むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

31、若菜(下) ⑧

2024年02月24日 08時24分51秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・そういえば、
かの柏木衛門督は、
中納言に昇進したのだった。

主上のおぼえもめでたく、
世の信望が重くなるにつけても、
女三の宮への恋がかなわぬ悲しさが、
柏木にはこたえた。

せめてものことにと、
柏木は女三の宮の異母姉、
女二の宮と結婚した。

女二の宮のご生母は、
身分の低い更衣であったので、
柏木は、
皇女を北の方に頂いた、
といっても少し軽くみていた。

女二の宮のお人柄もお姿も、
なみの女人よりは、
すぐれていられるのだが、
柏木の心に深く染みついた、
女三の宮への思慕を、
消すことはできない。

柏木は、
女二の宮では、
慰められなかった。

ただ世間に、
怪しまれない程度に、
妻らしく扱っているにすぎない。

柏木は、
女三の宮への思いを、
捨てきれないで、
小侍従という女房に、
今も連絡をとっていた。

この小侍従は、
もともと女三の宮の、
乳母の娘で、その上、
乳母の姉が柏木の乳母であった。

そんな縁から、
柏木は早くから宮のお噂を、
乳母を通じて聞いていた。

宮が幼いころから、
お美しかったこと、

父帝、朱雀帝がことに、
愛されていたことなどを、
聞いていてそのころから、
恋ごころが芽生えていた。

そんな柏木にとって、
紫の上の病気で、
源氏がそれへかかりきりになり、
六條院が人少なになっている今が、
絶好の機会と考えた。

自分の邸へ小侍従を招き、
夢中でくどく。

小侍従は、

「まあ、大それたことを、
おっしゃる。
女二の宮がおいでになるのに、
なんと欲深なことを・・・」

小侍従は呆れて、
咎めるようにいう。

「欲深でない恋があるか?」

青年はたじろがない。

「今は滅多にないいい折。
人の少ないときに、
宮のおそばへ行って、
日ごろの思いを打ち明けられるように、
計らってくれないか。
ただ、ひと言、ふた言、
お話申し上げたいだけなのだ」

小侍従はあきれて、
とうとう怒りだしてしまった。

小侍従を怒らせてしまったら、
手づるは切れてしまう。

青年は一生懸命下出に出て、
弁解したり、なだめたりした。

青年は、
何度も誓言して、
決して非礼なことはしないから、
と泣くように頼む。

はじめのうちこそ小侍従も、

「宮さまのお近くへ、
ご案内するなんてことは、
とても出来ません」

と拒んでいたが、
何ぶん若い女のことで、
青年の熱情に押し切られた。

命に代えてもという、
青年の頼みに、
根負けして不承不承、

「もしかして、
適当な折がございましたら、
お知らせしましょう。
源氏の君が、
おいでにならない夜は、
御張台(寝台)のまわりに、
女房たちがたくさんいますし、
中々難しいですが、
なんとか考えてみます」

小侍従は困惑して、
六條院へ帰っていった。

柏木から、

「どうした。
まだか。
どうなっているのだ」

と毎日責めたてられるので、
小侍従は困り果てていた。

ついにある日、
小侍従はよき機会を捉えて、
柏木に連絡した。

柏木は喜びながら、
目立たぬように身をやつして、
六條院へ忍んできた。

(ああ、自分は何をしようと、
しているのか?)

柏木は思う。

自分で自分を恐れながら、
しかも恋にめくらんだ身には、
もし宮に近づいたりしたら、
かえって物思いが深まり、
煩悩が増すだろう、
ということまで、
考えられない。

それは四月十日すぎのこと。

賀茂祭に先立つみそぎが、
ちょうど明日だというので、
六條院から斎院に、
お手伝いとして女房が、
十二人出ていた。

身分の低い女房や、
女童は明日の物見の支度に、
忙しそうにしていた。

女三の宮の御前は、
ひっそりと人少なである。

宮のおそばには、
小侍従一人いるきり。

この折を外してはない、
と思って連絡をしたのである。

小侍従はそっと、
柏木を宮の御張台の御座所の端に、
坐らせた。

それがあとで、
どんなに重大な運命を招く、
とも知らず・・・






          


(次回へ)

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