<わすらるる 身をば思はず 誓ひてし
人のいのちの 惜しくもあるかな>
(やがては忘れ去られる身だということを思いもせず
私はあの時 愛を神に誓った
なんて愚かな私なのかしら
でも心がわりしたあなたには
神仏の罰があたるわよ
・・・いい気味といいたいけれど
でもそれは嘘
罰が当たって
あなたが死ぬなんていや
死んじゃいや
でも
あなたが憎くないといったら
それも嘘になるの)
・この右近は艶聞の多い女性だった。
歌は『拾遺集』巻十四の恋の部に出ている。
この歌の解釈は二通りあって、
「わすらるる身をば思はず」で切るものと、
「誓ひてし」まで続けるもの。
切り方によって意味が違ってくる。
昔の人は「わすらるる身をば思はず」で切って、
男に忘れられるわが身のことは何とも思わない、
それよりも神さまにいろいろ誓いを立てて、
心変わりしないといったあなたが、
心変わりしたんだから、
いまに神仏の罰が当たって命を失うだろう、
それを思うとあなたがいとおしいのです、
と解釈する。
自分のことよりも、
男の命のほうを惜しむというところが、
昔の男には受けたとみえる。
女が自分のことをあとまわしにして、
男に献身すると男は満足する。
しかし、そう解釈すると、
右近というのはいやみったらしい女である。
裏切った男に尽くすなんて、
嘘っぱちに決まっている。
自分を裏切った男なんか死んでしまえばいい、
というのが女の本音である。
そこで、この歌のよみかたを少し変えてみよう。
「誓ひてし」で一度切り、
「人の命の惜しくもあるかな」
と分けてみる。
右近は藤原季縄(すえなわ)の娘、
この人が右近の少将だったので娘は右近と呼ばれる。
醍醐天皇の皇后穏子に仕えた女房であった。
実名も生没年も分からない。
十世紀初頭の人。
恋人の名前はわかっている。
藤原敦忠、やはり百人一首に採られている、
「あひみての~~」43番の作者である。
左大臣・藤原時平の三男、
時の権力者の御曹司である。
歌にすぐれ、音楽の才にも恵まれた風流貴公子。
だから右近との恋は、歌人同士、芸術家同士の恋である。
だが右近の身分は低い。
まして一介の女房に過ぎない。
二人の恋が燃えているうちはいいが、
恋がさめるとバランスは崩れる。
しかも右近は敦忠に恋をしつつ、
別の男、桃園の宰相、頭の中将とも交渉があった。
男にもてた女だったのだ。
しかし右近が本当に愛し、
相手の心変わりでショックを受けたのは、
敦忠であったようだ。
男は<君のことは忘れない>と誓った。
<もし心変わりしたら、
僕は命を取られてもいいと神仏に誓うよ>といい、
<あたしもよ>と女も誓う。
恋の最中はうわずっているから、
いくらでもそんな誓いが出てくる。
しかし男は、新手の恋にめぐりあって右近を捨てた。
右近はいいやる。
(やがては忘れられることを思いもせず、誓った私。
私は愚かだけど、心変わりしたあなたには罰が・・・
いえ、あなたにもしものことがあってはいやだわ。
でもあなたに何の罰も当たらず、
他の女と幸福になるなんて許せないわ)
(次回へ)