むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

32、柏木 ⑥

2024年03月12日 07時45分46秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・夕霧は、
苦し気に語り終えた柏木を見て、

(では・・・もしや彼は)

と思い当たることがあったが、
確かめるすべもなかった。

「父にはそんな様子は見えないよ。
君の重態を聞いて、
残念がっているけれど・・・
どうして今まで私に話して、
くれなかった。
そんなに苦しんでいたのなら、
君と父の間にたって、
調停したものを・・・
今になって、君・・・」

夕霧は悲しんだ。

「こんなに、
病気が重くなる前に、
言ってくれれば・・・」

「そうだね。
も少し早く君に、
助けてもらうべきだった。
まさか、
急にこんなに重くなるとは、
思わなかったので。
このことは、
人に言って下さるな。
それから一條にいられる、
女二の宮(柏木の正妻)を、
見舞ってあげてくれたまえ。
よろしくたのむ」

柏木はそこで力つき、

(帰ってくれないか)

と手まねで言った。

僧たちも戻り、
父大臣や母君も、
病床に集って来たので、
夕霧は泣く泣く帰った。

それが最後の対面になった。

日を置かず、
泡の消えるように、
柏木ははかなくみまかった。

弟たちばかりでなく、
妹たちの嘆きも深かった。

女御の君はいうまでもなく、
夕霧の北の方、雲井雁、
髭黒右大臣の北の方、玉蔓も、
悲しんだ。

柏木の北の方、女二の宮は、
もとより悲しんでいられる。

情の薄い夫に見えたが、
こんな薄命な人だったからかも、
しれないと宮は淋しく思われた。

御母の御息所は、
姫宮のはかない結婚生活を、
あわれにも悔しくも思われた。

しかし柏木の両親にまして、
悲しみに沈んだ人々はあるまい。

女三の宮は、
柏木の命長かれとは、
お思いにならなかった。

しかし亡くなったと聞いて、
さすがにあわれに思われた。

(若宮のことを、
あの人はわが子と知って逝った)

と人知れず泣かれる。

春三月、
空はうらうらと、
若君は五十日ばかり。

色白く美しい稚児である。

源氏は、
宮が尼になられてからは、
前より大切に世話をし、
毎日やって来た。

五十日の祝いも、
はなやかに行った。

(ほんとうなら、
この子はまことの父の喪中なのに)

と源氏は思う。

宮は以前より、
いっそう痩せてしまわれた。

お髪は、
尼そぎといっても、
形ばかりなので、
黒髪はお背に広がっている。

鈍色のお召し物は、
かわいいお顔に、
まだしっくりしない。

源氏は若君を見た。

かわいく太っているが、
夕霧の幼な顔には似ていない。

明石の女御のお生みになった、
宮たちはお血筋もあって、
さすがに気高いが、
とりわけお美しい、
というほどでもなかった。

しかし女三の宮の、
お生みになった若君は、
上品でその上、愛嬌があり、
目もとの涼やかなこと、
似るものもなく、

(可愛い・・・)

と源氏は目を止める。

思いなしか、
柏木に似ている。

匂やかなまなざし、
品のいい顔立ち、
柏木そのままである。

こんなに似通っているとは、
宮はお気付きであるまい。

他の人々も、
夢にも知らぬこと、
源氏一人、心のうちで、

(可哀そうな柏木。
はかない契り・・・
この子を見ることなく、
みまかった)

と思うと、
涙がこぼれる。

柏木の親は、
せめて子でもいたら、
と嘆いていると聞いたが、
ここに、
というわけにもいかない。

人知れず、
はかない形見を残して、
柏木は逝ってしまった。

女房たちが退いたとき、
源氏は宮にいった。

「この子をどうお思いになる。
こんな可愛い子を捨てて、
出家なさるとは。
誰に似ているとお思いになる」

宮はお返事も出来ず、
突っ伏してしまわれた。

お返事ができぬのが、
当然であろう。

宮は柏木のことを、
どう思っていられるのだろう。






          


(次回へ)

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