時には可なり考えてしているが失敗も多い、ネットに出てくる安い有料ソフトに手を染めると深みにはまることも判った。
タダで使えると思っていたものも高いものになることも判ってきた、全て新しい勉強なので勉強は終わることは無いと思っている。
先日ITセンターでPCの診断で不必用のソフトを削除してもらった20個近く有ったので、その後は体が軽く感じられるようになった。

今回入れたPCは、機能が充実していて後から足して行くソフトもなかったが何処をどうしたのか判らぬまま入っているムービーメーカーのソフトが使えなくなってしまった、先日ITの先生に訊いたのだが復元するには少し手間がかかると云っていた。
詳しくは理解できないので、諦めているが内蔵されている別なソフトでも動画編集していたのだが何処に内蔵されているか判らないまま、先日フリーのVideopad動画編集ソフトを入れてもらって使いだしたが未だ使いこなすと云う所まで行っていない、試行錯誤しながら2本ほど簡単に編集した物をネットにアップした、探しあぐねていた東芝ソフトのおまかせムービーも発見できた、どちらにせよ使いやすいようにしておかねばと思いも新たにしている。

土日営業している八紘學園直販所に出向き生で食べる少し高い卵六個で280円を買ってくる。
熱いご飯に卵かけご飯は食欲のない時には食が進む食材です。


Videopadソフトで編集した作品
平成26年五区連新年会

2014ジャンボホワイトフェステバル