・柏木衛門督は、
女三の宮が出家されたことを聞き、
身も心も消え入るように思った。
もう元通りの健康を、
回復することは無理と思った。
もしこのまま命終わるならば、
妻の二の宮(三の宮の異腹の姉君)に、
会いたかった。
こちらの邸へ二の宮を、
お呼びすればいいのだが、
高貴な身分はこういうとき、
不便であった。
宮は軽々しくお出歩きになれない。
「どうかして、
あちらへ今一度、
行きたいのです」
柏木は泣いたが、
両親はどうしても許さない。
柏木は誰かれなく、
見舞いに来る人をつかまえては、
「二の宮をよろしく」
といっているのも、
哀切なことだった。
元々、
二の宮の母君は、
この縁談には乗り気でなかった。
それを柏木の父大臣が、
熱心に奔走して、
結婚にこぎつけ、
朱雀院もしぶしぶお許しになった。
しかし院は、
三の宮にくらべて、
「かえって二の宮のほうが、
幸せな結婚だった」
と洩らされた。
「宮をお見捨てして、
逝くのが辛い。
私亡きあと宮をお願いします」
と母君にたのむのであった。
柏木は弟にも、
亡くなったあとのことを、
こまごま頼んだ。
柏木は弟たちをよく世話して、
やさしい兄だったから、
みな柏木を頼っていた。
朝廷でも、
柏木の重病を惜しまれた。
死期が近づいたと聞かれて、
権大納言に昇進させられた。
喜びで、
元気を取り戻すことにも、
なろうかと、
主上の思し召しにかかわらず、
柏木は再び参内することも、
出来なかった。
病床からお礼を申し上げるだけ。
父大臣の悲しみは、
いうまでもない。
夕霧大将は、
親友の死病を嘆いて、
絶えず見舞いに来ていたが、
この度の昇進のお祝いを述べに、
まっさきに来た。
柏木は親友の見舞いに、
起き上がりたかったが、
それも出来ないほど弱っていた。
柏木は枕元へ、
招じいれた。
加持の僧などを退席させ、
久しぶりに夕霧と会った。
夕霧は、
こうも弱った友の顔を見るのは、
悲しかった。
今日は、
昇進のお祝いに来たのだから、
少しは晴れやかな顔も、
見られるかと思ったのに。
重病人といえば、
髪も髭も乱れ、
むさくるしくなるものだが、
柏木は痩せ衰えながら、
色白く上品に見える。
夕霧は、
「長患いにしては、
やつれて見えないよ。
いつもよりきれいに見えるよ」
となぐさめつつ、
涙を落とした。
そうなると制止が出来なくなって、
「死ぬ時も一緒、
と約束したことがあったっけ。
子供のころに。
おぼえているかい。
それなのにこんなことに、
なるなんて・・・」
涙ながらにいった。
「私にもわからないよ」
柏木は弱い低い声でいった。
「心のこりはあるよ。
親たちに孝養を尽くさず、
心配をかけ、
主上にもまだ十分、
お仕えしていない。
そのほか、
自分の周囲にも心残りは多い。
とりわけ、
一つの悩みを持っているのだよ。
こんなこと、
君のほかに誰に言えるだろう。
弟たちにも言えない。
それは、
六條院と私の関係だ。
院とのあいだに行き違いがあった」
夕霧は父の名前が出たので、
緊張して聞いた。
「私は院に、
心のうちでお詫びしていたが、
それ以来、悩みが積もって、
気分が鬱屈してしまった。
久しぶりに院のお召しがあって、
朱雀院の御賀の日に伺った。
院はやはり私を許せないものと、
怒っていらっしゃるらしかった。
院は私に強い視線を当てられた。
私はそれに衝撃を受けた。
帰るなり寝つき、
心はうつうつと楽しまず、
生きる張り合いをなくした。
私は院を敬愛していた。
このことが気がかりで、
後世のさまたげに、
なりそうな気がする。
どうか機会があったら、
院によろしくお取り成しをたのむ。
院のご不興が消えたら、
君をありがたく思うよ」
(次回へ)