・そういえば、
かの柏木衛門督は、
中納言に昇進したのだった。
主上のおぼえもめでたく、
世の信望が重くなるにつけても、
女三の宮への恋がかなわぬ悲しさが、
柏木にはこたえた。
せめてものことにと、
柏木は女三の宮の異母姉、
女二の宮と結婚した。
女二の宮のご生母は、
身分の低い更衣であったので、
柏木は、
皇女を北の方に頂いた、
といっても少し軽くみていた。
女二の宮のお人柄もお姿も、
なみの女人よりは、
すぐれていられるのだが、
柏木の心に深く染みついた、
女三の宮への思慕を、
消すことはできない。
柏木は、
女二の宮では、
慰められなかった。
ただ世間に、
怪しまれない程度に、
妻らしく扱っているにすぎない。
柏木は、
女三の宮への思いを、
捨てきれないで、
小侍従という女房に、
今も連絡をとっていた。
この小侍従は、
もともと女三の宮の、
乳母の娘で、その上、
乳母の姉が柏木の乳母であった。
そんな縁から、
柏木は早くから宮のお噂を、
乳母を通じて聞いていた。
宮が幼いころから、
お美しかったこと、
父帝、朱雀帝がことに、
愛されていたことなどを、
聞いていてそのころから、
恋ごころが芽生えていた。
そんな柏木にとって、
紫の上の病気で、
源氏がそれへかかりきりになり、
六條院が人少なになっている今が、
絶好の機会と考えた。
自分の邸へ小侍従を招き、
夢中でくどく。
小侍従は、
「まあ、大それたことを、
おっしゃる。
女二の宮がおいでになるのに、
なんと欲深なことを・・・」
小侍従は呆れて、
咎めるようにいう。
「欲深でない恋があるか?」
青年はたじろがない。
「今は滅多にないいい折。
人の少ないときに、
宮のおそばへ行って、
日ごろの思いを打ち明けられるように、
計らってくれないか。
ただ、ひと言、ふた言、
お話申し上げたいだけなのだ」
小侍従はあきれて、
とうとう怒りだしてしまった。
小侍従を怒らせてしまったら、
手づるは切れてしまう。
青年は一生懸命下出に出て、
弁解したり、なだめたりした。
青年は、
何度も誓言して、
決して非礼なことはしないから、
と泣くように頼む。
はじめのうちこそ小侍従も、
「宮さまのお近くへ、
ご案内するなんてことは、
とても出来ません」
と拒んでいたが、
何ぶん若い女のことで、
青年の熱情に押し切られた。
命に代えてもという、
青年の頼みに、
根負けして不承不承、
「もしかして、
適当な折がございましたら、
お知らせしましょう。
源氏の君が、
おいでにならない夜は、
御張台(寝台)のまわりに、
女房たちがたくさんいますし、
中々難しいですが、
なんとか考えてみます」
小侍従は困惑して、
六條院へ帰っていった。
柏木から、
「どうした。
まだか。
どうなっているのだ」
と毎日責めたてられるので、
小侍従は困り果てていた。
ついにある日、
小侍従はよき機会を捉えて、
柏木に連絡した。
柏木は喜びながら、
目立たぬように身をやつして、
六條院へ忍んできた。
(ああ、自分は何をしようと、
しているのか?)
柏木は思う。
自分で自分を恐れながら、
しかも恋にめくらんだ身には、
もし宮に近づいたりしたら、
かえって物思いが深まり、
煩悩が増すだろう、
ということまで、
考えられない。
それは四月十日すぎのこと。
賀茂祭に先立つみそぎが、
ちょうど明日だというので、
六條院から斎院に、
お手伝いとして女房が、
十二人出ていた。
身分の低い女房や、
女童は明日の物見の支度に、
忙しそうにしていた。
女三の宮の御前は、
ひっそりと人少なである。
宮のおそばには、
小侍従一人いるきり。
この折を外してはない、
と思って連絡をしたのである。
小侍従はそっと、
柏木を宮の御張台の御座所の端に、
坐らせた。
それがあとで、
どんなに重大な運命を招く、
とも知らず・・・
(次回へ)